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マスコミやネットにあふれる偏向情報に流されないためのオルタナティブな情報を届けます。

教育勅語「国民道徳協会訳」という悪質な嘘訳

■ なぜか「定訳」扱いのデタラメ「国民道徳協会訳」

作られてから既に120年以上も経つ教育勅語は、原文のままでは現代人には理解するのが難しい。そのため、つい現代語訳に頼りたくなるわけだが、教育勅語の現代語訳というと、なぜか「国民道徳協会訳」と称するものがまるで定訳であるかのように扱われている。例えば明治神宮のサイト教育勅語の解説に使われているのもこれだ。

だが、実際に読んでみると、この「国民道徳協会訳」はデタラメもいいところで、明らかに勅語の印象を良くするよう意図的に内容が改変されている。正確な現代語訳とはかけ離れたものと言わざるを得ない。

以下、この訳のどこがどうおかしいのか、逐条的に見てみよう。

■ 「国民道徳協会訳」を逐条的に検証する

原文

国民道徳協会訳

朕惟おもフニ

我カ皇祖皇宗

國ヲ肇はじムルコト宏遠ニ

徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ

私は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。

天皇ただ一人しか使うことが許されない自称「朕」を単に「私」と訳していいのかという問題はとりあえず置いておくとしても、「私達の祖先が」では、まるで日本人の祖先みんなが協力して国を作ったかのようだ。だが、原文が主張しているのはあくまで「我カ皇祖皇宗」、つまり天皇家の祖先が国を作ったということであって、それ以外の国民、とりわけ民百姓の祖先になど出る幕はないのである。

また、この原文のどこにも「遠大な理想」「道義国家の実現」などという目的意識はない。原文が言っているのは、この国は自分たち天皇家の祖先が作り、歴代天皇が「深く厚い徳をもって」これを統治してきた、ということだけだ。(もちろんこれ自体が嘘だが。)
 

我カ臣民

ク忠ニ克ク孝ニ

億兆心ヲ一ひとつニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ

此レ我カ國體ノ精華ニシテ

教育ノ淵源亦また實ニ此ここニ存ス

そして、国民は忠孝両全の道を全うして、全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、見事な成果をあげて参りましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物といわねばなりませんが、私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。

まず、ここで「我カ臣民」を「国民」と訳しているのが大きな間違い。「臣民」とは明治憲法で神聖不可侵とされた天皇の臣下としての民のことであって、近代国民国家の主権者としての「国民」ではない。勅語で「克ク忠ニ克ク孝ニ」が美徳とされているのは、それが天皇の臣下にふさわしいあり方とされていたからだ。国民道徳協会訳は、それが現代の「国民」にも当てはまるかのようにすり替えている。

また、ここにも「道義立国の達成」という、原文のどこにも見当たらない主張が出てくる。原文が言っているのは、先祖代々天皇への忠義と親への孝行(これも嘘だが)を尽くしてきた臣民のあり方(=國體ノ精華)こそが教育の根本だということであって、道義立国の達成のための教育などというのは明らかな捏造である。

ちなみに、例えば稲田朋美がこう発言している[1]ように、教育勅語を支持する極右政治家の皆様は、とても「道義国家」がお好きなようだ。

 稲田朋美防衛相は8日の参院予算委員会で、天皇を頂点とする秩序をめざし、戦前の教育の基本理念を示した教育勅語について、「日本が道義国家を目指すというその精神は今も取り戻すべきだと考えている」と述べた。社民党福島瑞穂氏に答えた。

(略)

 稲田氏は「教育勅語の精神である日本が道義国家を目指すべきであること、そして親孝行だとか友達を大切にするとか、そういう核の部分は今も大切なものとして維持をしているところだ」と述べた。

実際にはいま見たとおり、教育勅語のどこにも「道義国家」など出てこない。まさかこの人、国民道徳協会訳だけ読んで「道義国家」が教育勅語の精神だとか思い込んでるんじゃないだろうね。いや、いくらなんでも、まさかねぇ。(笑)
 

