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小林よしのり徹底批判(4)戦争が政策なら植民地主義だって政策

歴史認識

日本の侵略戦争を正当化したい小林よしのりは、戦争は悪ではなく「政策」なのだと主張する[1]。

当時の軍部は「犯罪」をするために戦争を始めたわけではない

(略)

日本の自存自衛のため

「政策」の延長として戦争という策をとったのだ

戦争は「悪」ではない 「政策」である

イラクフセインも アメリカのブッシュも

政策として湾岸戦争をやったわけで

悪を行ったわけではない

(略)

日本は侵略をした 侵略は悪だろうと言う者もいるが

あの当時はまだ 欧米が先にアジアを侵略して 

植民地にしたままの時代だったではないか

戦争はもちろん政策の一環である。しかし、それが政策であるかどうかと、その善悪とはまったく関係がない。人々が安心して暮らせるように労働法制や社会福祉制度を充実させるのも政策なら、安倍政権のように逆にそれらを改悪して弱者を貧困と死に追いやるのも政策である。

だいたい、戦争は「政策」だから悪とは言えない、というのなら、小林が絶対悪として非難する欧米列強の植民地主義だって「政策」である。列強同士の激しい競争の中、それこそ「自存自衛」のため、植民地を囲い込んで排他的経済圏を確立しようとした政策ではないか。小林の「戦争は政策だから悪じゃない」論はここで破綻している。

[1] 小林よしのり 『新ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』 幻冬舎 1998年 P.34

 

脱ゴーマニズム宣言―小林よしのりの「慰安婦」問題

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日本軍政下のアジア―「大東亜共栄圏」と軍票 (岩波新書)

日本軍政下のアジア―「大東亜共栄圏」と軍票 (岩波新書)

 

 

「アジアの人々」という表現への違和感と納得感

排外主義

■ 違和感を感じる理由

自分でも時々使ってしまうのだが、この表現には以前から違和感を感じてきた。なぜなら、日本も当然アジアの一部であるにもかかわらず、日本人が「アジアの人々」と言う場合、そこに日本人は含まないことが暗黙の前提となっているからだ。

ちなみに、さきほど「アジアの人々」でググってみたところ、結果のトップ3は次のようになった。

20160924073900

これが、例えば「周辺諸国の人々が見た太平洋戦争」「東南アジアの人々と出会い語らう」「日本は戦争被害国の人々に何をしたのか」などであれば違和感はないのだが、やはりごく自然に「アジアの人々」が使われている。

福沢諭吉『脱亜論』が象徴するアジアへの蔑視と他者意識

このような、同じアジア人への他者意識の源流としては、やはり福沢諭吉の『脱亜論』に注目せざるを得ない。これは福沢が創刊した新聞『時事新報』の社説として1885(明18)年3月16日に掲載されたものだ。

以下にその全文を再録する。ただし、さすがに読みにくいので、旧漢字は常用漢字またはかなに置き換え、また適宜ふりがな、改行と注釈を加えた。

 世界交通の道、便にして、西洋文明の風、東に漸し(波及し)、至る処、草も木もこの風に靡なびかざるはなし。蓋けだし西洋の人物、古今に大に異なるに非ずと雖いえども、その挙動の古に遅鈍にして今に活発なるは、ただ交通の利器を利用して勢に乗ずるが故のみ。

ゆえに方今東洋に国するものゝ為に謀はかるに、この文明の東漸の勢に激げきして(怒り興奮して)これを防ぎ了おわるべきの覚悟あれば則ち可なりと雖いえども、苟あたかも世界中の現状を視察して事実に不可ならん(事実上不可能であること)を知らん者は、世と推し移りて共に文明の海に浮沈し、共に文明の波を掲げて共に文明の苦楽を共にするの外あるべからざるなり。

文明は猶なお麻疹ましん(はしか)の流行の如し。目下東京の麻疹は西国長崎の地方より東漸して、春暖と共に次第に蔓延するものの如し。この時に当りこの流行病の害を悪にくみてこれを防がんとするも、果してその手段あるべきや。我輩断じてその術なきを証す。有害一辺(有害なだけ)の流行病にても尚且なおかつその勢には激げきすべからず。いわんや利害相伴ふて常に利益多き文明においてをや。まさにこれを防がざるのみならず、力つとめてその蔓延を助け、国民をして早くその気風に浴せしむるは智者の事なるべし(知識人の義務である)。

西洋近時の文明が我日本に入りたるは嘉永(嘉永年間)の開国を発端として、国民漸ようやくその採るべきを知り、漸次に活発の気風を催ふしたれども、進歩の道に横はる(妨害する)に古風老大の政府(徳川幕府)なるものありて、これを如何いかんともすべからず。政府を保存せんか、文明は決して入るべからず。如何となれば近時の文明は日本の旧套きゅうとう(古いしきたりや慣習)と両立すべからずして、旧套を脱すれば同時に政府もまた廃滅すべければなり。

