この映画は未見だが、実際に見に行った人たちの感想を読むと、相当にひどいらしい。
最大の問題は、この映画が事故対応の経緯に関する事実を大きく歪めていることだ。
地震は3月11日午後に起き、その日の夕方から、福島第一原発は危険な状態になっていた。12日未明、総理は自衛隊のヘリで現地へ向かい、視察した。
この現地視察は当時から、批判された。「最高責任者が最前線に行くなどおかしい」というのが批判の理由だ。
映画は、この立場から批判的に描く。
さらに、「総理が現地へ行くことになったのでベントが遅れ、被害が拡大した」したというストーリーに仕立てている。いまもこのストーリーを信じている人は多い。
総理の視察とベントの遅れとの因果関係は、何種類も出た事故調査委員会の報告書で否定されている。遅れたのは、手動でやらなければならず、準備に時間がかかったからで、これはこの映画でも詳しく描かれている。
映画では、準備が整い決行しようと思ったところに、東電本店から「総理がそっちへ行くので、それまでベントを待て」と言われ、できなくなったことになっている。吉田所長の感覚としてはそうだったのかもしれない。
だが、菅首相としては「午前3時にベントをする」と伝えられていたのに、3時を過ぎても「遅れていること」も、「遅れている理由も」も知らされない状態だったので、「行くしかない」となったのだ。
その首相側の事情は描かれていない。
12日午後、一号機が爆発する。映画では、首相は官邸の危機管理センターにいて、そのモニターでリアルタイムで知ったかのように描かれている。
しかし実際はこういう経緯だ。
爆発は15時36分。菅首相は15時から与野党の党首会談に出席し、16時過ぎに終わった。
執務室に戻ると、危機管理監から「福島第一原発で爆発音がした。煙も出ている」との報告を受けたが、管理監も「詳しいことは分からない」と言う。しばらくして、白煙が上がっているらしいとの情報も入る。
そこで東電から派遣されている武黒フェローを呼んで訊くと、「そんな話は聞いていません」との答え。武黒フェローは「本店に電話してみます」と言って問い合わせたが、「そんな話は聞いていないということです」と言う。
菅首相は原子力安全委員会の斑目委員長に「どういう事態が考えられますか」と質問し、委員長が「揮発性のものがなにか燃えているのでは」と答えたとき、秘書官が飛び込んできて、「テレビを見てください」と言う。
テレビをつけると、日本テレビが、第一原発が爆発しているのを映していた。
実際に爆発してから1時間が経過しており、その間、東電からは何の報告もなく、首相は、一般の国民と同時刻に、テレビで知ったのである。
東電の本店と福島第一原発はモニターでつながっているので、本店はリアルタイムに知っていたはずだが、それを伝えなかった。問い合わせにも「聞いていない」と答えた。
そういう東電本店のお粗末さが、この映画では描かれない。
(略)
もうひとつの重要シーンは、3月15日だ。午前3時頃、菅首相は、東電が現場から撤退したいと言ってきたとの報告を受けた。
誰もいなくなったら原発の暴走を止めることはできず、日本は壊滅する。しかし、このまま、職員が現場にいたら、命が危ないのも事実だった。
東電社員は民間人である。民間人に、政府が「命をかけろ」と命令できるのか。法律上は総理にはそんな権限はない。だが、菅首相は「撤退はありえない」と、官邸に来た東電の社長に伝えた。日本を守るためには東電に対処してもらうしかないのだ。
さらに、午前5時半過ぎに、東電本店へ行き、事故対策にあたっているオペレーションルームで、「命をかけてください」と呼びかけた。
映画ではこのシーンでも、「総理」はヒステリックにわめいているが、実際はどうだったか。
(略)
