戦後のBC級戦犯裁判に関して日本人の間に広く流布している物語が二つある。
一つは、「栄養不良に苦しむ捕虜に親切心からゴボウを食べさせてあげたのに、木の根を食わせた虐待だとして戦犯にされた」というもので、1958年のTVドラマ『私は貝になりたい』(翌年には映画化もされた)がこのデマの拡散に大きな役割を果たした。
もう一つは、「医薬品が乏しい中、捕虜に治療として灸を施したのに、やけどを負わせた虐待だとして戦犯にされた」というものだ。
こちらは果たしてどの程度事実を反映しているのか、実際の戦犯裁判の過程を見てみよう。
灸が問題にされたのは、捕虜を労働力として利用することを目的に日本鋼管川崎工場内に設置されていた東京俘虜収容所第五分所で発生した捕虜虐待事件でのことだ。この事件では、分所長だった石毛通治中尉と、警備員だった軍属2名が戦犯として裁かれている。
石毛について、判決(重労働35年)で有罪の理由とされた罪状項目は以下のようなものだった。[1]
① 俘虜側から再三の要求があったにもかかわらず、十分な医療の提供や適切な食事を与えることを怠り、または拒否したことにより、アメリカ人俘虜キース・J・マックウェン伍長(Keith J. Mcwen)、ランドール・E・トロッター(Randall E. Trotter)の死亡に寄与した。
② 俘虜収容所長(分所長)として、彼の部下および監督下にある者が連合国軍俘虜に対して次の残虐行為を犯すのを許容し、これらの者の行為を取り締まり抑制すべき収容分所長としての職責を無視し怠った。
(a) キース・J・マックウェン伍長とイッシュミル・L・グッジオン一等兵(Ishmaell L. Gudgeon)の両名の身体の多数箇所にやけどを負わせ、うちキース・J・マックウェン伍長を死に至らしめた。
(b) フランク・ルビア一等兵(Frank Rubia)に対して殴打および残忍なる虐待。
(c) ダーウッド・T・ホフマン一等兵(Derwood T. Hoffman)およびドンロイ・I・シャングロー伍長(Donroy J. Shangreau)に対して違法かつ常習的な殴打。
(d) ロナルド・O・マクマホン一等兵(Ronald O. Mcmahon)に対して違法かつ常習的な殴打。
(e) レオナルド・F・アレン一等兵(Reonard F. Allen)に対して残忍な殴打。
(f) ハロルド・P・フィリップ伍長(Harold P. Phelps)、エドウィン・S・ステッドマン伍長(Edwin S. Steadman)、ジェームス・R・ヒューズ一等兵(James R. Hughes)、ロジャー・I・コーニグ兵卒(Rodger I. Koenig)ら四名の米軍俘虜に対して違法かつ残忍な殴打・足蹴り。
(g) 俘虜に対して長時間にわたり直立不動の姿勢を取らせることを要求し、食事を二食与えないといった集団制裁を加えた。
(h) 連合国軍俘虜の使用便益に供せられた食料、被服等の国際赤十字委員会からの救恤きゅうじゅつ品を、不法にも私用横領した。
(i) 多くの俘虜に対して殴打虐待を加えた。
まず、ここで示されている通り、石毛(および実行犯としての軍属2名)は灸の件単独で有罪とされたわけではなく、常習的な殴打、足蹴り、食事を与えないなどの様々な虐待行為全体について責任を問われている点に注意が必要だ。
また、日本で流布している「物語」では、灸などの日本の伝統医療を理解していないアメリカ側が、体の上に乗せたモグサに火をつけるという外形だけからこれを虐待と決めつけたように語られているが、実際には裁判の過程で治療法としての灸の詳細が調査されている。[2]
石毛の罪状項目の中に「俘虜の身体の多数箇所にやけどを負わせた」(略)との記載があり、また斉藤(注:実行犯の軍属、仮名)の罪状項目にも「キース・J・マックウェンに対して(点火用の)付け木のような物を用いてやけどを負わせ」たと記載されている。
これらが、いわゆる灸を据える行為を指していることは間違いないが、裁判では、弁護人は「灸療法」について、正当な治療行為であって虐待ではないという立場からかなりこだわった立証活動をしている。