しからば則ち文明を防てその侵入を止めんか、日本国は独立すべからず(存立できない)。如何いかんとなれば(なぜかといえば)世界文明の喧嘩繁劇は東洋孤島の独睡を許さゞればなり。是に於てか我日本の士人は国を重しとし政府を軽しとするの大義に基き、又幸に帝室の神聖尊厳に依頼して、断じて旧政府を倒して新政府を立て、国中朝野の別なく一切万事西洋近時の文明を採り、独り日本の旧套きゅうとうを脱したるのみならず、亜細亜全洲の中に在て新に一機軸を出し、主義とする所はただ脱亜の二字にあるのみなり。

 我日本の国土は亜細亜の東辺に在りといえども、その国民の精神は既に亜細亜の固陋ころう(古い習慣や考え)を脱して西洋の文明に移りたり。しかるにここに不幸なるは近隣に国あり、一を支那と云い、一を朝鮮と云ふ。この二国の人民も古来亜細亜流の政教風俗に養はるゝこと、我日本国に異ならずといえども、その人種の由来を殊ことに(別に)するか、ただしは同様の政教風俗中に居ながらも遺伝(残し伝えられている)教育の旨に同じからざる所のものあるか、日支韓三国相対し(この三国を比べると)、支と韓と相似るの状さまは支韓の日におけるよりも近くして、この二国の者共は一身に就き又一国に関して改進の道を知らず。

交通至便の世の中に文明の事物を聞見せざるに非あらざれども耳目の聞見は以て心を動かすに足らずして、その古風旧慣に恋々するの情(こだわる様子)は百千年の古いにしえに異ならず、この文明日新の活劇場に教育の事を論ずれば儒教主義と云ひ、学校の教旨は仁義礼智と称し、一より十に至るまで外見の虚飾のみを事として、その実際においては真理原則の知見なきのみか、道徳さえ地を払ふて残刻不廉恥を極め、なお傲然として自省の念なき者の如ごと

我輩を以てこの二国を視れば今の文明東漸の風潮に際し、とてもその独立を維持するの道あるべからず。幸にしてその国中に志士の出現して、先づ国事開進の手始めとして、大にその政府を改革すること我維新の如き大挙を企て、先づ政治を改めて共に人心を一新するが如き活動あらば格別なれども、もしも然しからざるにおいては、今より数年を出でずして亡国となり、その国土は世界文明諸国の分割に帰すべきこと一点の疑あることなし。

如何いかんとなれば(なぜなら)麻疹に等しき文明開化の流行に遭ひながら、支韓両国は其伝染の天然に背そむき、無理にこれを避けんとして一室内に閉居し、空気の流通を絶たちて窒塞(窒息)するものなればなり。輔車ほしゃ唇歯しんし(車の添え木と荷台や唇と歯のようにお互いを必要とする関係)とは隣国相助くるの例たとえなれども、今の支那朝鮮は我日本のために一毫の援助とならざる(少しも助けにならない)のみならず、西洋文明人の眼を以てすれば、三国の地利相接するがために、時にあるいはこれを同一視し、支韓を評するの価を以て我日本に命ずる(日本をも支韓と同じようなものと評価する)の意味なきに非ず

例へば支那朝鮮の政府が古風の専制にして法律の恃たのむべきものあらざれば、西洋の人は日本もまた無法律の国かと疑ひ、支那朝鮮の士人が惑溺深くして科学の何ものたるを知らざれば、西洋の学者は日本もまた陰陽五行の国かと思ひ、支那人が卑屈にして恥を知らざれば、日本人の義侠もこれがために掩はれ、朝鮮国に人を刑するの惨酷なるあれば、日本人もまた共に無情なるかと推量せらるゝが如き、是等の事例を計れば、枚挙に暇いとまあらず。

これを例へば比隣軒を並べたる一村一町内の者共が、愚にして無法にして然しかも残忍無情なるときは、稀にその町村内の一家人が正当の人事に注意するも、他の醜に掩はれて湮没(埋没)するものに異ならず。その影響の事実に現はれて、間接に我外交上の故障を成す(日本外交の支障となる)ことは実に少々ならず、我日本国の一大不幸と云ふべし。

されば、今日の謀はかりごとを為すに、我国は隣国の開明を待て共に亜細亜を興おこすの猶予あるべからず、むしろその伍を脱して西洋の文明国と進退を共にし、その支那朝鮮に接するの法(対応のしかた)も隣国なるが故にとて特別の会釈に及ばず、まさに西洋人が之に接するの風に従て処分すべきのみ。悪友を親しむ者は共に悪友を免かる可らず。我は心において亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり。