「今回のことの重大性はみなさんが一番わかっていると思う。政府と東電がリアルタイムで対策を打つ必要がある。私が本部長、海江田大臣と清水社長が副本部長ということになった。これは2号機だけの問題ではない。2号機を放棄すれば、1号機、3号機、4号機から6号機。さらには福島第二サイト、これらはどうなってしまうのか。これらを放棄した場合、何か月後かには、全ての原発、核廃棄物が崩壊して放射能を発することになる。チェルノブイリの2倍から3倍のものが10基、20基と合わさる。日本の国が成立しなくなる。何としても、命がけで、この状況を抑え込まない限りは、撤退して黙って見過ごすことはできない。そんなことをすれば、外国が「自分たちがやる」と言い出しかねない。皆さんは当事者です。命を懸けてください。逃げても逃げ切れない。情報伝達は遅いし、不正確だ。しかも間違っている。皆さん、委縮しないでくれ。必要な情報を上げてくれ。目の前のことも、5時間先、10時間先、1日先、1週間先を読み行動することが大事だ。金がいくらかかっても構わない。東電がやるしかない。日本がつぶれるかもしれない時に撤退はあり得ない。会長・社長も覚悟を決めてくれ。60歳以上が現地に行けばよい。自分はその覚悟でやる。撤退はあり得ない。撤退したら、東電は必ずつぶれる。」
映画での、「総理」の発言は、もっと短く、「逃げられない」と絶叫しているだけだ。
省略はいいとして、全体の主旨まで歪めているのは、どういう意図だろう。
(略)
どの段階で誰が、「総理大臣を悪役にする」と決めたのかは知らないが、出発点がそこにあるので、演技も演出も、「総理」登場シーンだけは、事実とはかけはなれてしまっている。
当時の民主党、菅直人政権を批判するためのプロパガンダ映画として作られたのなら、その目的は達成されるだろう。
しかし、そんなことが目的の映画だったのか。
この映画は菅直人首相(当時)を悪役に仕立てる一方で、吉田昌郎福島第一原発所長(当時)を英雄化して描いている。
しかし、吉田所長は東電の原子力設備管理部長だったとき、福島沿岸に15.7mの津波がありうると予測した報告を潰した張本人だ。原発は歴代自民党政権と地域独占電力会社が作り続けてきたもので、菅直人はたまたま事故当時政権の座にあっただけだが、吉田所長はあの事故の原因を作った責任者の一人なのだ。
吉田さんが2010年6月に1F所長に就任してあいさつする場面がありました。それ以前は、本店の原子力設備管理部長。15.7mの津波予測(津波地震)をつぶし(2008年7月、日本原電はこれに対策を施した)、東北電力の貞観津波報告書を書き換えさせた(2008年11月)、その責任部署の部長だったのです。
— 添田孝史 (@sayawudon) March 6, 2020
命を投げ出して奮闘する現場作業員らは、そんな事実を知りません。大津波予測はちゃんと事前にあった。それを握りつぶした張本人である吉田さんは、その後始末のために部下たちを高線量、爆発の危険性のある現場に向かわせる。たぶん、苦しかったと思います。そこまで描くと映画、もっと深く凄いのに。
— 添田孝史 (@sayawudon) March 6, 2020
吉田さんは、津波予測が引き上げられて15mの対策をせねばならなくなったとき、その対策を拒絶し、葬った張本人なのです。要は、福島核災害を引き起こした真犯人なのです。
— Hiroshi Makita Ph.D. (@BB45_Colorado) March 7, 2020
拒絶した理由は、「そんなことをしたら採算がとれなくなる」です。https://t.co/dtSJOw5Lgg
原作が原作だけに予想された通りの結果とは言えるが、結局これは民主党政権叩きのプロパガンダ映画でしかないようだ。つまりは、最初から「そんなことが目的の映画」だったのだ。
なぜというより、映画の目的がはじめから、原発擁護であり民主党政権叩きが目的だからでしょ。桜案件さえなければ、選挙にぶつけたかったでしょうに。試写会で見ましたがひどいものでした。→映画『Fukushima 50』はなぜこんな「事実の加工」をしたのか? @gendai_biz https://t.co/1vUyFcGcWp
— Nobuyo Yagi 八木啓代 (@nobuyoyagi) March 8, 2020
これが「全ての人に贈る、真実の物語」(『Fukushima 50』公式サイト)とは、呆れるしかない。
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