歴史認識-沖縄戦
考えてみれば、これは当たり前のことかもしれない。 16歳で自ら海軍に志願し、少年兵として戦艦武蔵の最期を生き延びた渡辺清氏は、無条件降伏という最悪の事態に至っても自決も退位もしようとせず、それどころか敵の総司令官マッカーサーにすり寄って保身を…
8月15日の東京新聞に、沖縄戦で米軍の捕虜となった元日本兵のインタビュー記事が載っていた。[1] 戦地で見た地獄絵図が、今もまぶたに焼き付いている。群馬県伊勢崎市の栗原夏雄さん(九九)は日中戦争で、軍命に従い捕虜を拷問し、銃殺した。沖縄戦では米…
最後まで降伏しなかった軍司令官がもたらした悲劇 前回記事で、沖縄の慰霊の日である23日、自衛官約30名が第32軍司令官牛島満中将らを祀った「黎明の塔」に「自主参拝」した問題を取り上げた。 しかし、この牛島司令官は、決して沖縄戦を最後まで戦った「悲…
今日は日本が沖縄を最終的に見捨てた日 今日、6月23日は、73年前、牛島第32軍司令官が自決して沖縄戦における日本軍の組織的抵抗が終わった日であり、そのため沖縄県は、この日をすべての沖縄戦戦没者の霊を慰める「慰霊の日」と定めている。 しかし、この…
小林は、そもそも事実でさえなかった呉淞桟橋襲撃事件を使って「便衣兵の脅威」を煽ったあと、こう力説する[1]。 よく「女子供の死体まであった」とかいう証言があるが女子供が便衣兵なら殺されたって仕方がない 田中正明著『南京事件の総括』にも、こうある…