この『脱亜論』については、無署名記事であることから福沢自身の筆になるものではないとか、福沢が肩入れしていた金玉均らによる朝鮮王国内クーデターが失敗したことへの苛立ちから書かれたものだとかの議論があるが、ここに見られるような中国朝鮮への蔑視と侵略の正当化は福沢の思想においてほぼ一貫しており、これが例外的なものと見ることはできない。[1]

(1) 「脱亜論」の内容は、本書資料篇の発言分類では[文][蔑][植]の三点から成り立っている。本章2で考察した中期福沢の保守思想確立の書である『時事小言』が「文・蔑・植」をふくむ九つのマイナスの発言分類を網羅した著作であることはすでに見た。つまり、[文]明史観から見て[蔑]視せざるをえない国は[植]民地支配も止むをえないという「文・蔑・植」からなるアジア認識は、諭吉にとっては「脱亜論」より四年も前に提出済みのものである。(略)

(2) つまり、「脱亜論」の内容にはなに一つ新しいものはないのである。唯一、新しいのは「脱亜」という言葉であり、この表現が直截で分かりやすく印象的な表現であるために、後世の人の記憶によりつよく刻印されることになった。しかし、幕末初期啓蒙期以来、林則徐や洪秀全への愚弄に見たように、米帝国主義列強の武力侵攻をともなう強圧外交に対して、「蟷螂の斧」をふるおうとするアジア諸国民を一貫して「野蛮」「未開」「暴民」「土人」の行為と罵り続けてきた福沢諭吉は、もともと初期から「脱亜」の姿勢をとっていたのであり、その自らの一貫した姿勢をここで「脱亜」と表現しただけのことである。(略)

明治以来の日本人は、福沢に代表されるように、「文明開化」した自分たちは遅れた「アジア」とは違う、だから自分たちは欧米列強と同じようにアジアから「奪う側」として振る舞っていいのだ、と自らの野蛮な帝国主義的欲望を正当化してきた。福沢が「むしろその伍を脱して西洋の文明国と進退を共にし」と述べたように、日本人は自らアジア諸民族の一員であることを捨てたのだ。

日本人が再びアジア諸民族の仲間に戻るには、今まで自分たちがやってきたことへのケジメをつける必要がある。その具体的な方法についてはこちらの記事で述べた。そうして初めて、日本人は「アジアの人々」などという持って回った言い方をしなくて済むようになる。

[1] 安川寿之輔 『福沢諭吉のアジア認識』 高文研 2000年 P.127-129

 

福沢諭吉のアジア認識―日本近代史像をとらえ返す

福沢諭吉のアジア認識―日本近代史像をとらえ返す

 

 

小林よしのり徹底批判(3)ガンディーには見抜かれていた

歴史認識

小林よしのりは、欧米帝国主義諸国によって奴隷状態に置かれ、白人支配者への抵抗など夢想もできなかったアジア諸民族に、日本軍がアジア人でも白人に勝てることを見せて希望を与えたと主張し、これを旧大日本帝国正当化の主要な論拠としている。そしてこのロジックを補強するために、当時のアジア諸民族の指導者たちは緒戦での日本の勝利を歓迎し、非常に「親日的」だったと述べている。[1]

日本が白人を追い散らした時

インドのガンジーも チャンドラ・ボース

インドネシアスカルノ

ビルマのアウン・サンも

みんな大喜びしたのだ

アジア人が白人と戦って勝てるのだと!

侵入してきた日本軍に対してスカルノやアウンサンがどのような対応をしたかは前回記事に書いたとおり。

インドに関して言えば、確かにチャンドラ・ボースは日本軍の快進撃を対英独立の好機ととらえ、インド国民軍を率いてインパール作戦に参加するほどだったが、ガンディーはそんなに甘くはなかった。(ちなみにチャンドラ・ボースは、日本の敗北が決定的になると、次はソ連に頼ろうとした。)

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小林は欄外コラムでこんなことを書いているが、この1942年4月の(全インド会議派委員会の)決議草案全文を、片山さんという翻訳家の方がサイト「ガンジーの言葉の窓」に掲載されている。

全インド会議派委員会決議草案
   (書かれたのは1942年4月24日以前、4月27日の委員会に提出された)

(略)

 当委員会は、日本政府と日本国民に対して保証したいと思いますが、インドは日本に対しても、他のどの国に対しても、敵意を持っていません。インドはあらゆる外国の支配から自由になることだけを望んでいます。しかし、自由を得る闘いにおいて、インドは世界が共感してくださることは歓迎しますが、外国の軍事的支援は必要としていません。インドは、非暴力の力で自由を勝ち取り、同様にしてその自由を保持します。ですから、当委員会は、日本がインドに対してどのような下心も抱かないことを希望します。しかし、もし日本がインドを攻撃し、英国がインドの主張にどんな反応も示さないならば、当委員会は、会議派の指南を求めるすべての人が、日本軍に対して完全な非暴力非協力を示して、どんな支援も提供しないことを期待します。攻撃された者が、攻撃してきた者に対して支援を提供する義務は全くありません。完全な非協力を貫くのが、彼らの義務となります。

