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関東大震災時の「朝鮮人の犯罪」の真相

ウヨサイトが語る「朝鮮人暴動の真実」

福田村事件の映画化について書いた前回記事に、「まるで朝鮮人が震災下で犯罪をしていなかったような記述」などというブコメがついていた。

こういう人たちは、関東大震災時、朝鮮人がどのような犯罪を犯したと思っているのだろうか。

それがよくわかる典型的なウヨサイトがあったので、中身を検証してみることにする。

このサイトの「関東大震災~朝鮮人暴動の真実!!」と題する記事では、「当時の新聞などを調べると真実が見えてくる」として、震災当時の新聞記事をたくさん貼り付けている。

まず、震災発生から間もない時期のさまざまな地方新聞から、

◆不逞鮮人益々広大
不逞鮮人300余名が手に手に爆弾を携え、之を投じ、或いは放火し…
◆全暴徒の一隊が爆弾を投じ放火せりを目撃
(庄内新報(号外) 九月三日)

◆鮮人一味 上水道に毒を散布
◆囚人三百名脱獄し鮮人と共に大暴状
(下越新報 大正12年9月3日)

◆不逞鮮人各所に放火 石油缶や爆弾を携えて
(小樽新聞 号外 大正12年9月3日)

◆鮮人の陰謀 震害に乗じて放火
◆発電所を襲う鮮人団
◆不逞鮮人1千名と横浜で戦闘 歩兵一個小隊全滅か
(新愛知新聞 大正12年9月4日)

といった記事を引用しているのだが、普通の判断力があれば、山形や新潟、北海道、愛知といった、関東から遠く離れた地方の新聞社が、通信も途絶した中でどうやってこんな情報を入手したのか疑問を抱くはずだ。しかし、そんな発想はまったくないらしい。

さらにこのサイトでは、10月20日に報道規制が解かれた後の新聞記事を引用して、こんなことも書いている。

在日韓国人などはこの報道は捏造と発言していますが、報道規制が解かれ世の中が落ち着いて来ても鮮人の行った事件を報道していますので新聞の記載内容は真実です。

報道規制が解かれた翌日

◆震災の混乱に乗じ鮮人の行った凶暴 
◆略奪、放火、凶器、爆弾毒薬携帯、婦人略奪… 
(読売新聞 大正12年10月21日)

だが、当の読売新聞記事の冒頭には、「不平鮮人の悪事は、誇大に報ぜられ人はその真相を知るに苦しんでいた」「今度の変災に際し、鮮人中不法行為をしたものありと盛に宣伝されたが今其筋の調査した所に依れば、一般鮮人は概して順良であった」と書かれている。さらに、一見おどろおどろしげに書かれてはいるが、この記事に大量に列挙されている「朝鮮人の犯罪」の中には、「不逞鮮人300余名が手に手に爆弾を携え、之を投じ、或いは放火し…」も、「鮮人一味 上水道に毒を散布」も、「不逞鮮人1千名と横浜で戦闘」も見当たらない。

要するに、震災当初の「朝鮮人暴動」記事は嘘だったとこの記事自身が言っているのだ。

この記事と震災当初の記事を両方並べて「当時の新聞などを調べると真実が見えてくる」などというのは自己矛盾もはなはだしい。まあ、ウヨサイトなどだいたいみなこんなものだが、中身を吟味することもなく自分の願望の裏付けになりそうな情報をただかき集めて貼り合わせるだけだからこういうことになる。

朝鮮人犯罪の捜査方針とその報告書

さて、では関東大震災時に朝鮮人が犯した犯罪とは、実際にはどのようなものだったのか。

震災発生当初、「不逞鮮人が暴動を起こしている」という流言を信じた政府当局は、各所に通牒を発して警戒を呼びかけるとともに、軍隊を出動させて無辜の朝鮮人の集団虐殺まで行った。

ところが、二三日もすると、そうした流言が根も葉もないデマに過ぎなかったことが分かってくる。検挙した朝鮮人をいくら調べても犯罪事実が出てこないのだから当然のことである。(ちょうど、日本各地の地方紙が避難民から聞いた噂をそのまま鵜呑みにしてデマ記事を書きまくっていた頃だ。)