なんじ臣民

父母ニ孝ニ

兄弟ニ友ニ

夫婦相和シ

朋友相信シ

恭儉きょうけんレヲ持シ

博愛衆ニ及ボシ

學ヲ修メ業ヲ習ヒ

以テ智能ヲ啓發シ徳器ヲ成就シ

進デ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ

常ニ國憲ヲ重ジ國法ニ遵したが

一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ

国民の皆さんは、子は親に孝養を尽くし、兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合い、夫婦は仲睦まじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じ合い、そして自分の言動を慎み、全ての人々に愛の手を差し伸べ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格を磨き、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また、法律や、秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。

ここはいわゆる「十二の徳目」の部分だが、国民道徳協会訳では、これらの徳目中で最も重要な「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」を、まったく違う意味に(意図的に)誤訳している。だいたい、「真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません」では、具体的に何をどうすればいいのかさえ不明だ。原文が言っているのはそんな曖昧なことではない。国家の重大事(戦争)には一身を捧げて皇室の繁栄(天壤無窮ノ皇運)を手助けせよ、ということだ。捧げるものは「真心」などではなく命、捧げる相手は「国」などではなく天皇家である。
 

是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス

又以テ爾なんじ祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン

そして、これらのことは、善良な国民としての当然の努めであるばかりでなく、また、私達の祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、さらにいっそう明らかにすることでもあります。

ではなぜ(自分の与り知らないところで)戦争が始まると、たった一つしかない命を捧げて天皇家に奉仕しなければならないのか。それは天皇の言う「爾なんじ」、つまり「お前たち」が、天皇の「忠良ノ臣民」(忠実順良な家来)だからだ。これをすべての「臣民」の脳裏に刷り込むことそこが教育勅語の真の意図であり、意味するところなのだ。(だからこそ教育勅語は教育現場で内容を議論したりするものではなく、絶対的真理として「奉読」「暗唱」すべきものとされた。)

勅語が、天皇家の祖先がこの国を作り歴代天皇が「深く厚い徳をもって」これを統治してきた(=日本は天皇家のものだ)と主張するのは、「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」を正当化するためである。さらに言えば、他のすべての徳目もまた、平時には文句を言わずよく働き、戦時には命まで差し出して天皇家の繁栄に奉仕する「忠良ノ臣民」を量産するためのものでしかない。だから勅語には決して、平和を愛することや正義や平等を希求することが徳目として加えられることはないのである。
 

斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ

子孫臣民ノ倶ともニ遵守スヘキ所

之ヲ古今ニ通シテ謬あやまラス

之ヲ中外ニ施シテ悖もとラス

朕爾なんじ臣民ト倶ともニ拳々服膺シテ

みな其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾こいねが

明治二十三年十月三十日

         御名御璽

このような国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、私達子孫の守らなければならないところであると共に、この教えは、昔も今も変わらぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国で行っても、間違いのない道でありますから、私もまた国民の皆さんと共に、祖父の教えを胸に抱いて、立派な日本人となるように、心から念願するものであります。

勅語の冒頭と同じくこの結びの部分でもまた、「皇祖皇宗」(天皇家の始祖と歴代天皇)を日本人全体の祖先にすり替える詐術が使われている。もちろんその狙いは、勅語の内容を、天皇からの一方的な指図ではなく先祖代々日本人が共有してきた意識であるかのように見せかけることにある。

教育勅語の毒を糖衣で包んで現代日本人に飲ませようとする「国民道徳協会訳」

以上見てきたように、「国民道徳協会訳」とは、教育勅語の本質を隠蔽し、「いいことも書いてある」かのように見せかけて現代の日本人に受け入れさせることを目的として作られた意図的誤訳(嘘訳)なのだ。「君が代」を、天皇ではなく「あなたの幸せ」を願った歌だ、とか言うのと同じタイプの詐術である。もちろん、そうやって騙していったん受け入れさせてしまえば、教育勅語はたちまちその本性を現して「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」を強制する道具として最大限に活用されることになる。

ちなみに、名前から一見それなりの学識者が訳したかのような印象を与える「国民道徳協会訳」だが、実際には自民党衆院議員だった佐々木盛雄なる人物が勝手に作った代物であるらしい[2]。いつものことだが、右派のやることは嘘と隠蔽ばかりだ。
 
[1] 『稲田氏「教育勅語の精神、取り戻すべきだと今も思う」』 朝日新聞デジタル 2017.3.8
[2] 『教育勅語「国民道徳協会訳」の怪』 日夜困惑日記@望夢楼 2005.7.19