 非暴力非協力の単純な原則を理解するのは、困難なことではありません。

 1.侵略者に膝を屈することもしませんし、彼らのどんな命令にも従いません。

 2.侵略者の歓心を買おうとしませんし、賄賂に心が動かされることもありません。しかし、侵略者に対してはどんな敵意も抱かず、その人の不幸を願うこともしません。

 3.侵略者が我々から土地を奪おうとするなら、我々は抵抗する過程で死なねばならないとしても、それを手放すことを拒否します。

 4.侵略者が病気に倒れたり、のどが渇いて死にそうになって、我々の助けを求めるのであれば、それを拒むことはしません。

 5.英軍と日本軍が戦闘状態にあるような場では、我々の非協力も実を結びませんし、無駄なことです。目下の所、我々の英国政府に対する非協力は、限定的なものになっています。日英が実際に戦闘状態にあるときに、英国に対して完全な非協力を貫くなら、インドをわざわざ日本の手中に差し出すも同然のことになってしまうでしょう。ですから、英軍の進路にどのような障害物も置かないことにします。日本に対する我々の非協力を示すには、まずこれ以外に方法はないでしょう。だからといって、我々は積極的に英国を支援するわけではありません。(略)

ガンディーは日本による「軍事的支援」を拒絶し、もし日本がインドに侵入しイギリスと戦うことになったら、完全な非暴力不服従の姿勢で侵略者に抵抗すると言っている。これをどう読めば「非常に親日的」と評価できるのだろうか。

また、ガンディーはこの草案と同じ頃(4月26日)、インドの新聞『ハリジャン』で次のように語っている。(「ガンジーの言葉の窓」より引用

Q: もし、日本の言うことが本当にその通りであり、英国のくびきからインドを自由にするのを助けたいと、日本が思っているのであれば、その申し出を喜んで受けたらよいのではありませんか?。

A: 侵略者が恩人になってくれることがありうると思い込むのは、愚かなことです。日本は、インドを英国のくびきから自由にしてくれるかもしれません。しかし、代わりに日本のくびきを負わせるだけのことです。インドを英国のくびきから自由にするのに、他者のどんな勢力の助けも求めてはならないと、私はいつも主張してきました。そのようなことは非暴力のやり方ではありません。英国に対抗するのに、外国の助けを借りることにするなら、高い授業料を払わねばならないでしょう。非暴力の行動によって、我々は目標を達成するのに、あと一歩の所まで来ています。私が非暴力を信じる気持ちに揺らぎはありません。私は日本にどんな敵意も持っていません。しかし、日本がインドに下心を持っていることを、平然と静観することはできません。自由人としての我々が、日本と敵対していないことを、どうして彼らは理解しないのでしょうか。日本にはインドをそっとしておいてもらいたいものです。もし、日本が善意でというのであれば、日本が中国にもたらした惨状に価する一体何を、中国がしたというのでしょうか。

さらにガンディーは同年7月、「すべての日本人に」と題した論説で、次のように述べた[2]。

 最初にわたしは……あなたがたが中国に加えている攻撃を極度にきらっていることをはっきり申し上げておかなければなりません。あなたがたは、崇高な高みから帝国主義的な野望にまで堕してしまわれたのです。あなたがたはその野心の実現に失敗し、ただアジア解体の張本人になり果てるかもしれません。      

ガンディーとともに独立運動を指導し、後にインドの初代首相となったネルーも日本を厳しく批判し、既に日中戦争期から中国を支援していた[3]。

 中国を侵略する日本を厳しく批判する点では、ネルーも同じであった。会議派は、38年9月、抗日戦を戦う中国に医療援助をするために、インド医療使節団を派遣した。これは、アグネス・スメドレー(略)と朱徳(中国革命の指導者。八路軍総司令、中国人民解放軍総司令などを歴任)から働きかけを受けてネルーが決断し、全インドから募金を募って実現させたものである。5名の医師からなる使節団にできることは限られていたが、彼らは印中連帯のシンボルであり、中国で大歓迎を受けた

日本が中国で何をやっているかを見れば、これから日本が東南アジアやインドで何をやり出すかは明白だったのだ。いくら美辞麗句を弄しても、日本の帝国主義的野望はガンディーやネルーには見抜かれていた。

[1] 小林よしのり 『新ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』 幻冬舎 1998年 P.31
[2] 中里成章 『パル判事』 岩波新書 2011年 P.135
[3] 同 P.136

 

脱ゴーマニズム宣言―小林よしのりの「慰安婦」問題

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パル判事――インド・ナショナリズムと東京裁判 (岩波新書)

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小林よしのり徹底批判(2)偽りの「アジア解放」「大東亜共栄圏」

