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朝鮮人虐殺犠牲者への追悼文を今年も「控える」と言う小池都知事の悪辣さ

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小池百合子東京都知事は、昨年に引き続き、今年も関東大震災時の朝鮮人虐殺犠牲者に対する追悼文を送らない方針だという[1]。

 東京都の小池百合子知事(略)は一日、知事就任から二年の節目となる二日を前に本紙の単独インタビューに応じた。毎年九月に都内で営まれる関東大震災で虐殺された朝鮮人犠牲者追悼式で、歴代知事が送ってきた追悼文の送付を昨年取りやめた問題で、今年も送付しないと明言した。追悼文送付を求めて署名を集めている市民団体は近く、小池氏に面会を要請して署名を手渡し、再考を訴えたいと希望している。

 小池氏は、都慰霊協会が主催する関東大震災の大法要で、「都知事として全ての犠牲者に哀悼の意を示している。個別の形での追悼文の送付は控える」と、昨年と同じ理由を説明。「慰霊の気持ちには変わりはない」とも付け加えた。

 都民らからは反発の声が上がる。追悼式を主催し、署名に取り組む市民団体の一つ、日朝協会都連合会の赤石英夫さん(77)は「震災の犠牲者と、人の手で虐殺された死は違う。その事実を認めず、埋没させるのは負の歴史を反省せず、現代において民族排外主義やヘイトスピーチの容認にもつながる」と批判する。

「全ての犠牲者に哀悼の意を示している」から個別には送らない、というのは一見もっともらしく聞こえるが、これはつまり、自然災害である震災の犠牲者と人間の手による虐殺の被害者を区別しないということだ。

自然に責任を問うことはできない。その自然による死と区別しないのなら、殺した者の責任も問わないことになる。未曾有の大災害の中で、同じ被災者であった朝鮮人たちを、理不尽な憎しみをもって日本人が殺した。その責任に向き合いたくないからこそ、小池はこのような理屈をこねるのだ。

極右はどこまでも卑怯だ。

[1] 『「朝鮮人追悼文 今年も控える」 小池都知事、市民団体再考要請へ』 東京新聞 2018/8/2

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