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朝鮮人虐殺:「自分が所持していた亜砒酸を飲まされて悶死」事件についての追加的考察

前回記事で、関東大震災時に「朝鮮人が井戸に毒を入れようとした」のは流言ではなく事実だという主張はまったくのデタラメであり悪質なヘイト発言であることを指摘しておいた。

話の本筋から外れるので前回は省略したのだが、ここでは、このヘイト発言の元となった事件について、もう少し考察を加えてみたい。

まず、このデマの根拠とされた、10月20日の司法省発表に基づく新聞記事は以下。(東京時事新報1923年10月22日)

画像出典:神戸大学附属図書館デジタルアーカイブ

飲料水へ毒

    あべこべに飲まされて悶死

  九月三日午前九時頃本所菊川町十字路附近自称李王源

毒薬亜秕酸七八匁を懐中し本所区徳右衛門町菊川町方面焼跡残存者が唯一の飲料水供給所たる菊川町の水道消防栓附近を徘徊中群衆に捕はれたが、亜秕酸を食塩と強弁し強いて嚥下せしめられて忽ち悶死した

実は、これとよく似た話が他にもある。

横浜で被災し家を失った朝田惣七氏が、避難先の知人宅で聞いた話である。[1]

『土地の若者は刀、竹槍、銃を持つて警戒し、私しの家から出た槍の穂尖を青年団に渡しましたら、立派な槍にしましたよ。何にしろ鮮人と来ては、井戸へ毒を投げ込み、◯◯◯する 致方が無いので、青年団も敵概心が満ち満ち、始めは一刀の下に切って捨てたのですが、仕舞には処々の井戸をつれ回って、水の有害無害を鑑定させ、其の結果毒にあたって死んだ者が、かなりありますよ。而して鮮人をつれて行く場所が、極まって居て、其の処へ血みどりになったのを、引立て行くのがあります。まあ仕を見たって戦場ですね。』

横浜で(それ以外でも)井戸から毒物が検出されたことなどないのでこれは嘘なのだが、では実際には何が行われたのか。

震災後に横浜市が取りまとめた『横浜市震災誌』に、こんな記載がある。[2]

鮮人の暴行に関する実跡調査報告

(略)

 九月三日夜、中村町植木会社構内避難民、付近井戸毎に覗き居たる一鮮人を発見し、毒物を投入せるものと信じたる付近住民は激昂の余り、殴打・殺害せる事実あるも、毒物を投入したるや否や判然たらず。其後該井水を使用しつつあるも、何等異常なきに見るも、全く毒物の投入にあらずして、渇を覚え水を飲まんとして、井戸を覗けるものと思惟せらる。

実際には水源付近で発見した朝鮮人を問答無用で殺しておいて、自分たちが投入した毒を飲んで死んだ、自業自得だと、責任回避のストーリーを作ったのだろう。

本所菊川町の水道付近で朝鮮人が自警団に殺された事件も、実相はこうしたものだったのではないだろうか。

[1] 朝田惣七 『横浜最後の日』 文正堂出版部 1923年 P.130-131
[2] 横浜市役所市史編纂係 『横浜市震災誌』 第四冊 1927年 P.36