歴史認識

■ 「日本はアジア解放のために戦った」、とはっきり言えない『戦争論』

侵略戦争を実行するには、それを正当化する大義名分が必要となる。アジア太平洋戦争の場合、日本は「大東亜共栄圏」の建設を戦争目的として掲げた。すなわち、アジアの諸民族を欧米列強による植民地支配から解放し、独立諸国からなる平等・互恵的なアジア国家連合を実現する、というものだ。

小林もこの線に沿って戦争の正当化を図っている。しかし、マンガの特性を生かして絵で盛んに雰囲気を盛り上げようとはしているものの、テキストを抜き出してみると、言っている内容は意外なほど控えめというか、尻すぼみなことがわかる[1]。

「八紘一宇」「大東亜共栄圏」といえば 日本が戦争をする言い訳用のスローガンだと 昔はわしも思っていた

そんな言葉 持ち出すやつは右翼だと わしも思っていた

八紘一宇というのは 「天皇の下ですべての民族は平等」 ということだが この政治的主張は 単なるフィクションではなかった

じつはかなり本気の主張であることが証明されてきているのだ

第二次大戦で日本はドイツと同盟国だった

ドイツは「日本もユダヤ人を排斥しろ」と再三圧力をかけてきたが 日本政府は「全面的にユダヤ人を排斥するは八紘一宇の国是にそぐわない」と はねつけたのである

民族差別をしないという八紘一宇の主張を日本は貫いていた!

(略)

東アジアでも日本はアジア人と戦ったのではない

アジアを植民地化していた差別主義者・欧米人と戦ったのだ

「八紘一宇」の政治的主張のもとに 日本は敵国の人種差別とも同盟国の人種差別とも戦っていた

そして戦争が終わってみるとアジアは次々と独立し 白人は黄色人種からの収奪ができなくなってしまった

アジアでの戦争の話をしているのに、「八紘一宇」精神で民族差別をしなかったという主張の根拠がなぜヨーロッパのユダヤ人の扱いなのか(朝鮮人や中国人はどうした?)とか、中国で日本が戦っていた相手も欧米人だったのか?、といったあたりでまずお話にならないのだが、ここで注目すべきは最後の部分である。

あいまいで断片的な表現と全体の流れから何となく誤解しそうになるが、実はここで小林は、日本がアジア解放のために欧米列強と戦った、とは言っていない。これは、日本が欧米相手に戦争をしたおかげで、結果的にアジア諸国は独立できた(植民地支配から解放された)、という主張だ。

戦争当時の日本政府の主張、例えば明確に戦争目的としてアジア解放を掲げた大東亜共同宣言(1943年11月)などと比べると、ずいぶん後退してしまっている。

(略)

大東亜各国は相提携して大東亜戦争を完遂し、大東亜を米英の桎梏より解放してその自存自衛を全うし、左の綱領に基き大東亜を建設し、もって世界平和の確立に寄与せんことを期す。

一、大東亜各国は共同して大東亜の安定を確保し道義に基く共存共栄の秩序を建設す

一、大東亜各国は相互に自主独立を尊重し互助敦睦の実を挙げ大東亜の親和を確立す

(略)

■ 「アジア解放のための戦争」という嘘

なぜ当時の政府・軍部と同様にアジア解放のための戦争だったとはっきり主張しないのか? 戦後の歴史研究によって、そんなものは大嘘だったことが既に立証されているからだ。

開戦直前の1941年11月20日、大本営政府連絡会議は次のような「南方占領地行政実施要領」を決定した。もちろん機密文書であり、対象とされる「南方占領地」の人々はもちろん、日本人でも政府・軍部の中枢にいる一部の者たち以外は知ることができなかった。

南方占領地行政実施要領

第一 方針

占領地に対しては差し当り軍政を実施し治安の恢復、重要国防資源の急速獲得および作戦軍の自活確保に資す
占領地領域の最終的帰属ならびに将来に対する処理に関しては別に之を定むるものとす

第二 要領

(略)

七、国防資源取得と占領軍の現地自活の為民生に及ぼさるるを得ざる重圧は之を忍ばしめ、宣撫上の要求は右目的に反せざる限度に止むるものとす

八、米、英、蘭国人に対する取扱は軍政実施に協力せしむる如く指導するも、之に応ぜざるものは退去其の他適宜の措置を講ず
枢軸国人の現存権益は之を尊重するも、爾後の拡張は勉めて制限す
  華僑に対しては蒋政権より離反し我が施策に協力同調せしむるものとす
  現住土民に対しては皇軍に対する信倚観念を助長せしむる如く指導し、其の独立運動は過早に誘発せしむることを避くるものとす

(略)

開戦前の段階で既に、東南アジアの占領目的は戦争のための資源獲得であること、そのために現地住民に課すことになる重圧は耐え忍ばせること、日本が解放しに来てくれたなどと誤解して独立運動が起きないよう抑制することが明記されている。