当局は焦ったが、いまさら全部嘘でしたとは言えない。そこで、朝鮮人に関する流言・風説のたぐいをかき集めてそれらしい犯罪話をでっち上げることにしたのだ。具体的には臨時震災救護事務局警備部が9月5日に関係各方面と「朝鮮問題に関する協定」[1]を結び、次のような捜査方針を定めている。

   臨時震災救護事務局警備部打合せ

  大正十二年九月五日午前十時決定事項

(略)

 〈参考〉朝鮮問題に関する協定【極秘】

                   警 備 部

 鮮人問題に関する協定

一、鮮人問題に関し外部に対する官憲の採るべき態度に付、九月五日関係各方面主任者事務局警備部に集合取敢へず左の打合を為したり。

 第一、内外に対し各方面官憲は鮮人問題に対しては、左記事項を事実の真相として宣伝に努め将来之を事実の真相とすること

(略)

       左  記

 朝鮮人の暴行又は暴行せむとしたる事例は多少ありたるも、今日は全然危険なし、而して一般鮮人は皆極めて平穏順良なり。

(略)

 第二、朝鮮人の暴行又は暴行せむとしたる事実を極力捜査し、肯定に努むること。

    尚、左記事項に努むること。

  イ、風説を徹底的に取調べ、之を事実として出来得る限り肯定することに努むること。

  ロ、風説宣伝の根拠を充分に取調ぶること。

(略)

この方針に従って徹底的な「捜査」を行った結果が10月20日の司法省発表であり、以後の新聞記事はすべてこの発表に基づいている。そして、この発表のベースとなった司法省の内部文書(『震災後に於ける刑事事犯及之に関連する事項調査書(秘)』[2])には、個々の「朝鮮人の犯罪」について、具体的な捜査結果が記載されている。

ほとんどが犯人不詳だった重大犯罪

しかしこれを見ると、殺人、強姦、強盗、放火等の重大犯罪では、そのほとんどが犯人氏名不詳とされており、犯人が朝鮮人だったとする根拠がない。一応犯人らしい名前が書かれている事件でも、その「犯人」はその場で殺されたり行方不明となっているのだ。

たとえば上記の読売新聞記事で「少女を凌辱」と大書されている事件は、9月2日夜に南葛飾郡本田町四ツ木の荒川放水路堤上で朝鮮人4名が16~17歳の少女を輪姦殺害し死体を荒川に投棄したという事件なのだが、犯人ばかりか被害者の氏名すら不明で、つまり犯罪の実在自体が疑わしい。しかも当時荒川の土手は避難民でごった返していたうえ、2日夜には既に激しい朝鮮人狩りが始まっており、とても朝鮮人がこんな犯罪を犯せるような状況ではなかっただろう。

また、もう1件だけ記載されている「殺人」は、9月3日早朝、南葛飾郡砂町で「仕事師風の内地人」が挙動不審の朝鮮人を捕まえて誰何したところ、隠し持っていた拳銃でこの男性を射殺し、さらに「職人風の内地人」にも軽傷を負わせて逃走したというものだ。しかし、挙動不審者を捕えて誰何したのなら、殺された男性は地元の自警団員のはずで、氏名がわからないのはおかしい。また、軽傷の被害者も事情聴取できていれば氏名が分かっているはずだ。つまり、被害者証言が取れていないわけで、加害者を朝鮮人とする根拠もない。結局、これも風説をそのまま「事実として肯定」してしまった可能性が高い。

「強姦」ももう1件記載があるのだが、これは9月2日夜、氏名不詳の朝鮮人1名が「吾嬬町に於て氏名不詳銘酒屋女風の内地婦人を強姦」というもので、やはり加害者被害者ともに不明の「事件」である。これも事件の実在自体が疑わしい。

