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冤罪「スパイ」容疑者の家族を戦後も白眼視し続けた日本社会

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戦時中にスパイ容疑(軍機保護法違反)で逮捕され、官憲による拷問・虐待の果てに病死した宮沢弘幸さんの妹、秋間美江子さんが亡くなられた。

軍機保護法による冤罪「宮沢・レーン事件」

そもそも宮沢さんが逮捕・投獄された「宮沢・レーン事件」とは何だったのか。その驚くべき真相が、90年代になってようやく明らかにされている。

東京新聞(2013/10/14):

スパイぬれぎぬ 宮沢・レーン事件 悲劇教訓に再来許すな

(略)秋間さんの兄は、戦中に北海道帝国大の学生だった宮沢弘幸さん。太平洋戦争が開戦した一九四一年十二月、軍機保護法違反容疑で逮捕された。

 米国人の英語教師レーン夫妻に「軍の秘密を漏らした」とされた。宮沢さんは、英語をはじめ数力国語を習得し、外国人の知人が多かった。そのため特別高等警察に目を付けられていた。宮沢さんは懲役十五年の実刑判決が確定。拷問と過酷な受刑生活で結核になり、敗戦後、釈放されたが、二十七歳の若さで亡くなった。

(略)

 宮沢さんがこれほどの重罪とされた「秘密」とは、何だったのか。裁判は秘密保持のため非公開で、判決文は破棄されるか、伏せ字だらけ。詳しい内容が判明したのは九〇年代になってからだ。小樽商科大の荻野富士夫教授が、戦中の内務省の部内冊子「外事月報」に、地裁判決の全文が掲載されているのを見つけて分かった。

 なんと、主な容疑は「樺太に旅したときに偶然見かけた根室の海軍飛行場を、友人のレーン夫妻に話した」ことだった。この海軍飛行場には三一年、米国人飛行士のリンドバーグが北太平洋航路調査の途中で着陸し、国内外の新聞で大々的に報じられ、世間に知られていた。

 軍機保護法は当初、国家の存亡にかかわるような軍事機密を漏らした者を罰する目的で成立した。ところが、戦局の緊迫化とともに、「観光でたまたま撮影した風景に軍事施設が写っていた」といったような軽微な理由で、次々と一般市民が逮捕される事態になった。

軍機保護法自体がとんでもない悪法だが、その軍機保護法に照らしても、そもそも「秘密」ではあり得ない公知の事実を伝えただけで有罪というのは、まさに冤罪と言うほかない。

戦後になっても帝国日本による弾圧被害者を白眼視し続けた日本社会

秋間さんは兄の無実を訴え続けてきたが、「スパイの家族」として白眼視する世間の圧力に耐えきれず、米国への移住を余儀なくされている。

 日米が開戦した1941年12月8日にスパイ容疑で逮捕され、戦後27歳で亡くなった元北海道帝大生の兄、宮沢弘幸さんの無実を訴えてきた秋間美江子さんが、移住先の米国で亡くなった。93歳だった。いわれのない「スパイの家族」の汚名に生涯苦しんだ。「こんな悲しい家族をもうつくらないで」と常々訴えていた。

18歳のころの宮沢弘幸さん=遺族提供

(略)

 兄の死後も一度付けられた烙印(らくいん)におびえ続け、65年に夫とともに米国に移住した。

この例に限らず、軍機保護法や治安維持法といった悪法によって逮捕・投獄された人々は、すべて帝国日本による不当な弾圧の被害者である。とりわけ、侵略戦争に反対する地下活動を理由に官憲に虐殺された人々など、命をかけて帝国日本の悪と闘った英雄と言っていいだろう。

しかし日本では、戦後になってもこうした人々が賞賛され、公的に名誉を称えられる場面はついぞなかった。それどころか、旧帝国によって「非国民」とされた人々は周囲から白眼視され、その家族も世間の目に怯えて生きざるを得なかったくらいだ。

一方、彼らを殺した側の特高官僚連中は戦後のわずかな期間公職から追放されたこと以外、裁かれることも糾弾されることもなく、ほとぼりが冷めると次々と復活して国会議員をはじめ多くの要職を占めた。鹿児島県特高課長の経歴を持つ奥野誠亮など法務大臣にまでなっている。

事実を直視するより心地よい嘘にだまされていたい、ひ弱な日本人

どうしてこの国はそうなのか。その理由の一端を、伊丹万作氏の「戦争責任者の問題」から伺うことができる。

 少なくとも戦争の期間をつうじて、だれが一番直接に、そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかということを考えるとき、だれの記憶にも直ぐ蘇つてくるのは、直ぐ近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であり、あるいは郊外の百姓の顔であり、あるいは区役所や郵便局や交通機関や配給機関などの小役人や雇員や労働者であり、あるいは学校の先生であり、といつたように、我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、あらゆる身近な人々であつたということはいつたい何を意味するのであろうか。

戦前戦中、圧倒的多数の日本人は自ら喜んで戦時体制に順応し、競って国家への忠誠心を示そうとした。近隣住民同士が互いに監視し合い、戦争に非協力的な者を見つけては嫌がらせをしたり官憲にたれ込んだりするのも、その「愛国」活動の一環だった。

それなのに、いざ敗戦となると、「だまされていた」と称して旧軍部にだけすべての責任を押し付け、自らの責任に向き合うことから逃げた。

だから、破滅的敗戦を経てさえ彼らのメンタリティは根本のところでは変わらなかった。そして、愛する家族や家や財産を失っても、喜んで協力した戦争の帰結として被ったそうした被害は「お国のため」に払った尊い犠牲だとして自らを慰めた。

そんな彼らにしてみれば、「お国のため」に犠牲を払って頑張った自分たちとは逆に、その「お国」に逆らった者たちなど、その行為の是非にかかわらず依然として「非国民」であり「けしからん奴ら」なのだ。

自立した個人としての責任感や道徳観念を持たない奴隷根性の現れである。

敗戦からわずか一年の時点で伊丹氏は次のようにこの国の将来を憂えていたが、戦後75年のこの国の歩みは、まさに氏の懸念が的中していたことを示すものと言えるだろう。

 そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。

(略)

 そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配者にゆるした国民の奴隷根性とも密接につながるものである。

 それは少なくとも個人の尊厳の冒涜、すなわち自我の放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無感覚である。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である。

 我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察や官僚にのみ負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣に反省しなかつたならば、日本の国民というものは永久に救われるときはないであろう

「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。

「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。

 一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。この意味から戦犯者の追求ということもむろん重要ではあるが、それ以上に現在の日本に必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱な自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである。

 

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