さらに、1943年5月31日の御前会議で決定された「大東亜政略指導大綱」(こちらも機密文書)には次のように書かれている。

大東亜政略指導大綱

第二 要綱

(略)

四、対緬(ビルマミャンマー)方策

  昭和18年3月10日大本営政府連絡会議決定 緬甸独立指導要領 に基づき施策す

五、対比(フィリピン)方策

  成るべく速に独立せしむ
  独立の時機は概ね本年10月頃と予定し、極力諸準備を促進す

六、其他の占領地域に対する方策を左の通定む
  但し(ロ)(ニ)以外は当分発表せず

(イ) 「マライ」「スマトラ」「ジャワ」「ボルネオ」「セレベス」は帝国領土と決定し、重要資源の供給源として極力之が開発ならびに民心の把握に努む

(ロ) 前号各地域に於ては、原住民民度に応じ努めて政治に参与せしむ

(ハ) ニューギニア」等(イ)以外の地域の処理に関しては、前二号に準じ追て定む

(ニ) 前記各地に於ては当分軍政を実施す

七、大東亜会議

  以上各方策の具現に伴ひ、本年10月下旬頃(比島独立後)大東亜各国の指導者を東京に参集せしめ、牢固たる戦争完遂の決意と大東亜共栄圏の確立とを中外に宣明す

マレーシアとインドネシア主要部(スマトラ島、ジャワ島、ボルネオ島セレベス海域)は、解放どころか日本の領土に編入してしまう方針が明記されている。ニューギニア等の地域もいずれ日本領にするつもりだった。ちなみに、現地住民を「原住民」「土民」呼ばわりする日本が彼らを差別していなかったなどという主張は笑うしかない。

この「大綱」でビルマとフィリピンは独立させるとしているが、いずれも傀儡政権であり、「独立」は見せかけだけのものだった[2]。

 日本は43年8月ビルマの、10月フィリピンの「独立」を認め、両国での軍政は形式上は廃止された。しかし42年8月の「軍政総監指示」は「この独立は軍事、外交、経済等にわたり帝国の強力なる把握下に置かるべき独立なる点特に留意を要する」としており、日本の軍事的支配という実態はかわらなかった。

 この両国および満州国汪政権・タイなど対日協力政権の代表者を東京にあつめて、43年11月、大東亜会議が開かれ、「大東亜共同宣言」を発表したが、占領の実態からかけ離れた美辞麗句をならべたものであった。

軍事、外交、経済のすべてを他国に握られている国のことを、普通は独立国とは呼ばない。また、フィリピンは日本が「独立」させるまでもなく、以前から米国が1946年7月に独立を与えると約束しており、戦後はその約束どおりにフィリピン第三共和国として独立した。

ビルマに関しては、「独立」直前に東条英機が語った次のような発言が残されている[3]。正直な本音の吐露である。

ビルマ国は子供というより寧ろ嬰児なり。一から十迄我方の指導の下にあり。それにもかかわらず本条約が形式上対等となり居るはビルマ国を抱き込む手段なり

■ 「日本のおかげ」論も成立しない

以上のように、日本が欧米植民地主義からアジアを解放するために戦ったという主張は到底成立し得ない。では、日本が強大な欧米列強に戦いを挑んだおかげで戦後アジア諸国は独立できたのだ、という主張の方はどうだろうか。

改めて『戦争論』からこの線に沿った主張をしている部分を抜き出してみると、次のようになる[4]。

それでも 有色人種を下等なサルとしか思ってなくて 東アジアを植民地にしていた差別主義欧米列強の白人どもに…

目にもの見せてくれた日本軍には拍手なのである!

開戦当初 日本軍は それはそれは ものすごく 強かったらしい

(略)

当時のアジア人は 白人に勝てるなどとは夢にも思ってなかった

すっかり屈服して奴隷状態だった

(略)

欧米白人帝国主義者どもとは いっぺんアジアのどこかの国が戦ってみせなきゃいけなかった

日本がそれをやったのである

(略)

昭和20年8月15日 終戦

しかし その後アジアは 黄色人種が白人に抵抗していいんだと気づき 次々 独立戦争を起こし

インドネシアでは 日本兵がこれを助け

アジアから欧米侵略軍を追っ払ってしまった

アジアの地図は 日本が起こした大東亜戦争の前と後では すっかり変わってしまったのである

アジアの人々は、白人の軍隊を圧倒した日本軍の強さを見て、アジア人だって白人と戦えるのだという勇気をもらい、次々と独立戦争を起こした…のだそうだ。

だが、この理屈は明らかにおかしい。日本軍が勝っていたのは奇襲と電撃戦で何の準備もしていなかった欧米諸国の軍を出し抜いた最初のうちだけで、開戦後半年も経つと形勢は逆転、あとはひたすら押しまくられ、餓死者の山を築きながら敗退を重ねて、最後はみじめに無条件降伏したではないか。もし本当にアジアの人々が「強い日本軍」を見て勇気をもらったのなら、そんなものは「惨敗する日本軍」を目の当たりにして雲散霧消、「ああ、やはりアジア人ではどうやっても白人には勝てないのだ」と意気消沈して独立戦争どころではなかったはずだ。