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南京大虐殺紀念館に行ってきたよ

3月19日、前から行きたいと思いつつなかなか機会のなかった南京大虐殺紀念館(侵华日军南京大屠杀遇难同胞纪念馆)を、ようやく訪れることができた。南京大学を卒業し、今は上海で働いている友人が南京の街を案内してくれて、その一環で行くことができたのだ。

南京大虐殺紀念館は、南京市街中心部から西に数キロ離れた、地下鉄云锦路駅近くにある。

■ 被害者たちの彫像

駅からすぐのところに入口があり、入場は無料。展示館までの道で最初に来館者を迎えるのは、様々な被害者たちの姿を表現した彫像群だ。

死んだ子を手に嘆く母の像。

レイプされ、銃剣で刺された妻を抱えて逃げようとする夫の像。

死んだ母の胸にとりすがり乳房を吸う赤子の像。

殺された孫を抱えて、なすすべを知らず彷徨う老人の像。

怯えと怒り。今まさに銃殺されようとする人々の像。

■ 館内展示

残念ながら館内は撮影禁止なのだが、館内展示では主に写真パネルを使い、上海戦、南京渡洋爆撃から首都防衛戦、大虐殺、そして戦後の南京軍事裁判に至る全過程を丁寧に説明している。パネルのほか、各種の戦争遺物(斬首に使われた日本刀など)の展示や、蛮行の行われた室内の状況を再現した展示などもあった。また、南京安全区国際委員会の人々をはじめ、危険を承知で大虐殺下の南京にとどまり、少しでも多くの人々を助けようと努力した外国人たちの活動についても詳細に解説されている。なお、展示の解説文はすべて中国語、英語、日本語の三ヶ国語併記となっている。

虐殺関連写真のうち、最も大きなサイズで展示されていたものがこちら。これは輜重兵として南京戦線に従軍した村瀬守保氏が揚子江岸で撮影したものであり、ニセ写真だの何だのとケチのつけられないものである。後ろ手に縛られている死体が複数確認でき、戦死した中国兵の死体などではないこともわかる[1]。(下はパネルを写したものではなく、村瀬氏の写真集から[2]。)

揚子江岸には、おびただしい死体が埋められていました。虐殺した後、河岸へ運んだのでしょうか、それとも河岸へ連行してから虐殺したのでしょうか。

本多勝一氏のカメラと取材関係資料

館内は撮影禁止とはいえ、まわりの中国人たちを見ると、みんなスマホで盛んに写真を撮っている。そこで私も後半少しだけ撮らせてもらった。

こちらは1972年に本多勝一氏が『中国の旅』の取材を行った際に使ったカメラとペン。取材ノートやネガなどとともに2006年に本多氏から寄贈されたもの。

■ 江東門万人坑

大虐殺は、市内の至るところにその爪痕を残している。そして、この祈念館の敷地内にもそれはある。

まず1984年、館の建設中に多数の遺骨が発見された。このとき収集された遺骨が、展示館内の「犠牲者同胞遺骨陳列室」に展示されている。さらに、1998年から1999年にかけて再び敷地内から遺骨が出土し、発掘調査の結果、何層にも重なり合った200体以上の遺骨が見つかった。こちらの遺骨は、発掘現場をそのまま保存した「万人坑遺跡保存館」として公開されている。この祈念館自体、江東門付近に放置されていた一万体余りの遺体を集めて埋葬した「江東門万人坑」の上に建っているのだ。[3]

■ 30万人は象徴的数字

この祈念館でなければ見られない展示の一つが、虐殺の犠牲者一人ひとりの名前を刻んだ壁だ。(この他、館内には各犠牲者の名前、遺体の発見場所や死因等を記録した犠牲者名簿を並べた巨大な棚もある。)

とはいえ、ここに刻まれている名前は現在でもわずか一万程度で、被害者全体から見ればほんの一部でしかない。現実問題として、自宅で死体が見つかったようなケースを除けば、遺体の身元を確定するのは困難だったろう。集団で虐殺され万人坑に埋められた遺体の身元など、どうにも確認しようがないはずだし、揚子江に流されてしまったケースなどはなおさらだ。