まず第一に横浜市磯子区峰町で鍼灸の治療をしているというムツウラ・ノリクニ(鍼灸師)を証人出廷させている(略)。同証人は、「身体の皮膚の上にモグサを置いてそれを焼くが、身体のどこでもいいというものではなく神経のツボを選んでやっている。病気の治療に役立っており、脚気の治療にも利用されている」と証言し、弁護人の勧めに従って法廷で被告人・斉藤を相手にして灸の実演をしている。斉藤の足の神経のツボにモグサを置いて付け木で火をつけており、斉藤に対して熱くないかどうか尋ねたりしているが、証人尋問において事実上の検証までやってしまうというのも興味深い。ただし、同証人は、検察官の反対尋問において「モグサを使い過ぎると、あるいは長時間使い続けるとやけどになることもあるし、人体にも影響する」と答えており、さらに「モグサは、日本では子どもの処罰にも使われるのではないか」との検察官の問いに「はい」と答えている。つまり懲罰としてのお灸、いわゆる「灸を据える」ということをアメリカ人検察官が指摘しているのである。検察官は日本の伝統的な療法についても広く情報を集めている。
次に、モグサを扱う薬物商であるクリハラ・トオル証人も出廷している(略)なお、軍事委員会の委員長は、灸点を図解して説明するよう求め、同証人は解剖図を用いて灸点と病気の種類の関係を説明したりしており、軍事委員会としても灸の効用について関心をもったことがうかがえる。(略)
軍事委員会は、日本における灸の使われ方とその効能についてよく理解していたと言えるだろう。
では、灸とマックウェン伍長の死には関係があったのか。この点については、弁護側証人として出廷した衛生兵が次のように証言している。[3]
「俘虜マックウェンは連日注射を受けるため医務室に来た。脚気に対する灸治療の結果局部に炎症を誘発し、その治療も必要となった。彼が死亡直前診断に来たときは脚気はさして重症ではなかったが、右足の激痛を訴え、局部は腫脹し赤色を帯び、高熱であった。軍医は入院を命じ直ちに手術を受けたが、同日死亡した。死骸は収容所に還送された。……局部炎症の原因となった灸を据えたのは自分ではなく、自分が着任したときすでに、灸を受けた後であった」
通常、いくらやりすぎたとしてもたかが灸による火傷くらいで死亡するとは考えられないが、栄養不良で衰弱した状態で灸を据えられ、火傷から重度の炎症を起こしたとすれば、死因の一つとなった可能性はある。
この収容所での「灸治療」がどのようなものだったのかについては、もうひとりの被害者として罪状項目で名を挙げられているグッジオン一等兵が宣誓口述書で次のように述べている。[4]
「川崎第五分所にいる間、私たちが最も苦しんだのは栄養不良による脚気であり、収容所職員に医療的支援を求めていました。(略)」、「私は、脚の一〇カ所ほどに火傷を負わされました。マックウェンは、背中や腹部、脚に一五カ所、あるいは二〇カ所ほどの火傷を負わされました」、「これは、二五セント貨サイズのスポットに、接着剤のようなものを置いて(略)、棒状の付け木、これは一インチほどの長さで火がついているものですが、これによって行われます。付け木が物質に点火され、ひどい火傷になります」、「この処置に従うのを断ったために警備員の一人から日本の上靴で激しく叩かれた第七〇一部隊のSgt. O’Raabという者がいます。彼の顔は酷い打撲で、一時、痕が残っていました。私は、このような火傷を負わせる行為は、現代日本の信仰(信念)に従ったものではなく、単に、故意による拷問(虐待)を犯したに過ぎないと思います」。
そもそもビタミンB1欠乏症である脚気に灸による治療効果など期待できない上、「治療」を断った患者を殴るというような有様では、虐待だと言われても仕方がないだろう。
まとめると、
- 栄養不良で脚気になった患者に対して治療効果の期待できない灸を据えた。
- 灸の据え方が適切でなく、処置を受けた患者に火傷を負わせ、うち一名については死亡する原因の一つとなった。
- 処置を行うことに関して患者の同意を得ておらず、処置を断ると殴るなどの暴行を加えた。
- 捕虜に灸を据えたことは訴因の一つでしかなく、分所長や軍属は様々な虐待行為の全体を理由として有罪判決を受けている。
ということになる。
「医薬品が乏しい中、捕虜に治療として灸を施したのに、やけどを負わせた虐待だとして戦犯にされた」という物語も、やはり都市伝説の類だと言わざるを得ない。
[1] 横浜弁護士会 『法廷の星条旗――BC級戦犯横浜裁判の記録』 2004年 日本評論社 P.194-195
[2] 同 P.197-198
[3] 同 P.198-199
[4] 同 P.200