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小林よしのり徹底批判(9)浅薄な聞き取り

『戦争論』の中に一か所だけ、小林自身が戦争体験者から聞き取ったという話を書いた部分がある[1]。

わしの親戚には 支那大陸に行ってきて 楽しそうに こう語る人がいる

戦争はまるで 海外旅行に行ってきたごたった♪

(略)

支那を列車で輸送され 行軍し

頭上をかすめて びゅんびゅん弾が飛んでくるような戦闘も体験し

「あんときゃこわかった~~~~~~ア」

…と言いながら…

終戦前は 朝はブタ汁 晩はブタの煮付け 野菜の煮付けとか 食べとった

さとうきび畑に入って ナマのさとうきび食べたら うまかった」

「ほし柿も よく食べとった」

…と食い物の話ばっかりする

うまいものを食べて海外旅行のような楽しい戦争と聞けば、前回記事を読んだ人なら、南京攻略戦の途上で書かれたこちらの日記[2]との符合に当然思い当たるだろう。

[11月22日](略)陳家鎮に午后五時到着、米味噌醤油等の取集めで多忙な位である、或は濡もち米を徴発或る者は小豆をもって来て戦地にてぼた餅を作っておいしく食べる事が出来た、味は此の上もなし、後に入浴をする事が出来て漸ようやく我にかへる、戦争も今日の様では実に面白いものである、(略)

[11月25日](略)午后四時祝塘郷に着して宿営す、(略)我等五分隊二十四名は宿舎に着く毎ごと大きな豚二頭位宛あて殺して食って居る、実に戦争なんて面白い、酒の好きなもの思ふ存分濁酒も呑む事が出来る、漸く秋の天候も此の頃は恵まれて一天の雲もなく晴れ渡り我等の心持も明朗となった。(P.346)

[11月28日] 支那の学生軍らしきもの五名我が宿舎の前にて突殺す、自分も此の際と思ひ二回ばかり銃剣にて突き刺す、三十〆[貫]もある豚二匹並に雞三拾以上を我が×隊にて徴発おかずにして御馳走此の上もなし。(P.347)

こんな話を中国戦線における戦場体験の一例として持ち出すのなら、少なくとも小林は、この親戚氏が美味かったというその豊富な食糧をどうやって手に入れたのかくらい、突っ込んで聞いてみるべきだったろう。しかし小林は、この人の語る(語りたがる)面白おかしい話をただ聞いたまま絵にしているだけである。

こんなものはおよそ聞き取りと呼ぶに値しない。

それは、たとえば保阪正康氏が語る次のような話[3]と比べてみれば明らかだ。

京極 保阪さんはなぜ昭和史研究に取り組まれたんですか。

(略)

保阪 昭和戦前の日本人はどうやって生きたんだろう、日本軍国主義というけれども、軍国主義が鉄砲担いで歩いたわけじゃない、兵隊が歩いたわけだから、彼らはどういう考えでいたんだろうかと思っていろいろ聞いて歩いたんですね。

京極 それで何千人もの人に会って話を聞かれた。

保阪 はい。本当に何千人という人の話を僕の世代で聞いてやろうと、いろんな人に会ったんです。日本はどうしてこんなに枠を踏み越えたとんでもないことをしたんだろうっていう疑問もありましたから。で、兵隊にも将校にも会って、当時のことを聞いていくと、やっぱり彼らは「われわれは異常な時代に生きていた」と言うのね。異常な時代って何なのかといったら、要するに戦争の時代だったと。(略)

保阪 こんなこともありました。口ではいろんなことを言うけれども心のなかで、ものすごく傷ついている人がいるんです。口では「日本軍国主義、何もそんなひどいことしてねえ」とか言うんですよ。だけど、「あなたはそう言うけれども、やっぱり日本もとんでもないことをしたんじゃないですか」みたいに話してたら、そのうち「君にだけ話したい」と言って、日をあらためて来いという元軍人もいました。

京極 それはどんな方ですか。

保坂 戦後はある会社の社長さんです。行ったら、ポケットから数珠を出すわけね。そして、いつも電車のなかで四、五歳の子どもを見たらこれで手を合わせてるというんです。それで、孫を自分は抱けなかったというんです。なぜかといったら、やっぱり中国で三光作戦をやって四、五歳の子どもを殺した体験をもっていたんですよ。家に火をつけると子どもが逃げ出てくるでしょう。上官に「どうしますか」ときくと、「始末しろ」と言われたっていうんです。心のなかはガタガタになっているんです。だから、逆に強く出るんです。

京極 うーん。

保坂 自分は孫が抱けない、数珠を手放せない。社長さんですよ。「キミ、日本は悪くないんだ」なんて言ってるんだけれども、ちょっと裏返しになると本当にシューンとしちゃうんですね。彼は口ではまさに軍国主義的なことを言いますよ。だけど、そんな人間のうしろに贖罪意識が隠されている。やっぱりそういうことをきちっと、僕は次の世代として聞いておかなければと感じるんですね。

(略)

保坂 (略)僕は医学システムの評論やレポートなんかも書くから医者からよく相談されるんですけど、八十代で死にそうなおじいさんがいるというんですよ。

京極 ほう。

保坂 四十代の医者が僕のところにきて、もう動けないはずの患者が、突如立ち上がって廊下を走り出すというんですよ。そして、訳わかんないことを言って、土下座してしきりにあやまるというんです。そういう人たちには共通のものがある。僕はこう言うんです。「どの部隊がどこにいって戦ったかというのを、だいたいは僕はわかるから、患者の家族に所属部隊を聞いてごらん」。みんな中国へ行ってますよ。医者はびっくりします。

京極 ひどいことをしたのをひた隠しにして生きて来られたんですね。

保坂 それを日本はまだ解決していない。

要するに『戦争論』とは、歴史修正主義者たちの書いた否定本からの受け売りと、せいぜいあの聞き取り程度の浅薄な知見を混ぜ合わせ、これが真実だと偉そうにゴーマンかまして見せているだけのものでしかないのだ。
 
[1] 小林よしのり 『新ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』 幻冬舎 1998年 P.273-274
[2] 小野賢二・藤原彰本多勝一編 『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち』 大月書店 1996年 P.346-347
[3] 『スペシャル対談 京極夏彦×保阪正康』 IN・POCKET 2003年9月号 講談社 P.28-31

 

南京への道 (朝日文庫)

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南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち―第十三師団山田支隊兵士の陣中日記

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昭和史のかたち (岩波新書)

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