ところで、この祈念館では、あちこちに犠牲者数を示す30万という数字が刻まれている。これに対して日本の右派は、この数字は過大だ、中国は被害を水増しして世界の同情を買っていると、盛んに非難を浴びせてきた。

否定派の言う1万だの4万だのという数字は論外としても、日本の歴史学者の研究によれば、被虐殺者の総数は軍民合わせて15万から20万人程度と推定されており[4]、30万は確かに多すぎるようにも見える。

しかし、だからといって、右派の言うような非難は正当とは言えない。それは次の例と比べてみれば明らかだろう。

広島原爆の犠牲者数は、以前は約20万人とされており[5]、私も学校でそう習った記憶がある。だが、いま広島市のサイトを見に行くと、犠牲者数は約14万人と、ずいぶん目減りしている。では、以前の数字は水増しした過大な数字だったのか?

また、Wikipedia英語版によると、広島での死者数は9万人から14万6千人で、これは軍人2万人を含むとされている。投降した捕虜の処刑すら合法だと強弁する右派の論理に従うなら、軍人が爆撃で死ぬのは単なる戦死に過ぎず、犠牲者とは言えないだろう。すると広島原爆による殺戮の犠牲者は7万人程度だったかも知れないことになるわけだが、この数字を盾に、日本は犠牲者数を水増しして被害者面しているとアメリカ側が非難するのは正当だろうか?

もちろんそんな非難は正当なものではない。そもそも、南京にせよ広島長崎にせよ、人道に反する大殺戮を行った加害者側が、被害者側の人数の数え方にケチをつけること自体がどうかしている。犠牲者数の議論をするのなら、まずは加害責任をきっちりと認めて謝罪するのが先だろう。

■ 和平(平和)

南京大虐殺紀念館の見学コースの最後は和平公園区という広場になっており、そこには「平和の像」が立っている。これは、戦争とは必然的に残虐行為を生み出す大災厄であり、戦争を遠ざけるためには歴史の教訓を忘れてはならないという、この紀念館の基本理念を具象化したものだ。

もし南京を訪れる機会があれば、この紀念館には必ず行ってみることをお勧めする。

[1] タラリ 『南京事件の真実 写真判定の杜撰-村瀬守保撮影写真編』 2004.1.14
[2] 村瀬守保 『私の従軍中国戦線』 日本機関紙出版センター 1987年 P.48
[3] 青木茂・舟橋精一 『万人坑を知る旅2017 南京江東門万人坑
[4] 笠原十九司 『南京事件』 岩波新書 1997年 P.228
[5] 江口圭一 『日本の歴史(14) 二つの大戦』 小学館 1993年 P.441

