現行憲法のままでも私権制限を含むコロナ対策は可能
前回記事で説明したとおり、安倍が改憲で導入をもくろむ緊急事態条項は問題があるとか危険とかいうレベルを軽々と越えて、もはや邪悪としか言いようのない代物だ。
右派は、現行憲法では私権制限ができないから有効なコロナ対策が打てない、だから緊急事態条項が必要なのだと言うわけだが、そんなことはない。
〔自由及び権利の保持義務と公共福祉性〕
第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。〔個人の尊重と公共の福祉〕
第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
第12条13条が規定するとおり、日本国憲法が保障する自由や権利は、常に「公共の福祉」による制約を受ける。「公共の福祉」とはつまり他の人々の持つ人権のことであって、憲法が保障する権利であっても他者の人権を侵害するような使い方をしてはならないというわけだ。
コロナ問題に当てはめて言えば、移動や営業の自由といった当然保障されるべき権利に対しても、それを行使することが他者の生命や健康という最も基本的な人権に脅威を与える結果になるのであれば、制約を課すことはもちろんできる。
とはいえ、公共の福祉のための制約がそれを受ける側の基本的人権を侵害しては本末転倒なわけで、コロナ対策のために収入を失う人々に対しては適切な補償が必要となる。だから #自粛と補償はセットだろ というのは、日本国憲法から導き出される当然の要求なのだ。
自民党や右派が欲しがる緊急事態条項があったらコロナ対策はどうなっていたか
ではここで、もし憲法に自民党改憲草案のような緊急事態条項があったら政府のコロナ対策はどうなっていたか考えてみよう。
まず、そもそも自民党改憲草案では、上記の第12条13条が大きく改変されている。
(国民の責務)
第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保持されなければならない。国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない。(人としての尊重等)
第十三条 全て国民は、人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない。
条文から「公共の福祉」は姿を消し、「公益及び公の秩序」に変えられている。一見似たような言葉なのでまぎらわしいが、「公益」も「公の秩序」も人権とは関係がなく、単に時の政権がこれがそうだと規定する利益や秩序でしかない。従って、もはや私権制限は人権とは関係がないのだから、結果がどうなっても補償など必要ないということになる。
これに何でもありの強権発動を可能にする緊急事態条項が加わるのだから、政府はコロナ対策として有効であろうがなかろうがやりたいことをやり、結果には一切責任を負わないことになる。
つまりは、こういうことだ。
休業要請するが補償したくない。補償するにしても微々たる額にしたい。当然、国民から不平不満がでる。
— 俵 才記 (@nogutiya) April 10, 2020
そこでだ。やっぱり憲法に緊急事態条項は絶対必要だ。国民に要請じゃなく命令すればいい。補償もクソもない。不満を言う奴は即逮捕だ。これが、自民党がこの大変な時に改憲を持ち出した理由です
安倍首相が喉から手が出るほど欲している緊急事態条項は、内閣ひいては首相の手に殆ど全ての権力が集中する劇薬ですからね。警察力などの制度化された暴力を用いて批判も粉砕できる独裁条項です。今回のコロナ禍に当て嵌めると批判的な市民は警察に検束され、現金給付はなく「お肉券」だったでしょう。
— 異邦人 (@Narodovlastiye) May 3, 2020
いつものことだが、右派は嘘しか言わない。そんな嘘を信じるほど日本人は不幸になっていく。
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