「強盗」では1件だけ、犯人が捕まって取調べ中というものがある。読売新聞記事で「本所で掠奪した鄭熙瑩」と大書されている事件だ。しかし、中身を見ると、自身も被災者である犯人が他の被災者から衣類や身の回り品を強奪した、という程度の事件に過ぎない。当時、こうした被災者同士の奪い合いは珍しいことではなかった。ある横浜の被災者が手記でこんなことを書いているほどだ。[3]

(略)又彼等は雨露を凌ぐ仮小屋を造るに急なりとは言へ、附近の家屋の戸障子と言はず、財物と言はず、手当り次第掠奪をする。比辺に住む人は、実に迷惑をして、之が警視に全く疲れた。(略)家主が其戸を外されては産婦が寝て居るからと採りすがると「何をおれは焼出されだ。家も無ければ財産もない。貴様等は家がある丈よい。文句を言ふと叩き殺すぞ」と言ひつつ持つて行く。其の面の僧さ加減、実に詞の外である。我々国民として彼等の心理状態を実に情けなく思はずに居られない。親と言はず子と言はず、今尚盛に陋事を行って居る。否、親は子供が他家の物を盗んで来ると褒めて居ると言ふ有様、之これを見て数育上児童の前途を思へば、将来大に研究を要する事と思はれる。

また「放火」では1件だけ、真綿や紙などの可燃物を持っていた高校生金某(自称)が月島で自警団に取り押さえられたという例があるのだが、この高校生はその場で自警団に殺されており、結局これは殺人事件の加害者が被害者を放火犯だと主張している(死人に口なし)、ということでしかない。

ちなみに、当時はまだ懐中電灯など普及していないし、煮炊きにはかまどや七輪が使われていた。だから通行人がマッチやロウソク、火を起こすための焚き付けの類を持っていても少しも不思議ではなかった。にもかかわらず、所持しているのが朝鮮人であれば、それだけで放火犯扱いされたのだ。

ウヨさんたちが大好きな「井戸への投毒」では、本所区菊川町の水道消火栓付近にいた朝鮮人李王源(自称)が自警団に捕まり、所持していた毒薬の亜砒酸を無理やり飲まされて死んだという事例が載っている。しかし、亜砒酸は伝統的に殺鼠剤(石見銀山ねずみ捕り)として使われていたもので、これを投毒目的で持っていたというのは一方的な決めつけに過ぎない。これも、朝鮮人殺害事件の被害者が加害者にすり替えられたものだろう。

窃盗などの軽微な犯罪では犯人が明確

一方、窃盗、拾得物横領(いわゆるネコババ)、贓物(盗品)運搬といった軽微な犯罪になると上記とは様相が違い、ほとんどの事件できちんと容疑者が捕まって氏名が列挙されているのだ。

これはいったいどういうことなのか?

最も合理的な説明は、これらの軽微な犯罪だけが実際に行われた「朝鮮人の犯罪」であり、殺人強姦その他の重大犯罪は臨時震災救護事務局警備部による協定に従って「風説を事実として出来る限り肯定」した結果作り出された、実体のない(または日本人の犯罪を朝鮮人に押し付けた)ものだったから、というものだろう。

実際、東京地方裁判所の南谷智俤検事正は、9月8日頃、朝鮮人の犯罪に関して次のような見解を述べている[4]。

今回の大震災に際し、不逞鮮人が帝都に跋扈ばっこしつヽありとの風説に対し当局に於ても相当警戒調査してゐるが、右は流言蜚語行はれてゐるのみである、七日夕刻まで左様な事実は絶対にない、もちろん鮮人の中には不良の徒もあるから、警察署に検束し、厳重取調べを行つてゐるが、あるいは多少の窃盗罪その他の犯罪人を出すかも知れないが、流言のやうな犯罪は絶対にないことヽ信ずる云々

真相はウヨさんたちの妄想とはまったく違うのである。

[1] 姜徳相・琴秉洞 『現代史資料6 関東大震災と朝鮮人』 みすず書房 1963年 P.79-80
[2] 同 P.420-426
[3] 横浜市役所市史編纂係 『横浜市震災誌』 第五冊 1927年 P.592-593
[4] 山田昭次編 『朝鮮人虐殺関連新聞報道史料 別巻』 緑陰書房 2004年 P.335