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教育勅語を現代語訳してみたよ

高橋源一郎氏による現代語訳

作家・高橋源一郎氏による教育勅語の現代語訳が話題となっている。Twitterで公開されている高橋氏の訳を原文との対訳の形で示すと、次のようになる。

原文

高橋源一郎氏訳

朕惟おもフニ

我カ皇祖皇宗

國ヲ肇はじムルコト宏遠ニ

徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ

はい、天皇です。よろしく。ぼくがふだん考えていることをいまから言うのでしっかり聞いてください。

もともとこの国は、ぼくたち天皇家の祖先が作ったものなんです。知ってました? とにかく、ぼくたちの祖先は代々、みんな実に立派で素晴らしい徳の持ち主ばかりでしたね。

きみたち国民は、いま、そのパーフェクトに素晴らしいぼくたち天皇家の臣下であるわけです。そこのところを忘れてはいけませんよ。

我ガ臣民

ク忠ニ克ク孝ニ

億兆心ヲ一ひとつニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ

此レ我ガ國體ノ精華ニシテ

教育ノ淵源亦また實ニ此ここニ存ス

その上で言いますけど、きみたち国民は、長い間、臣下としては主君に忠誠を尽くし、子どもとしては親に孝行をしてきたわけです。

その点に関しては、一人の例外もなくね。その歴史こそ、この国の根本であり、素晴らしいところなんですよ。

そういうわけですから、教育の原理もそこに置かなきゃなりません。

なんじ臣民

父母ニ孝ニ

兄弟ニ友ニ

夫婦相和シ

朋友相信シ

恭儉きょうけんレヲ持シ

博愛衆ニ及ボシ

學ヲ修メ業ヲ習ヒ

以テ智能ヲ啓發シ徳器ヲ成就シ

進デ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ

常ニ國憲ヲ重ジ國法ニ遵したが

一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ

きみたち天皇家の臣下である国民は、それを前提にした上で、父母を敬い、兄弟は仲良くし、夫婦は喧嘩しないこと。

そして、友だちは信じ合い、何をするにも慎み深く、博愛精神を持ち、勉強し、仕事のやり方を習い、そのことによって智能をさらに上の段階に押し上げ、徳と才能をさらに立派なものにし、なにより、公共の利益と社会の為になることを第一に考えるような人間にならなくちゃなりません。

もちろんのことだけれど、ぼくが制定した憲法を大切にして、法律をやぶるようなことは絶対しちゃいけません。よろしいですか。

さて、その上で、いったん何かが起こったら、いや、はっきりいうと、戦争が起こったりしたら、勇気を持ち、公のために奉仕してください。というか、永遠に続くぼくたち天皇家を護るために戦争に行ってください。

 

是ノ如キハ獨リ朕ガ忠良ノ臣民タルノミナラズ

又以テ爾なんじ祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン

それが正義であり「人としての正しい道」なんです。そのことは、きみたちが、ただ単にぼくの忠実な臣下であることを証明するだけでなく、きみたちの祖先が同じように忠誠を誓っていたことを讃えることにもなるんです。

斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ

子孫臣民ノ倶ともニ遵守スヘキ所

之ヲ古今ニ通シテ謬あやまラス

之ヲ中外ニ施シテ悖もとラス

朕爾なんじ臣民ト倶ともニ拳々服膺シテ

みな其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾こいねが

明治二十三年十月三十日

         御名御璽

いままで述べたことはどれも、ぼくたち天皇家の偉大な祖先が残してくれた素晴らしい教訓であり、その子孫であるぼくも臣下であるきみたち国民も、共に守っていかなければならないことであり、あらゆる時代を通じ、世界中どこに行っても通用する、絶対に間違いの無い「真理」なんです。

そういうわけで、ぼくも、きみたち天皇家の臣下である国民も、そのことを決して忘れず、みんな心を一つにして、そのことを実践していこうじゃありませんか。以上!

明治二十三年十月三十日 天皇


この高橋氏訳については、くだけた表現で分かりやすいと高く評価する人もいる一方で、これでは勅語独特の、異論を許さない高圧的雰囲気が出ていないという批判もある。

私も同感だが、熊沢天皇というより、皇室芸人竹田恒泰あたりが勝手なことをべらべらしゃべりまくっている感じ、というほうが近そうだ。

■ 的はずれな右からの批判

右からの批判は、高橋氏が「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」を「いったん何かが起こったら、いや、はっきりいうと、戦争が起こったりしたら、勇気を持ち、公のために奉仕してください。というか、永遠に続くぼくたち天皇家を護るために戦争に行ってください」と訳した部分に集中している。原文には「戦争」だなんて書いていない、意図的な誤訳だ[1]、というわけだ。

だが、この点については、高橋氏自身による以下の反論がまったく正しい。

「原文に『戦争』の語はない」との指摘に対し、高橋さんは「『緩急』が震災などを意味するのなら、まず現地で被災者を救うことが求められる。しかし、天皇を護れというのだから、戦争以外にはあり得ない」と語る。

繰り返すが、原文は「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」である。当然ながらこれは日本書紀神代紀の以下の一節、いわゆる「天壌無窮の神勅」[2]を踏まえたものだ。

葦原の千五百秋ちいほあきの瑞穂みつほの国は、是これ、吾が子孫うみのこの王きみたるべき地くになり。爾いまし皇孫すめみま、就でまして治しらせ。行矣さきくませ。宝祚あまのひつぎの隆さかえまさむこと、当まさに天壌あめつちと窮きはまり無けむ

古事記日本書紀を読めばわかるとおり、豊かな「瑞穂の国」は、もともと天照たちの支配領域下にはなかった。この「神勅」は、軍事力で奪い取ったばかりの土地に、その新たな支配者として孫のニニギを送り込む段階で発されている。この「神勅」は、良い土地を手に入れたことを喜び、永遠に支配せよと命じる侵略戦争の勧めなのだ。

