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梅原猛氏が、東京新聞の連載コラムで話題のドラマ「半沢直樹」を取り上げていた。
ドラマ「半沢直樹」 資本主義のモラル
入社五年目でサラリーマン生活が板についた孫の一人がときどきわが家にやって来て、四方山話をしてじじばばを楽しませてくれる。ひと月ほど前、彼はテレビドラマ「半沢直樹」に感動したと語った。それで私も、日曜夜九時から放送されるそのドラマを後半から最終回まで五回ほど見た。
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私は最近のテレビ番組にいささかうんざりしている。朝は料理番組、昼は推理ドラマ、夜はNHKですらバラエティー番組などが多い。私はそのような番組に飽きて、自然・動物番組とスポーツ番組しか見ない習わしであったが、「半沢直樹」を見ていささか日本のテレビ番組を見直した。
そこには現代社会を誠実に生きようとする人間がいる。かつて社会性の強い番組といえば、マルクス主義がかった資本主義批判の番組であったが、このドラマは、資本主義を肯定しながらそのモラルを厳しく間うているところに特徴がある。
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「半沢直樹」の結末が印象的であった。不正に私利を図つたはずの大和田常務は常務から取締役への降格にとどまったが、正義の士、半沢直樹は子会社に出向することになった。これは、現代社会において必ずしも正義は勝たず、結局、喧嘩両成敗になる場合が多いことを物語っている。この冷酷な辞令を言い渡した北大路欣也扮する中野渡頭取は、大銀行の長としての堂々たる風格を感じさせた。
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私はこのドラマにはあまり感心しなかったのだが、それでも一応、梅原氏と同程度には見ている。
しかし、私のこの最終回に対する印象はまったく異なる。
頭取が大和田を平取への降格という軽い処分で済ませ、一方で「正義の士」半沢を出向という形で行外に放逐したのは、大和田に恩を売って決して逆らえない従順な部下にするためであり、また半沢のようなうるさい奴が行内にいては邪魔だからだろう。要するに、この頭取こそが最大のタヌキであり、この男はこうやって自分の派閥を拡大することでのし上がってきたのだ。つまり半沢は、大和田常務派を取り込むための道具として頭取にうまく使われたわけだ。
私の周囲での半沢評はおおむね上のようなものだったし、私もその通りだと思う。
やはり梅原氏の感性は、どこか重大なところで大きくズレているのではないか。
ところで、このドラマは果たして「資本主義のモラル」を厳しく問うているのだろうか?
このドラマで描かれた銀行の不正とは、高々200億の融資先(伊勢島ホテル)が倒産するとかしないとか、そんな程度の話である。また、半沢絡みでマスコミが取り上げている現実のメガバンクの不正も、みずほ銀行の暴力団融資問題くらいだ。
だが、いま最も問われるべき銀行の不正とは、そんなチンケな問題ではない。
汚染水対策はオリンピックのためではありません。10月と12月に控えた東電向け融資の借り換えと追加融資のためです。「国が前面に」というのは「東電はお金を出さない」「国民につけ回しする」。つまり、「東電は破綻させない」「銀行の債権は税金で返すから融資を継続して」という意味です。
2013-09-13 10:25:57 via web
福島第一原発事故の時点で当然破綻処理すべきだった東電を生き残らせ、血税と電気料金を際限なく食い続けるゾンビにしてしまった主犯格は、なんとしても貸し手責任を負いたくなかった銀行団である。そのうえ今度は、いったん事故が起これば対応などできないことが明白な東電に、「世界最大の原発」柏崎刈羽の再稼働を要求しているのだ。
もちろん経産省をはじめとする霞ヶ関もみんなグルである。
現在進行形でこんなことが起きているのに、『半沢直樹』の小さな悪叩きで視聴者の溜飲を下げさせるのは、「銀行の悪」などせいぜいこの程度と矮小化し、目の前の巨悪から目をそらさせる効果しか生まない。
要するに、ガス抜きである。