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リアル「トロッコ問題」としてのダム緊急放流

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■ 現実味がなさすぎる「トロッコ問題」

最近、AIを搭載した自動運転車との絡みでまた注目を集めている「トロッコ問題」だが、いくら思考実験だからと言われても、この問題設定はあまりに現実味がなさすぎる。例えばマイケル・サンデルの本に書かれているその内容は次の通りである。[1]

 あなたは路面電車の運転士で、時速六〇マイル(約九六キロメートル)で疾走している。前方を見ると、五人の作業員が工具を手に線路上に立っている。電車を止めようとするのだが、できない。ブレーキがきかないのだ。頭が真っ白になる。五人の作業員をはねれば、全員が死ぬとわかっているからだ(はっきりそうわかっているものとする)。
 ふと、右側へとそれる待避線が目に入る。そこにも作業員がいる。だが、一人だけだ。路面電車を待避線に向ければ、一人の作業員は死ぬが、五人は助けられることに気づく。
 どうすべきだろうか? ほとんどの人はこう言うだろう。「待避線に入れ! 何の罪もない一人の人を殺すのは悲劇だが、五人を殺すよりはましだ」。五人の命を救うために一人を犠牲にするのは、正しい行為のように思える。

どう考えても現実の鉄道でこんな馬鹿げた状況は起こりそうにないし、そんな事故が起きたなどという話も聞いたことがない。

ちなみに、この設問にどうしても答えろと言われたら、私なら何もしない(待避線に入らない)ほうを選ぶ。待避線上の作業員は、そこに高速で電車が突入してくるなどとは多分想像もしていないのに対して、通常運行の線路上の作業員は電車が通過することもあり得ると認識しているはずだ。しかも、五人いるのだから一人しかいない場合より気がつく可能性は高いし、一人でも危険に気がつけば全員が線路から逃げ出せる。

もっとも、そんなことを答えれば、「作業員は轢き殺されるまで誰も気がつかないものとする」という設定が追加されるだけだろう。なにしろ、この思考実験の目的は回答者に功利主義的に命の軽重を選ばせることなのだから。

■ リアル「トロッコ問題」としてのダム緊急放流

そんなふうに、「トロッコ問題」など現実には起こり得ないと思っていたのだが、昨年7月上旬の西日本豪雨の際、愛媛県を流れる肱川(ひじかわ)に設けられたダムの管理者たちはまさにこの問題に直面していたのではないかと気がついた。

西日本豪雨では肱川が氾濫し、下流の大洲市などで大規模な洪水が発生、計8名が死亡している。

愛媛新聞(2018/7/8)

愛媛県内豪雨 肱川氾濫 市街地のむ

 肱川が氾濫、市街地に押し寄せる水流―。愛媛県大洲市では7日、各地で住宅や車両などが浸水。断続的に雨が降り続く中、被害を受けた市民らは一気に増水してきた恐怖を語り、被害が広がらないことを願った。

 「言葉も出ない。あっという間に町が漬かっていった」。辺り一面冠水した阿蔵の田んぼや住宅を見ながら、下里地区の区長(64)が絶句した。久米小学校に避難した5年の男子(10)は「水が迫ってきて怖かったし、町の様子が変わって残念。早くいつも通りに戻ってほしい」と切実な表情で話した。

(略)

肱川が「一気に増水」し、「あっという間に町が漬かっていった」のは、上流の野村ダムや鹿野川ダムが緊急放流を行ったからだ。この放流は過去最大規模で、水量は下流域が浸水しない安全基準の約6倍に達していた。このため、マスコミではこの放流操作が適切なものだったかどうか、また放流に関する情報伝達が円滑に行われたか、といった観点から批判がなされている。[2][3]

画像出典:ANNnewsCH

しかし、この放流を行ったダム管理者の観点から見ると、当時彼らが「トロッコ問題」的なジレンマに追い込まれていたことがわかる。

想定外の豪雨でダムの水位がどんどん上がってくる。ダムを守るためにはこれ以上水位が上がらないよう、緊急放流を行わなければならない。しかし、それだけの量の水を流せば下流では洪水となり、被害が出ることが「はっきりとわかっている」。かといって放流しなければやがて危険水位を越え、最悪の場合ダムが崩壊して莫大な水量が一気に下流域を襲い、放流時とは比較にならない大被害が出る。

何もせずに大被害を出すか、それほどではないにせよ被害が出ることが分かっている操作を意図的に行うか。まさにトロッコ問題だ。

■ この場合も悪いのは問題を出した側

では、ダムの管理者たちはこのトロッコ問題をどう解けばよかったのか。正解はオリジナルの問題と同様、「こんな問題を解かねばならない状況に陥れた奴を殴る」だろう。

被災地の現地取材を行ったコロラド先生こと牧田寛氏が次のように書いている。[4]

暴れ川の肱川に堤防が、ない!

 下村島集落から肱川左岸を望むと、なんと堤防がありません。堤防の代わりに土饅頭(土を盛っただけのもの)が並んでいる箇所があります。堤防が破堤したとしてもここまで破壊されることはまずありませんので、この土饅頭は堤防の残骸ではありません。

 更に、下流側には土饅頭すらありません。 「堤防がない!」「なにもない!」「ない!ない!ない!」

 流石に驚きのあまりに声が出ます。肱川は暴れ川として有名な一級河川です。しかも治水機能を持つ多目的ダムが上流に二箇所あり、さらに支流に一箇所建設中です。そのような河川に無堤箇所などある訳がないのです。ダムを建設しても下流に近代的な大規模堤防が建設されていなければ、ダムは治水機能をまともに発揮できません。むしろ最悪の場合、ダム自身を守るための緊急放水によって下流は見殺しにされます。

(略)

 気を取り直して、土饅頭を目指します。

 土饅頭は、未完成の連続した堤体へと続いており、明らかに建設中の堤防です。この状態では治水機能は全くありません。あきらかに極めて大規模な無堤地帯が氾濫原という危険地帯に存在しています。

(略)

 しかも、平成23年9月水害だけでなく、過去に多数回、堤防治水などの不備による中規模氾濫が鹿野川ダム完成後に起きており、堤防、水門、排水施設の整備が火急の課題であることはわかりきっていたことです。

 にもかかわらず堤防、水門、排水施設の整備を怠り、治水のためのダム建設でなく、ダム建設のための治水と断じてよいほどの本末転倒なダム偏重治水行政を行っていたことについて、国土交通省、愛媛県の責任は極めて重大というほかありません。また、そのようなきわめて異常な肱川独特の治水事業にお墨付きを与えてきた「有識者」「学識者」の存在にも注目すべきでしょう。

やたらとダムばかり作るのではなく、下流域で堤防、水門、排水施設の整備を行うといった適切な治水事業を行っていれば、緊急放流を行っても洪水にはならず、ダム管理者がトロッコ問題的ジレンマに陥る必要もなかった。牧田氏の記事のタイトルどおり、この水害は「ダム偏重による行政の倒錯と怠慢が生んだ人災」だったわけだ。

[1] マイケル・サンデル 『これからの「正義」の話をしよう』 早川書房 2010年 P.32
[2] 「肱川のダム放流 「中小規模の洪水対応」適切だったか」 日経クロステック 2018/8/2
[3] 「肱川の洪水とダム放流」 NHKラジオ第1 2018/8/13
[4] 牧田寛 「肱川大水害で最大級の被害地域で見た、無治水の惨状。ダム偏重による行政の倒錯と怠慢が生んだ人災」 ハーバー・ビジネス・オンライン 2018/11/16

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