「天壌無窮」と言っている時点で「緩急」は戦争以外あり得ない。これもまた、右派ほど日本の伝統も歴史も知らないというサンプルの一つだろう。

■ Yet another 教育勅語現代語訳

教育勅語には、「緩急」以外にもどう訳すべきか困惑する部分が多いのだが、これには絶好のガイドブックがある。

この「児童読本」を参考にしつつ、原文の文脈やニュアンスを損なわないように現代語訳を試みたところ、以下のようになった。この勅語本来の傲慢さと思い上がりがよく分かると思うのだが、どうだろうか。

原文

現代語訳

朕惟おもフニ

天皇たる我はこう考える。お前たち臣民は心して聞くように。

我カ皇祖皇宗

國ヲ肇はじムルコト宏遠ニ

徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ

この国は、はるかな昔にわが天皇家の始祖が作り、歴代の天皇は深く厚い徳をもってこれを統治してきたのである。

我ガ臣民

ク忠ニ克ク孝ニ

億兆心ヲ一ひとつニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ

此レ我ガ國體ノ精華ニシテ

教育ノ淵源亦また實ニ此ここニ存ス

お前たち臣民は、代々みな心を一つにして、主君たる天皇には忠義を、親には孝行を尽くしてきた。

この美わしいあり方こそが、わが国を他に比類のない国にしてきた価値の真髄であり、ゆえに教育の根本もまたここにこそある。

なんじ臣民

父母ニ孝ニ

兄弟ニ友ニ

夫婦相和シ

朋友相信シ

恭儉きょうけんレヲ持シ

博愛衆ニ及ボシ

學ヲ修メ業ヲ習ヒ

以テ智能ヲ啓發シ徳器ヲ成就シ

進デ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ

常ニ國憲ヲ重ジ國法ニ遵したが

一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ

だからお前たち臣民は、

親には孝行し、兄弟は仲良くし、夫婦は和やかに、友は互いに信じ合いなさい。

また、常に慎み深くし、周囲の人を広く愛しなさい。

勉学に励み、仕事を習って、知識能力を向上させ、人徳を磨きなさい。

進んで世の中のためになることをし、社会の進歩に貢献しなさい。

もちろん、そこでは常に我の定めた帝国憲法を重んじ、国の法律に従わなければならない。

そして、いったん戦争など国家の重大事が起きたときは、勇気をふるって大義に身を捧げ、永遠に続くべき皇室の繁栄を手助けしなさい。

是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス

又以テ爾なんじ祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン

お前たちがこの教えを守ることは、お前たちが我の忠実順良な臣下であることを示すだけでなく、お前たちの祖先の同様な行いを讃えることにもなるのだ。

斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ

子孫臣民ノ倶ともニ遵守スヘキ所

之ヲ古今ニ通シテ謬あやまラス

之ヲ中外ニ施シテ悖もとラス

朕爾なんじ臣民ト倶ともニ拳々服膺シテ

みな其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾こいねが

明治二十三年十月三十日

         御名御璽

ここまで説いてきたことはどれも、わが天皇家の始祖と歴代天皇が遺してきた教訓であり、その子孫である我や皇族も、臣民も、ともに守らなければならない教えである。

この道は永久不変の真理であり、国の内外いずれに施しても間違いのない正しい道なのである。

だから天皇たる我も、お前たち臣民とともにこの教えをよく守り、皆でその徳を同じくしたいと願っているのだ。

明治二十三年十月三十日

         睦仁


【関連記事】
  「教育勅語はどこがダメか
  「法と道徳の区別がつかない人々

[1] 『教育勅語くだけた口調で 「内容知ろう」 高橋源一郎さん現代語訳』 東京新聞 2017.3.27
[2] 坂本太郎家永三郎井上光貞大野晋  『日本書紀(一)』 岩波文庫 1994年 P.132

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自分はやましいことはしてないから共謀罪なんて関係ない…と思っている人たちへ