実際にはどうだったのか? そもそも勇気をもらうこともなかったし、だから意気消沈もなかったのだ。

具体的に見てみよう。

繰り返しになるが、まずフィリピンの状況。アメリカはフィリピンに1946年には独立を与えると約束しており、1935年時点で既に自治政府が成立していた。ここに日本軍が攻め込んだわけだが、その結果もたらされたのは凄まじい支配と収奪だった。だからフィリピン人民はユサッフェ・ゲリラやフクバラハップ団といった抗日組織を作って(小林によれば憎むべき白人帝国主義者だったはずの)アメリカ軍に協力し、大戦末期にマッカーサーが戻って来るとこれを歓呼の声で迎えた。そして戦後、フィリピンは約束通り1946年に独立した。[5]

マラヤ(マレーシア・シンガポール)でも、日本軍に抵抗する激しいゲリラ活動が行われた[6]。

 マラヤにおいても状況はフィリピンに酷似していた。抵抗運動の核はマレー系華人である。彼らはシンガポール防衛戦にあたって義勇軍を組織し、もっとも勇敢に戦った。そのことが、シンガポール入城後の日本軍によるマレー系華人大量虐殺事件のひきがねになったといわれる。この虐殺事件は、結果としてマレー系華人たちの抵抗運動をいっそうつよめ、彼らの多くはジャングルに潜伏して破壊活動をつづけていった。

日本軍占領下のシンガポールの状況についてはこちらの記事を参照のこと。シンガポール以外のマレーシア各地でも華僑虐殺が行われ、約10か所にその慰霊碑が建てられている[7]。

華僑虐殺慰霊碑

ビルマ(ミャンマー)では、1930年に反英独立を目指す秘密組織タキン党が結成され、農民による武装蜂起も発生している。これだけでも、「すっかり屈服して奴隷状態」への反証と言えるだろう。このタキン党のリーダーが建国の父アウンサンで、日本は彼を懐柔して利用しようとしたが、日本による収奪はイギリス以上にひどかったため、アウンサンはひそかに抗日組織(反ファシスト人民自由連盟)を作り、1945年3月27日にアウンサン指揮下のビルマ国民軍がいっせいに蜂起、日本軍と傀儡政府を追い出した。この日がビルマ国軍の建軍記念日である。[8] その後、ビルマは戻ってきたイギリスとも戦い、1948年に独立を勝ち取った。

ベトナムでは、1910年代から反仏独立運動が始まり、1930年には複数の武装蜂起が発生している。これも「すっかり屈服して奴隷状態」への反証である。そして、日本がベトナムを占領すると、ホー・チ・ミンはただちにベトナム独立同盟会(ベトミン)を組織して対日武装闘争の準備を始めている。日本はフランスの植民地政府をそのまま利用してベトナムを支配し、膨大な食糧を収奪した。その結果1944年から45年にかけて空前の大飢饉が発生し、100万から200万の餓死者が出た。1945年9月2日にホー・チ・ミンが発したベトナム民主共和国独立宣言は、日本の略奪により200万人のベトナム人民が餓死したと述べている。[9]

歴史修正主義者たちが好んで取り上げたがるインドネシアでは、宗主国オランダによる独立運動への弾圧が激しかったため、日本軍がやってくると独立運動の指導者たちはこれに協力した。しかしそれは日本軍を信用したからではなく、民族独立運動に役立つ場合に限って日本軍に協力する、というものだった。運動のリーダーだったスカルノ、ハッタ、シャフリルは役割を分担し、スカルノとハッタが表面に立って日本軍に協力し、シャフリルは非協力者として地下活動に入った。そして日本が敗北すると、今度はシャフリルが首相となってオランダとの交渉にあたった。インドネシアは1949年、アメリカを中心とする国連の介入によりオランダからの独立を果たす。[10]

どの国も、強い日本軍から勇気をもらって白人への抵抗を始めたわけではない。「日本のおかげ」論も、やはり成立し得ないのである。

備考 本記事で当時の政府文書を引用させていただいたサイト「1945年への道」は、史料の充実度、解説ともに非常に優れている。引用部分以外もぜひ参照していただきたい。



