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【京アニ放火殺人】凶悪事件が起こると死刑廃止論者は困る?

死刑制度を維持拡大したい人たちは、どうもそういう認識でいるらしい。今回の京都アニメーション放火大量殺傷事件でも、そんなことを言い出す人たちが出てきている。

死刑廃止派は加害者の味方と信じる人たち

まずは安定の山野車輪。ツイートは削除されているが、スクショが残っている。(画像出典:「てきとう」さん)

死者数2桁か・・・。ご冥福をお祈りいたします。
これからの話ではあるが、犯人の精神が正常なら死刑は確定。そんで死刑制度廃止を唱える左派勢力が加害者擁護をはじめるだろう。左派はオタクを敵に回すことになる。

こちらははてな匿名ダイアリーへの投稿記事。

anond.hatelabo.jp

■ ねぇ、死刑廃止派どうすんの?w

33人殺した奴をどうやって擁護すんの?

またドラえもんのせいにでもして、精神病による責任能力のなさを訴える?いいよ、そうしたら精神病患者は社会の潜在リスクと訴えて回ってやるよ。

この犯人は可能な限り残酷な方法で死刑にしてやるべきだろ。33人の被害者の永遠に失われた未来と、遺族の悲しみを思うと、怒りで髪が逆立つ思いだ。

死刑廃止なんて絶対にあり得ない。こんな野郎を税金で何年も生かして置くなんてあり得ない。どうせ金つかうなら、可能な限り残酷な死刑にしてやりたい。

こういう人たちの頭の中では、左派(=死刑廃止派)は加害者の味方(従って被害者の敵)で、だから加害者の刑罰を軽くしたくて必死に擁護するらしい。なので、こういう《弁護しようのない凶悪殺人犯》が出てくると困ってしまうのだ、と。

ついでに言うと、逆に犯人を吊るせ、ぶっ殺せと叫ぶ自分たちは被害者に寄り添う正義の味方のつもりなのだろう。

率直に言って、バカである。

私が死刑を廃止すべきと考える理由

死刑廃止論者と言ってもいろいろな人がいるので一概には言えないが、私の場合、死刑を廃止すべきと考える理由は以下のとおり。その大半は、既に200年も前にパリの死刑執行人アンリ・サンソンが訴えていたものだ。

  • 犯罪は社会が生み出すもので、凶悪犯を処刑して社会から排除しても、そのような犯罪を生み出した社会の歪みを正さないかぎり、また同じような犯罪が繰り返される。死刑は、犯罪の原因を除去できたかのような幻想を与えるものでしかない。

  • 死刑といえども人を殺すことに違いはなく、凶悪犯も含めいかなる人間も生来持っている基本的人権(生存権)への侵害である。国家に、殺していい人間とそうでない人間の区別を許すべきではない。また死刑は、生涯をかけて自らの罪を悔い、謝罪し続けるべきその時間を、加害者から永遠に奪ってしまう。

  • 神ならぬ人間が裁判を行う限り、誤審の発生は避けられない。冤罪で被告人を死刑にしてしまったら、その過ちは取り返しがつかない。

  • 死刑は、それを執行する人間を必要とする。刑務官は、凶悪犯といっても個人的には何の恨みもない無抵抗の相手を殺すという辛い行為を、職務として行わなければならなくなる。

というわけで、少なくとも私の場合、どんな凶悪大量殺人事件が起ころうと死刑廃止を主張することに何ら支障はない。

問いを突きつけられているのは死刑存置論者の側

むしろ、今回のような事件の場合、仮に犯人を死刑にしたとして、それで罪を償わせたことになるのか、という問題があるだろう。人を殺したら命で償えと言うのは簡単だが、犯人一人の命で、どうやって34人もの尊い命を償えるというのか。

また、事件直後に犯人が自殺した先日の川崎スクールバス殺傷事件が示すように、凶悪犯ほど死を恐れないので死刑には抑止効果がないという問題もある。それどころか、死刑になりたくて人を殺した者さえいたではないか(土浦連続殺傷事件など)。

今回のような凶悪事件は、死刑存置論者にこそ「それでいいのか?」という問いを突きつけているのだ。

 

死刑執行人サンソン ―国王ルイ十六世の首を刎ねた男 (集英社新書)

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死刑執行された冤罪・飯塚事件: 久間三千年さんの無罪を求める (GENJINブックレット)

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