共謀罪への関心が薄い理由

森友学園問題の騒動にまぎれて、超弩級の悪法「共謀罪」法案が国会に上程されようとしている。

しかし一般の関心は薄い。

権力監視の責務を放棄したマスコミの怠慢ももちろん原因のひとつだが、共謀罪の危険性に関心が集まらない根本には、恐らくこういう感覚があるのだろう。

権力に「思想」や「内心」を弾圧できる凶器を与えることに危機感を感じないのは、たとえそんな法律ができても、それが自分に適用されたり害を及ぼすことは決してない、と信じているからだろう。

だが、それは歴史を知らないがゆえの甘い見通しだ。

共謀罪が作り出す監視・密告社会

犯罪の実行やその具体的準備行動ですらなく、相談や同意の段階で処罰できる共謀罪がいったん成立すれば、今度は「相談」や「同意」そのものが「犯罪」となる。

するとどうなるか。警察にとっては、摘発すべき「相談」や「同意」が行われていないか社会全体を常に監視することが、犯罪捜査のために必要な日常業務となるのだ。

ディストピアSFなみの警察国家の完成である。あなたのメールやLINEやSNSでの会話もすべて監視対象となる。犯罪捜査だからもちろん匿名性など何の役にも立たない。

そして、共謀罪のある社会は、そのまま密告社会でもある。

もっとも、ここまで指摘されても、自分は常に国家権力の側に立っているから安全だと信じる自称「普通の日本人」のような人々は危機感など感じないのだろう。

確かに、そうした人々に共謀罪が直接適用される可能性は(少なくとも当面は)低い。これで真っ先に弾圧されるのは、沖縄での基地反対運動など、政権の意志に抗う人々だろう。

だが、そんなことを許した結果がどうなるかは、歴史が教えてくれている。

■ 歴史への無知と想像力の欠如が破滅をもたらす

かつての治安維持法によって行われたように、政権の意志に反対する人々が口を封じられ、社会から排除されてしまえば、国家権力の暴走を止める手段は何もなくなる。そして、愚かな権力者であればあるほどこのような悪法を活用して反対者の弾圧に勤しむだろう。

行き着く先は経済破綻か、再度の原発過酷事故か、あるいは必要もない戦争を始めたあげくの敗戦か。いずれにせよ、そうなったときには「普通の日本人」も被害を免れることはできない。

そのときになって、かつての敗戦時のように「騙されていた」などとは言わないことだ。そうした結果をもたらすのは間違いなく、共謀罪に反対するのは「やましいことがあるから」などと言っているあなたたちだ。
 

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一番上に何が書いてあるか、読めるだろうか?

ネトウヨ諸君からのコメントを拒絶するつもりはないが、いくら都合の悪いことが書かれているからといって、焦って「投稿する」ボタンを押す前に、深呼吸して一度見直してほしい。

あと、こちらには四六時中ブログに張り付いてコメントに即時対応するような暇も義務もないことくらい理解してほしい。

でないと、こういう↓醜態を晒すことになるので気をつけよう。

うわ笑

コメント消されてる笑
神武天皇の誤解を解くことを書いたり、具体的な教育勅語賛成意見書いたのに
暴言とかでなく自分に不利なコメントが来ると消すんだ笑
自分が根拠もなくハチャメチャな言いがかりつけてるって分かってるわけね、なーんだ
(略)
とにかく暴言を書いてるわけでもないんだから、コメント消すなよー

あーあ

さっきも書いたんだけどもなくなってるようで…もう細かく書くの面倒だから簡単に書いとくと、人間の世界は元々天つ神が管理して平和な世界を作っていくという方針があり、国つ神が治めている畿内あたりを中心としたどデカい地域で不穏な空気があったから、国つ神には任せておけないという意思を持って出向いたんだからね
(略)
教育勅語反対派がどれだけ無茶苦茶言ってるかわかるよね

とにかく暴言を書いてるわけでもないんだから、コメント消すなよー

おいハニゴロー

俺のコメント消えてるw

特に問題視してる12番目の徳目は
他の徳目ですでに解決してるって言っただけなのに。
流石はサヨク
言論の自由は自分だけのものってかwwwww
承認しないのも自由だけどさ
両方の意見を取り上げないと公平じゃないよ。
あんたのやってる事はタダの言論弾圧です。

 

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奥さまは愛国

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