[1] 小林よしのり 『新ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』 幻冬舎 1998年 P.35-36
[2] 江口圭一 『日本の歴史(14) 二つの大戦』 小学館 1993年 P.411-412
[3] 上杉聰 『「アジア解放戦争論」の系譜』 戦争責任研究 No.26(1999年冬季)P.28
[4] 小林 同 P.30-32
[5] 江口圭一 『日本の侵略と日本人の戦争観』 岩波ブックレット 1995年 P.35
[6] 小林英夫 『日本軍政下のアジア』 岩波新書 1993年 P.168
[7] 江口 『日本の歴史(14) 二つの大戦』 P.409
[8] 江口 『日本の侵略と日本人の戦争観』 P.35-37
[9] 同 P.44
[10] 上杉 同 P.30-32

 

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小林よしのり徹底批判(1)「大東亜戦争」とか言ってる時点で既にダメ

歴史認識

■ 小林批判の必要性

今さら感はあるが、やはり小林よしのりはきっちり批判しておく必要があるだろう。

なんといっても、小林には結果としてネトウヨだの在特会だのといった、現代日本社会における最悪の反動層を生み出した製造物責任がある。もちろん小林一人のせいではないが、読みやすく印象操作のやりやすいマンガという手段を駆使した小林の影響力は非常に大きかった[1][2]。

 日本をナメる中国。そして日本を貶める在日。いつか日本はやられてしまう。そうした思いから、荒巻は「強い日本を目指すため」に活動を始めるのである。小林よしのりの本を読み産経新聞に目を通した。そしてネットで在特会を知った。

※京都朝鮮学校妨害事件、徳島県職員組合事務所乱入事件での逮捕者の一人

(略)一九九八年には小林の『戦争論』が発売され、漫画という手法で歴史修正主義の主張が堂々とまかり通るようになった。ネット右翼の活動家を取材した石橋英昭は「取材相手の多くが、小林よしのり氏の漫画『ゴーマニズム宣言』に影響を受けたと話したのが、印象的だ」と述べている。

 小林の『戦争論」は、「日本会議」の主張をそのまま漫画にしたような内容で、目新しいものではないが、漫画という表現手法や「大東亜戦争肯定論」を「公共心」の問題と関連付けた点は「新しさ」「面白さ」「痛快さ」があった。(略)

最近の小林はネトウヨを批判しているという。つまり、彼らを生み出した自分の責任にはまったく無自覚なのだ。自己批判が期待できないとなれば、外部から逐一問題点を指摘してやるしかない。

批判の対象としては、やはりまず『戦争論』を取り上げることにする。

■ 戦争論=「大東亜戦争」正当化論

小林の『戦争論』は、一言で言ってしまえば、アジア諸国民の死者二千万、日本人にも三百万という惨禍をもたらした先の大戦を正当化し、旧帝国政府・軍部を免責するために書かれた歴史修正主義マンガである。この歴史の歪曲・修正を始めるにあたって、まず小林は先の大戦を「大東亜戦争」と呼ぶべきだという主張から始める[3]。

今から50数年前 日本は東アジア全域で戦争をした

相手は支那(中国)大陸の毛沢東率いる中共軍 蒋介石率いる国民党軍 アメリカ・オランダ・イギリス・フランスなどである

教科書に載っているように太平洋戦争っていったらアメリカとだけ戦ったような気がするが…

日本はアジアに大東亜共栄圏を作ろうという とんでもない構想を後づけにせよ掲げて戦ったので 大東亜戦争 と呼んだほうが わかりやすい

中には「大東亜戦争」と聞いただけで右翼とレッテル貼りしてくる人もいるが 知ったこっちゃない

「大東亜」のほうが 大・東アジアだから 戦場がわかりやすいのだ

小林はこう言うが、では最初にアメリカに喧嘩をふっかけたハワイの真珠湾東アジアなのか? 米軍相手にロクな補給もなく「餓島」と呼ばれるほどの凄惨な戦いを繰り広げたガダルカナル島も東アジアなのか? 水木しげる氏が左腕を失ったニューブリテン島パプアニューギニア東部)は?

「戦場がわかりやすい」というなら、もちろん現在の標準的な呼称である「アジア太平洋戦争」のほうがはるかにわかりやすい。にもかかわらずこれを「大東亜戦争」と呼びたがるのは、戦争当時政府がこの呼称を使ったのと同じ意図、つまり、アジア諸国への侵略を欧米植民地主義からのアジアの解放(「大東亜共栄圏」建設)に見せかけたいという意図があるからだ。

「「大東亜戦争」と聞いただけで右翼とレッテル貼りしてくる」人の判断はまったく正しい。小林も含め、この呼称を使いたがる者たちは、戦争責任を否定し、日本の侵略戦争を正当化しようとする者たちなのだ。

[1] 安田浩一 『ネットと愛国』 講談社 2012年 P.124
[2] 田中彰 『ネット右翼歴史修正主義』 戦争責任研究 No.85(2015年冬季号)
[3] 小林よしのり 『新ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』 幻冬舎 1998年 P.27-28

 

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