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憲兵までゆるふわ化してしまった『この世界の片隅に』

『この世界の片隅に』で太極旗シーン以上に問題なのが、憲兵が出てくるエピソードだ。この話は以前にも一度取り上げているので内容が一部重複するが、改めて問題点を整理してみることにする。なお、このエピソードに関しては原作マンガとアニメ版に大きな違いはない。

『この世界の片隅に』で「憲兵」はどのように描かれたか

このエピソードでは、呉の軍港に浮かぶ軍艦をスケッチしていたすずを間諜(スパイ)容疑者として捕まえた憲兵が、すずを連れて北條家に怒鳴り込んでくる。[1]

家族たちは玄関先で怒鳴り散らす憲兵の説教を神妙に聞いていたのだが、憲兵がいなくなると、次のシーンでは、よりによってすずなどをスパイ扱いした憲兵をバカにして爆笑する。[2]

現実にはあり得ない憲兵描写

しかし、こんなことは当時の現実としてはあり得ない。

まず、憲兵がスパイ容疑者を捕まえたら憲兵隊詰め所に連行して尋問するはずで、容疑者の自宅に引っ張ってくることなどない。しかもすずは海岸線ばかりか軍港内に浮かぶ軍艦まで名前をあげて描き込んでおり(いつどこにどの艦がいたかの記録)、外形的に見れば明白なスパイ行為だ。これで捕まったらタダでは済まないだろう。[3]

実際、当時はすずのような「普通の主婦」どころかまだ13歳の少女でさえ、たかが与謝野晶子の本を持っていただけで特高と憲兵隊に連行され、足腰立たなくなるまで叩きのめされている。[4]

 昭和18年、製糸工場で働いていた私はたまたま数冊の本を買った。そのなかに与謝野晶子の『みだれ髪』(歌集)があった。これを寄宿舎の私物検査で特高に知られるところとなった。私はその本のなかにあった晶子の詩「君死にたまふことなかれ」の一節に赤線を引いていた。

(略)

 「オイ、ネエチャン、この本は誰にたのまれたか。相手の名をいえばすぐ帰してやる」と特高はいった。

(略)

 「自分の金で買いました。誰にもたのまれん」と答えた瞬間、私の体は何メートルも先にふっとんでいた。それから先はなぐるのけるのといったもんじゃない。生と死のギリギリいっぱいまでやられた。遠くの方で「死んじゃおらんぞ、まだ生きとる、いまのうちに寄宿舎に引き取らせろ」という声が聞こえた。

 一カ月後、体が動けるようになったらこんどは憲兵隊へよばれた。同じような責めを受けた。私の体は古ぞうきんのようになった。四つんばいの状態で帰された。

いずれ容疑(軍機保護法違反)は晴れるとしても、すずも青あざだらけで這うようにして北條家に帰ることになっただろう。「泣く子も黙る」と恐れられた憲兵隊は、そんな甘いものではないのだ。

まして外地でアジア人相手となれば、責め殺すまで拷問するのも日常茶飯事だった。例えばこれは、軍医として中国・武漢の兵站病院に勤めていた麻生徹男氏の証言。[5]

武昌憲兵隊 昭和十六年三月中旬、私は武漢の地を去る事と成った。写真中真ん中の建物は、武昌憲兵隊、その後ろ小道を隔て私の勤務の場所、兵站病院レントゲン室があった。嫌でも聞こえる訊問の大声、悲鳴、水攻め。死者を甦らせよ、もう一事聞きたい事ありと私に命じる憲兵殿の語気、それは今でも私の悪夢である。(略)

こちらはシンガポール政府が市内の旧憲兵隊跡地に設置した記念碑の説明文。当地では「ケンペイタイ」という日本語が今でもそのまま通用する。[6]

憲兵隊東地区本部 Kenpeitai East District Branch

 以前のYMCAビルには憲兵隊すなわち日本軍の軍事警察の東地区本部がおかれた。憲兵隊の任務はすべての抗日分子を選別し鎮圧することであった。憲兵隊は、報酬と特権を与えて、地域内部からスパイをやとった。人々が理由もなく連れ去られ、不信と恐怖が占領時代の生活を支配した。

 その建物は―1981年に取り壊されたが―、多くの罪のない市民を取り調べ拷問を加えた場所だった。憲兵隊はその非情な拷問方法のために悪名が高かった。こうした拷問は、憲兵将校が危険分子であると見なした者には誰にでもおこなわれた。拷問の方法には指のつめをはがすことや電気ショック、繰り返される鞭打ちも含まれていた。犠牲者の泣き声や叫び声は、しばしば街頭まで聞こえた。

