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関東大震災時の朝鮮人虐殺 -- 朝鮮人はこうして放火犯に仕立て上げられた

前回記事で説明したとおり、10月20日の司法省発表において朝鮮人によるものとされた凶悪犯罪は、いずれも実体のない流言に過ぎないか、日本人の犯罪を朝鮮人に転嫁したものか、あるいは殺した朝鮮人を犯罪者に仕立てあげたすり替え事例であった可能性が高い。実際、戦後早い時期に検察側の観点からまとめられた『関東大震災の治安回顧』でも、当時の捜査状況が次のように描写されている[1]。

 果して以上述べたが如き鮮人犯罪が実際に行はれたものであらうか。彼等鮮人の総ては犯行当時混乱に乗じて所在不明となり、或は自警団員其の他に依って殺害されて居り、司法事件としては其の真偽が全然確定されて居らぬ状況であった。

 然かも東京地方裁判所検事局管内に於ては、震災直後司法警察官の捜査が一時斯種鮮人犯罪の検挙に傾注された観あるに拘らず、被疑事件として同検事局に送致された放火、殺人等の重大犯罪すら、其の大部分が犯罪の嫌疑なきものとして不起訴処分に附されるが如き状態であつたことは注目に値する。(略)


どのようにして無実の朝鮮人が犯罪者に仕立てあげられていったのか、放火の場合についてよく分かる例が同書に載っていたので紹介する[2]。

上野警察署に於て検挙せる放火嫌疑鮮人に関する捜査及び送致状況


一、検挙に至る迄の経路概要

九月二日午後八時三十分頃上野公園内西郷銅像附近を徘徊せる鮮人白永仲を民衆が発見し、鮮人なるの故を以て直に放火犯人なるべしとして折柄警戒の任に当って居た兵士に引渡したところ、同兵士に於て其の身体検査を試みたのに、懐中から燃寸マッチ二個と少許(すこしばかり)の古綿とが現はれた為め、放火の疑あるものとして同鮮人を上野警察署に引致したのである。


一、上野警察署に於ける捜査概要

同警察署に於ては白永仲を取調べたところ、同伴者が四名であるとのことであった為め、直に上野公園内を捜査し朴在用を検挙し、更に田端の同居先に赴き、残余の鮮人二名を検挙した。斯くて先づ白永仲の取調を進めた結果、白外三名の鮮人は同居先の主人京井某の本宅が下谷区西町に在つたので、其の本宅から荷物を運び出すべく、四名で西町の荷物を上野公園内に運び、次で之を田端に運搬の途中、荷物から燐寸二個が墜落したのを拾つて懐中に収めたものであり、携帯の綿は白永仲が鼻血の流出を防ぐ為め、荷物の中から引出して血を拭った残片である旨申立てた。朴外二名の鮮人には携帯品がなく、単に荷物の運搬に従事して居たものであることが判明した。


二、釈放と送致の理由

上記の事実は頗すこぶる事理明白たるが故、朴外二名の鮮人は仮出場せしめたのであるが、白永仲は放火の嫌疑者として送致の価値がないとは云へ、民衆の手から兵士に渡り、更に警察の手に移つたものであるのみならず、此の際如何に事理明白であるとは云へ、兎に角とにかく綿及び燐寸二個を携帯して居た関係上、之を釈放するのは面白くないと思料し身柄と共に事件を検事局に送致したものである。
 追而おって携帯して居た少許の綿には石油等を浸した形跡はない。

この例では幸いにも「犯人」が生きて警察に引き渡されたから無実が証明できたが、現場で自警団に殺されていれば、前回記事の月島での事件同様、放火犯として司法省発表に加えられていたかもしれない。(もっとも、無実が明らかになったにもかかわらず、釈放するのは「面白くない」というだけの理由で白氏は送検されてしまったわけだが。)


更には、横浜地方裁判所検事正からの報告として、次のようなことも書かれている[3]。

九月二日夜中村町方面の青年団から伊勢佐木町警察署管内に伝へられた風説は、鮮人が内地人婦女を凌辱して之を火中に投じたと云ふことであったが、斯様な事実を知る者は絶えて無かつた。同夜久保山で捕へられた一鮮人が燐寸を携帯して居り該鮮人が久保山の関東学院に放火したものの様に伝へられたが、放火の痕跡さへ認められなかつた。(略)九月二日本牧町字大島神社附近の残存家屋に鮮人が石油並に蝋燭を以て放火しやうと試みたとの噂があつたが、単なる噂に過ぎなかつた。山手桜道附近の火災は鮮人の放火に因るとの風評が立てられたが、取調の結果自火であつた。

かも、震災当時送電途絶の結果、各自蝋燭、燐寸の類を夜間懐中にして居た事実並に給水が断絶した為め、一般の通行人が麦酒、サイダー等の空瓶に飲料水を充たして携へて居た事実は誰一人知らぬ者のない状態であつたのである。

当時、懐中電灯などはまだ普及していないし、煮炊きにはかまどや七輪が使われていた。だから通行人がマッチやロウソクを所持しているのはごく普通のことだったし、火を起こすための焚き付けの類を持っていても少しも不思議ではない。当然そんなことはみんな知っていた。にもかかわらず、所持しているのが朝鮮人であれば、それだけで放火犯扱いされたのである。

[1] 吉河光貞 『関東大震災の治安回顧』 法務府特別審査局 1947年 P.220
[2] 同 P.221-222
[3] 同 P.224-225

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