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ただ座っているだけの少女像に踏みにじられる「日本人の心」とは?

「表現の不自由展・その後」が右派の脅迫のせいで中止に

国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」で開催されていた企画展「表現の不自由展・その後」が、右派の卑劣な攻撃に晒されたあげく、ついに展示中止に追い込まれた。

大村愛知県知事によれば、「撤去しなければガソリン携行缶を持ってお邪魔する」という、先日の京都アニメーション放火大量殺傷事件を連想させる脅迫FAXまで届いたという。[1]

河村たかしの妄言「(少女像は)日本人の、国民の心を踏みにじるもの」

この大炎上の火付け役となったのが河村たかし名古屋市長だ。

www.huffingtonpost.jp

名古屋市の河村たかし市長は8月2日、愛知・名古屋市などで開催中の「あいちトリエンナーレ2019」内の企画展「表現の不自由展・その後」を視察した。同企画で展示されている「平和の少女像」について、即刻展示を中止するよう大村秀章・愛知県知事に申し出ると発表した。

従軍慰安婦を象徴する「平和の少女像」は、彫刻家キム・ソギョン、キム・ウンソン夫妻が制作した。(略)

河村市長は、少女像が設置されることを7月31日の夜に初めて知ったという。2日正午に同展を視察。その後囲み取材に応じ、「どう考えても日本人の、国民の心を踏みにじるもの。いかんと思う」と話し、作品の展示を即刻中止するよう愛知県知事に求めると発表した。

作家のキム夫妻は1日、ハフポスト日本版の取材に対し、少女像は慰安婦が戦時中、戦時後に受けた苦痛を表現したもので、「反日の象徴ではなく、平和の象徴です」と話している。

河村はこの少女像が「日本人の心を踏みにじる」ものだと言うが、悪鬼の形相で少女を強姦する日本兵の図、とかならともかく(これだって日本軍の進撃した土地ではありふれた光景だったわけだが)、ただまっすぐ前を見つめて静かに座っているだけの少女像に踏みにじられてしまう「日本人の心」とはいったいどんな「心」なのか。

「慰安婦」への戦時性暴力は否定しようのない事実

河村が認めようと認めまいと、日本軍が朝鮮をはじめアジア各地から連行した少女や女性たちに「慰安所」での売春を強要し、性奴隷として強姦し続けたことはまぎれもない事実だ。

例えば、中国・漢口の慰安所で軍医として「慰安婦」たちの性病検査を担当した長沢健一氏は、こんな経験を記している。[2]

 週に一度の検査日のことである。(略)突然、女たちの流れが止まってカーテンの外側がざわめきはじめた。女の泣き声やなだめる声が聞こえる。(略)半円形に立っている女たちの真ん中で、戦捷館の「二階回り」が見慣れぬ若い女の手を取って引ったてようとしている。若い女は尻を引っこめ、二つ折りになったような格好で後ずさりしている。女は私の姿を見ると、追いつめられた犬のようなおびえた顔をし、いっそう尻ごみした。

 私は二階回りに手を離させ、カーテンの内側に誘って事情を聞いた。女は昨日午後、内地から来たばかりで、今日検査を受け、あしたから店に出すことになっているが、検査を受けないと駄々をこねて困っているという。

 私は女も呼び入れさせた。赤茶けた髪、黒い顔、畑からそのまま連れてきたような女は、なまりの強い言葉で泣きじゃくりながら、私は慰安所というところで兵隊さんを慰めてあげるのだと聞いてきたのに、こんなところで、こんなことをさせられるとは知らなかった。帰りたい、帰らせてくれといい、またせき上げて泣く。二階回りは、すっかり困りはてた様子である。

(略)

 翌日、昨日の女が同じ二階回りと業者にともなわれてやって来た。当人も承知しましたので臨時に検査をお願いしますという。(略)

 昨日、あれから業者や二階回りに説得され、一つや二つ頬ぺたを張り飛ばされでもしたのであろう、一晩中泣いていたのか、眼はふさがりそうに腫れ上がっていた。

 今日は覚悟してきたのか、おとなしく診察台に上がった。袖で顔をおおい、脚は緊張して固くなりぶるぶる震えていた。

 生娘ではないが、性交体験は少ないようであった。

 その翌日、私は外来と入院患者の診療を終えると、診察室に出られない患者を診に病室へ行った。病室の一番奥まで行ったとき、女の泣き声が聞こえてくる。窓から外を見ると、隣りの戦捷館の洗浄場の窓から、昨日の女が身を乗り出して吐いていた。吐物は茶色の液体で、味噌汁であろうか、それに白い飯粒がまじっていた。せき上げては吐き、吐き止まると、子供のように声を張り上げて泣く。泣くというより絶叫している。吐物がなくなるとゲッゲッと空えずきし、また泣きつづける。

(略)

 重い借金を背負い、帰るに帰れぬ故郷は遠い。親、兄弟、身内、友達、訴え救いを求める者はだれもいない。彼女のできることは、張りさけるような声で泣き叫ぶことだけであったろう。間もなく朋輩の慰安婦が現われて、肩を抱くようにして連れ去った。

女性の発言から見て、恐らく就業詐欺で連れて来られたのだろう。この女性は内地から来た日本人であり、また安全な後方地域である漢口の慰安所は、軍慰安所としては最も設備も整い、「慰安婦」の待遇も良かったはずだ。それでさえこうなのだ。

少女像を恐れるのは負の歴史から逃げ回る卑怯者だからだ

植民地であった朝鮮では、性病予防のため、感染している恐れのない処女を狙って「慰安婦」の「募集」が行われた。性体験もないまま連行され、戦地の粗末な「慰安所」に送り込まれた少女たちの境遇がどれほど過酷なものだったかは、想像に余りある。

私にはこの少女像は、戦時性暴力によって人生を根こそぎ奪われた被害者が、ありえたはずの自らの青春を静かに見つめている姿のように見える。そんな像を、自分たちの心を踏みにじる脅威であるかのように感じてしまうのはなぜか。それは、自国の犯した過去の犯罪行為を認める勇気を持てず、歴史を歪曲・改変して逃げ続けてきた卑怯者だからだろう。


[1] 『テロ予告や脅迫に挫折 「表現の不自由展」識者の見方は』 朝日新聞 2019/8/4
[2] 長沢健一 『漢口慰安所』 図書出版社 1983年 P.146-149

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