『この世界の片隅に』の憲兵描写を擁護するのは無理筋

しかし、こうした指摘をすると、この作品での憲兵描写はおかしくないとして擁護する、以下のような意見が集まってくる。

  1. 当時陸軍と海軍は仲が悪かった上、呉は海軍の城下町で憲兵隊(陸軍所属)の力は弱かったため、海軍関係者の家族を検挙するのは避けたかったはずだ。

  2. 現場の裁量で厳しかったり甘かったりいろんなケースがあったはずで、たまたまこの憲兵は「いい人」だったというだけではないか。

  3. 所詮フィクションなのだから、そんな細かいことに目くじら立てても仕方がない。

これらへの回答は以下のとおり。

  1. 実際にそうだったという根拠は何も示されていないが、仮にそれが事実だったとしても、そんな裏知識を前提にこの作品を見た人は全体の1%もいないだろう。ほとんどの人は、ああ、憲兵というのはこういうものなんだな、という印象を受けたはずだ。

  2. 同じく、現場の裁量を匂わせるような伏線も何もないので、ほとんどの人は素直に一般的なケースとしてこの描写を受け取ったはずだ。

  3. もちろん『この世界の片隅に』は実話に基づかないフィクションだが、だからこそどのような設定をし、どんなエピソードを描くかという点に作り手側の意図がストレートに反映される。原作者は憲兵をこのようなものとして表現したいからこそこのエピソードを描いたわけだし、アニメ版の監督が尺が足りない中(他のさまざまなエピソードは削りつつ)あえてこの話を残したのはこういう場面を観客に見せたかったからだろう。ちなみに、設定という観点から言えば、すずの嫁ぎ先を、夫は海軍軍法会議の録事(書記官)、その父親は海軍工廠の技術者という、一見庶民のように見えて実は軍権力の末端に連なる家に設定したのも原作者の意図的選択であることに注意が必要だ。

ゆるふわ憲兵のイメージを拡散・定着させた『この世界の片隅に』

こうして、『この世界の片隅に』は、物資や食糧の不足に悩まされていた当時の庶民生活ばかりか、「泣く子も黙る」憲兵までゆるふわ化してしまった。しかも、そんな作品のアニメ版が「国民的アニメ映画」と言えるほどの大ヒットを記録した結果、ここで描かれた憲兵のゆるふわなイメージが日本人の間に普及する結果となった。いや、少なくともそうしたイメージを拡散・定着するのに大きな役割を果たしたことは間違いない。

その端的な表れと言えるのが、アニメ版の上映開始から一年後(2017年11月)、広島で開催された「凱旋パーティ―」に、憲兵役を演じた声優がその憲兵のコスチュームで現れ、会場が「温かい笑いに包まれ」たという事件だ。[7]

 

ナチス時代を描いたドイツ映画でゲシュタポ役を演じた俳優が、そのコスチュームのままファンの集いに現れて愛嬌を振りまくなどということがあり得るだろうか。ちなみに、憲兵役を演じた栩野幸知氏は他にも5役を演じており、このコスチュームで現れなければならない必然性はどこにもない。

当然この無神経な振る舞いは批判を浴びたわけだが、すると、あろうことか片渕監督本人がこんな弁明のツイートをした。

そもそもあの映画の中での憲兵が「悪役」と言えるのかどうかさえ疑問だが(むしろ「道化役」だろう)、この弁明は片渕監督が、何を批判されているのかまったく理解していないことを示している。

監督も、ファンも、批判を受けてなお何が問題なのかを理解していない。

翌2018年、NHKの連続テレビ小説『まんぷく』で、主人公福子の恋人立花萬平が憲兵隊に拷問(と言っても実際に憲兵隊で行われていた拷問に比べれば児戯のようなものだが)されるシーンが流れると、こちらは実話であるにもかかわらず、「憲兵が気の毒」「日本人をどこまで貶めるのか」といったツイートが飛び交った。[8]

この憲兵の話をはじめ、『この世界の片隅に』は銃後生活をゆるふわ化することで日本の歴史修正主義を強力に後押ししている。この点、もっと厳しく批判されるべきだ。

[1] こうの史代 『この世界の片隅に(中)』 双葉社 2008年 P.7
[2] 同 P.10
[3] 同 P.6
[4] 「赤旗」社会部編 『証言 特高警察』 新日本新書 1981年 P.93-94
[5] 麻生徹男 『上海より上海へ 兵站病院の産婦人科医』 石風社 1993年 P.39
[6] 山口剛史 『【紹介】戦後50周年を記念して建てられたシンガポールの戦争記念碑』 戦争責任研究 23(1999年春季)号 P.60-61
[7] 広島国際映画祭 「この世界の片隅にパーティー」 2017/11/24
[8] 『朝ドラ『まんぷく』への「憲兵を悪く描くな」攻撃は異常! 首絞め、逆さ吊るし…本当の憲兵や特高の拷問はもっとヒドい』 LITERA 2018/11/02