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みんな生きたかった

関連記事:犠牲者を美談に仕立ててはいけない

 

宮城県南三陸町の職員で、震災当時、防災無線で避難を呼びかけ続け、自身は津波に呑まれて亡くなった遠藤未希さん。

彼女が亡くなったときの状況は不明だったが、同じ防災対策庁舎で亡くなった同僚の三浦亜梨沙さんのメールが公開されたことで、ある程度の推測が可能になった。

 

msn産経ニュース(3/5)

交際相手に「大津波来た」惨事直前、緊迫のメール 南三陸町の24歳女性職員
2012.3.5 08:09 [津波]

 

 東日本大震災の津波に襲われた宮城県南三陸町の防災対策庁舎で亡くなった町職員、三浦亜梨沙さん=当時(24)=が、流される直前、交際していた男性に「大津波来た!」とメールを送っていたことが5日、分かった。やりとりされたメールは5通あり、「ぜってー死ぬなよ!」と呼び掛ける男性に「死なない!愛してる!」と応えるなど、緊迫する状況下で互いの安否を気遣い励まし続けていた。

 亜梨沙さんの母悦子さん(54)は「今年1月に遺体が見つかり、かすかな生存の期待を失いつらい時期もあった。もうすぐ1年で、メールもやっと見られるようになった」と話している。

 亜梨沙さんの自宅も津波で流され、写真や思い出の品の多くを失った。男性は昨秋、撮りためていた亜梨沙さんの写真やメールを遺族に届けた。

 

彼女と男性がやりとりしたメールを、時系列で見てみよう。

 

2011/3/11  15:03 亜梨沙さん→男性

 6メーターの津波きます

 頑張って生きます

 

2011/3/11 15:11 男性→亜梨沙さん

 ぜってー死ぬなよ!

 

2011/3/11 15:18 亜梨沙さん→男性

 うん、死なない!!

 愛してる!!

 

2011/3/11 15:21 男性→亜梨沙さん

 オレも愛してるよ!!!!!!!!!!!!!!!!

 あ、こっちはなんともねぇ

 

2011/3/11 15:27 亜梨沙さん→男性

 よかった〜!!

 大津波きた!!

 今役場の防災庁舎の屋上ですか、流されたらどうしよう><

 私の車は流されるもようです

 

 

重要なポイントは、このメールにも出てくる、「6メーターの津波きます」だ。

 

そう、あの日、南三陸町で予測された津波の高さは、6mだったのだ。

だから彼女らは防災庁舎に留まり、それぞれの仕事を続けた。

三階建ての防災対策庁舎の屋上に上がれば、安全なはずだったからだ。

 

だが、実際に南三陸町に押し寄せた津波は、15mを越えていた。

 

msn産経ニュース(2011/3/15)

大津波15メートル、屋上の明暗 九死に一生 宮城・南三陸町長が語る
2011.3.15 05:41

 

 屋上に上がったのは避難ではなく、津波の様子を見るためだった。宮城県南三陸町。3階建ての防災対策庁舎を濁流が襲ったとき、町幹部と職員約30人が屋上にいた。第1波で約20人がさらわれた。残った10人はさらに押し寄せた7回の波に耐え、生き残った。

 海辺の「南三陸ホテル観洋」のパート従業員、菅原つるよさん(65)は揺れがやんだ10分ほど後に海面が黒いことに気づいた。「養殖のワカメかと思ったら違った。水が引き、海底の黒い岩肌が見えていた」

 引いた水が戻ってきたときの恐怖の光景を、生き延びた住民は「波が入り江で高さ20〜30メートルの高さになった」「黄色い煙が上がり、壁のような黒い波が迫ってきた」と語る。海抜15メートルの場所にあった実家がのまれたカメラマン、三浦健太郎さん(33)のデジカメには午後3時26分撮影の記録が残る。

 佐藤町長は約30人の職員と庁舎屋上に上がり、300メートルほど離れた高さ7メートル以上の水門を波が越えるのを見た。「尋常じゃない」と思えた波は屋上を洗い、全員に襲いかかった。

 「10人が丈夫な手すりに引っ掛かった。残る人はネットフェンスの方に流され、しがみついたフェンスと一緒に、波が引いたら消えていた」と佐藤町長。10人は高さ5メートルの2本のアンテナによじ登った。「無理やりぶら下がった。おれたちだけでも助かるぞ、と職員を鼓舞した」。ずぶぬれの10人の下を波が何度も何度も過ぎていく。近くに住む町職員の自宅2階から、この職員の妻が流されていくのを「10人とも、この目で見てしまった」。

 波がおさまり、3階に戻った10人はネクタイを燃やして暖を取った。「夢だよな…」と誰かがもらした。佐藤町長は、夜が明けるのが半分うれしく、半分怖かった、と振り返る。「助けが来るかも、との期待と、現実を直視しなければいけないという恐怖だった」

 

南三陸町のHPに、主にこの防災対策庁舎の屋上から撮影した津波の状況が掲載されている。

安全なはずの防災対策庁舎にいて、足下まで津波が押し寄せてきたとき、もはや逃げ場はどこにもなかった。(職員を庁舎に留まらせた町長の判断は誤りとして、遺族から告訴がなされている。

 

未希さんも、亜梨沙さんも、生きたかったのだ。

二人ともまだ24歳。どれほど生きたかったことか。

しかし、彼女たちは逃げ遅れてしまった。

 

失われた命を無駄にしないためになすべきことは、同じ悲劇を二度と繰り返さないための対策を講じることだ。

津波予測の精度向上、職員の避難に関する判断基準の明確化、適切な避難ルートの確保と避難誘導方法の改善、根本対策としての街の高台移転…。

政府、県、市町村、行政のあらゆるレベルで、やるべきことは山ほどある。

 

一方で、悲劇を繰り返さないために、決してやってはならないこともある。

それは、この野田首相や埼玉県教育局のように、悲劇を美談化することだ。

 

日本経済新聞(2011/9/13)

野田佳彦首相の所信表明演説(全文)

 この国難のただ中を生きる私たちが、決して、忘れてはならないものがあります。それは、大震災の絶望の中で示された日本人の気高き精神です。南三陸町の防災職員として、住民に高台への避難を呼び掛け続けた遠藤未希さん。防災庁舎の無線機から流れる彼女の声に、勇気づけられ、救われた命が数多くありました。恐怖に声を震わせながらも、最後まで呼び掛けをやめなかった彼女は、津波にのまれ、帰らぬ人となりました。生きておられれば、今月、結婚式を迎えるはずでした。被災地の至るところで、自らの命さえ顧みず、使命感を貫き、他者をいたわる人間同士の深い絆がありました。彼女たちが身をもって示した、危機の中で「公」に尽くす覚悟。そして、互いに助け合いながら、寡黙に困難を耐えた数多くの被災者の方々。日本人として生きていく「誇り」と明日への「希望」が、ここに見いだせるのではないでしょうか。

 

こんなふうに危険を省みず職務を続けることを英雄化してしまったら、本当に危険が迫ってきても自治体職員は避難できなくなる。避難すれば、「逃げた!」という罵倒が降りそそぐ。ためらっているうちに、逃げ遅れることになる。

問題は何も解決せず、犠牲が増えるだけだ。再発防止とは正反対の、悲劇の再生産にしかならない。

 

自らは最も安全なところにいながら、他者には危険を冒す「覚悟」を要求する。悲劇を美辞麗句で包み、美談化して利用する。

この首相はどこまで愚かで卑怯なのか。