東京新聞は、日本のマスコミとしては非常に優秀な部類に入るが、それでも中にはダメ記者もいればダメ記事も載る。
1/16に載った 【私説・論説室から】国の予算を見つめると という記事など、そうしたダメ記事の典型と言っていいだろう。
以下、どこがどのようにダメなのか、具体的に見てみよう。
少し乱暴だが、国の二〇一二年度一般会計予算案を家計に置き換えると、次のようになるのだろう。
支出を九十万三千円と見込んだものの、お父さんの給料はその半分以下の四十二万三千円。借金を返し、大学生の長男に仕送りすると残りはわずか四万円。これでは食費や光熱費、医療費にも事欠くので、四十四万円を借りてやりくりしたが、既に借金は一千万円に膨れ上がってしまった。
「万円」を「兆円」にすると財政の姿になる。借金の国債発行額は国内総生産(GDP)比で先進国のどの国よりも高い。返済しようにも、社会保障など約五十兆円の政策経費すべてを削っても二十年はかかる。
2012年度の日本の一般会計予算案、つまり1年分の政府の財政収支を家計に置き換えてみるのだという。
しかしそれなら、お父さんの年収が42万3千円というのは少なすぎて現実味がない。ここは、スケールを1億分の1ではなく1000万分の1にして計算し直してみよう。
するとこの「家庭」では、お父さんの年収が423万円しかないのに1年間の支出は借金返済も含めて903万円。到底給料だけではやっていけないから年に440万円も借りていて、借金で借金を返済するしかない泥沼状態。積もりに積もった借金は既に1億円にもなっている、ということになる。
大変だ!すぐに支出を絞れるだけ絞って借金を返さなきゃ!と思ってしまいそうになるが、本当にそうだろうか?
まず、そもそもこの借金は、いったい誰から借りているものなのか?
普通、お父さんが借金するとしたら、銀行とかサラ金とか、家庭の外から借りるはずだ。このたとえ話を読んだ人だって、当然そう思うだろう。
だが、日本政府の借金である国債は、実はその95%以上が国内で消化されている。つまり、「家庭」の外から借りている、本当の意味での借金は500万円もないのだ。
年収423万円のお父さんが500万円の銀行ローンを抱えていたとして、大した問題だろうか?
また、別の言い方をすると、実はこの「家庭」では、子どもたち(国民※)がお父さん(政府)に9500万円もお金を貸していることになる。
それだけではない。お父さんの給料が年に423万円というが、この給料だって、実は税金という形で子どもたちが出してあげているものだ。つまりこの「家庭」では、子どもたちが稼いだお金から一定の割合で拠出してお父さんの給料を支払ってやり、それで足りない分は貸してあげているのだ。「大学生の長男に仕送り」なんて、とんでもない嘘っぱちである。こんな奇妙な「家庭」が、この世にあるだろうか?
ここまで見てくると、自分では1円も稼がずに支出する一方の政府を、唯一の稼ぎ手としてのお父さんに置き換えて考えること自体がおかしいことがわかる。政府の財政を家計に例えるというやり方自体が、相手に誤解させることを狙った、一種の詐術なのだ。
どうしても家計に例えて話をしたいのなら、政府だけでなく民間企業や個人まで含めた国全体を考えなければ意味がない。
そうするとどうなるか?
政府と民間企業、個人まで含めた日本国全体を「家庭」に例えると、この家の負債(借金)は5億3225万円にもなる。1億円どころではない。しかし一方で、この家は金融資産だけで5億5906万円もの資産を持っている。資産から負債を引いた正味の資産、純資産が2681万円もあるのだ。
破産寸前どころか、日本家(ひのもとけ)は町内一のお金持ちだったのだ。
ちなみに、2番目のお金持ちは、1680万円の純資産を持つ、お隣の中国家(なかくにけ)さん。その次は独逸家さんで1190万円。いずれにしても日本家がダントツである。そして、町内一たくさんの純負債を抱えた貧乏なお家は、3150万円も正味の借金がある米国家(よなくにけ)さんということになる。
とはいえ、日本家の家計にも問題はある。ほとんど子どもたちから借りている形とはいえ、お父さんに1億円も借金があるのは問題だし、子どもたちが貸してあげられる額にも限界があるからだ。そうなる前に、少しずつでもお父さんの借金を減らす方向に転換しなければならない。
財務省は、子どもたちからお父さんが取り上げるお金の割合を増やして、お父さんが使うお金は削ろうとしている。
だが、そんなことをしたら逆効果だ。
お父さんは無駄遣いをしているのではない。子どもたちがたくさんお金を稼げるように環境を整えてあげるのがお父さんの役割で、そのためには十分な財政支出が必要なのだ。それが足りないせいで、普通なら増えていくはずの家全体での稼ぎがじわじわ減り、その結果お父さんの取り分も少なくなって借金が増える、というのがここ20年以上日本家に続いている悪循環なのだ。20年間家業が成長していないなどという異常な家も、町内では日本家くらいしかない。
日本経済がバブル化した一九八〇年代後半、株式売買に課税される有価証券取引税が一気に膨らんだ。その時の蔵相(現財務相)、故宮沢喜一氏が「異常な経済状況であり、税の増収は長く続かない」と語ったことが今も脳裏をかすめる。
その指摘の通り、バブルは間もなく崩壊し、山一証券の経営破綻など金融危機の引き金になった。今の財政も異常と言うほかない。
気がかりはユーロ圏を揺さぶるヘッジファンドが日本の国債を次の標的にしないかだ。財務省などの国債担当者はまんじりもしない日々という。金利上昇などで国民に負担を強いる国債の暴落を防ぐ手だてが不可欠だ。今の日本に国債のリスク回避策を先延ばしする余裕はない。 (羽石 保)
財務省は当然、こうした事情をよーく分かっている。分かった上で、財政危機だ国債暴落だと、間違った方向に危機感を煽っている確信犯だ。財務官僚とは、自分たちの利権拡大のためなら大嘘をついて国民に損害を与えても平気な連中なのだ。
困るのは、マスコミやそこに登場する経済学者、経済評論家といった人たちが、無知なのか共犯なのか知らないが、財務省の嘘をそのまま拡散するプロパガンダを繰り返していることだ。政府の財政収支を家計に例えたり、国債を「国の借金」などと呼んだりしている時点で、既にその人に経済を語る資格はない。そんな人たちを信用してはいけない。
【参考】
- 三橋貴明 『「国の借金」意味分かって使ってる? 家計簿的発想で「国家のバランスシート」を見るなかれ』 日経ビジネスオンライン(2010.8.17)
- 山家悠紀夫 『日本は世界一のお金余り国』 ちいさいなかま(2010年11月号)
※本来なら「個人(外国籍住民を含む)、法人(民間企業)を含めた、この国の住民全体」と呼ぶべきだが、簡略化のため、ここでは慣例的な「国民」を使う。