読む・考える・書く

マスコミやネットにあふれる偏向情報に流されないためのオルタナティブな情報を届けます。

『はだしのゲン』が原爆を落としたアメリカの責任を追求していないという驚くべき主張

広島市の教育委員会が平和学習教材から『はだしのゲン』を削除してしまった事件に関して、右派「論客」の池田信夫がこんなことを書いている。

いくらなんでもこれはひどい。

原爆の悲惨さを描いた作品なら他にもいくらもあるが、その原爆を落としたアメリカの責任を『はだしのゲン』以上に厳しく追求した作品などないのではないか。

例えば、ゲンの母親が原爆症と栄養失調で衰弱した末に亡くなったあと、ゲンはその死体を背負ってマッカーサーに会いに行こうとする。アメリカが落とした原爆がどれほど罪深いものかを教え、母親に謝罪させようというのだ。[1]


それだけではない。

『はだしのゲン』は、アメリカが終戦直後に広島に設置したABCC(Atomic Bomb Casualty Commission:原爆被害調査委員会)が、被爆者の死体を盗み出して資料用に内臓を抜き取ったり、被爆により様々な病気になった患者たちを集め、しかし一切治療せずに調査だけして研究材料にしていたことまで告発している。[2]

よくこんな作品をつかまえて「それを落とした国の責任をまったく問わない」などと言えたものだ。

まぁ、池田に限らず、右派「論客」のレベルなんて大概こんなものだが。


ちなみに、『はだしのゲン』は原爆を落としたアメリカだけでなく、落とさせた天皇の責任もきっちり追求している。[3]

最後のコマのゲンのセリフは、天皇の戦争責任を曖昧にしたまま(それは結局すべての戦争責任者の罪をうやむやにすることでもある)漫然と時を過ごしてきたすべての日本人が心に刻むべき言葉だろう。


[1] 中沢啓治 『はだしのゲン 5』 中央公論新社 1998年 P.352-353
[2] 中沢啓治 『はだしのゲン 4』 中央公論新社 1998年 P.160-166
[3] 中沢啓治 『はだしのゲン 5』 中央公論新社 1998年 P.355-356