読む・考える・書く

マスコミやネットにあふれる偏向情報に流されないためのオルタナティブな情報を届けます。

関東大震災の1年前にも朝鮮人虐殺が起こっていた

うかつにもまったく知らなかったのだが、実は関東大震災の1年ほど前にも日本国内で朝鮮人の虐殺事件が起きていたことを最近教えてもらった。

中津川(信濃川)朝鮮人虐殺事件という。※中津川は信濃川水系に属する河川の一つ

朝鮮新報(2022/12/27)

【特集】中津川朝鮮人虐殺から100年~アイゴ谷と呼ばれた地~

 新潟県津南町、日本一の豪雪地といわれるこの場所で、かつて朝鮮人労働者らが虐殺、虐待される凄惨な事件が起きた。1922年、関東大震災朝鮮人虐殺の前年にあった「中津川朝鮮人虐殺事件」だ。

 事件は、同年7月29日付の読売新聞が「信濃川を頻々流れ下る鮮人の虐殺死体」という見出しで大々的に報じ、当時日本の植民地支配下にあった朝鮮半島にまで広く知れ渡るようになった。その後、在日朝鮮人による調査団が組まれるなど、当事者らの真相究明活動で明らかになった惨たらしい事実―。

 それは、新潟県中津川の上流に建設中だった水力発電所(信越電力)の工事現場で、奴隷労働といわれるタコ部屋労働を強いられた朝鮮人労働者が虐殺されたこと。当時の現地住民の証言では、800人以上いたと推測される朝鮮人労働者のうち、100人程の虐殺を含む多数の犠牲者がいたのではないか、との発言もあった。

 いわゆる戦時労務動員として多くの朝鮮人が日本の軍需工場や炭鉱などへ強制連行される10年以上も前、1920年代に起きた日本の民衆による朝鮮人リンチ・虐殺事件であった。

この虐殺事件は発生当時、読売新聞が取材して記事にしている。以下、当時の記事を紹介する。

読売新聞(1922/7/29)

信濃川を頻々流れ下る 鮮人の虐殺死体

    「北越の地獄谷」と呼ばれて 付近の村民怖じ気をふるう

    信越電力大工事中の怪聞

【新潟特電】信越電力株式会社では昨年から向う八ヶ年計画で信濃川の水力を利用して、遠く関東地方まで送電し、東洋第一の発電所とする空前の大工事をその水源の新潟県下に起したが 最近工事に使用されている鮮人の溺死体が下流各所に発見され 次第に工夫虐待致死という奇怪至極の風聞を伝えられて来た

しかも命知らずの工夫頭の多い事とてうっかり口を滑らすとすぐ襲撃を受ける恐れがあるため付近の町村民は悉く秘密裡に葬り去っているが この人道を無視した虐殺問題は今や「北陸の地獄谷」として喧伝され、所轄十日町警察署では工事地である大割野巡査出張所を駐在所と変更して警官の増派方を請い 徹底的取締りをなすべく現に県警察部に申請中である

逃げ出すと嬲り殺し 山中にも腐爛した死体が転っている

    ……目撃した人の話

【新潟特電】一目撃者は恐れおののきながら今の世にあり得ない次の物語りをした

「地獄谷というのは妻有秋成村大字穴藤という作業地で ここには千二百名の工夫がいて内六百名は鮮人です

始め雇ひ入れる時は 朝鮮からのは一人四十円位前貸し一ヶ月六十九円の決めですが 山に入ったが最後 規定の八時間労働どころか、朝は四時から夜の八九時頃まで風呂にも入れず牛や馬のように追ひ使ふ

仕事といへば食時を除けば一分間も休まずにトロッコ押し、土掘り、岩石破壊から土工、材木かつぎまでやるのだから心臓は悪くなる、からだは極端に弱る、堪え切れないから罷めたいといっても承知して呉れない

冬は雪国だから丈余の雪中に埋もれてビュウビュウ北風に身を切られる、夏は四方の山に風が遮られて蒸し殺されるよう

そこへこの過酷の労働です 始めとはまるで約束違いの待遇に 夜に入って逃げ出そうとする者の多いのは何の無理がありましょう、私は逃げようとして捉えられたものをもう十何度となく見ています、中にもなまけものといわれている朝鮮人が多いのです

逃走者に対する処罰、それは両手を後ろに縛り上げて三四人の見張り番――見張り番は一名決死隊と呼んで匕首や短銃を懐にしている、――が杉の樹に吊し上げて棍棒で打つ、なぐる、

この月の始めでしたか県下東■城郡松の山の尾身某というのが矢張りこの伝でやられた、三日間絶食させられ、三度気絶した、その後どうなったか

地獄谷の後に当る苗場山か、岩菅山に逃げたというのですが未だに生死不明です、そして恐ろしい事にはよくこの山中で逃げ出した朝鮮人の腐爛した残死体が発見される

私の聞いただけでも川の下流だけでさえ死因不明の鮮人七八名の死骸が漂着しています 恐らく働かぬといっては虐められ、逃げ出したからといっては前のように嬲り殺しにされたのではあるまいか」

身体に大石を結び着け断崖から

    此儘には済まされぬと官吏語る

【新潟特電】更に同郡の一官吏は

「二三日前四五名の土方が下穴藤の高さ千四百五十尺の断崖から一名の鮮人に大石を結び付けて投げ込んだのを見た村民が来て内々知らせて呉れたのでもうこの儘には済まされない」と記者に単なる噂でない事を裏書きしたのも恐ろしい

8月3日の続報には次のようなことが書かれている:

(略)生活のため甘い口車にのって遥々と越後の山奥までやって来る、言葉はまるで通じない(略)その上連れてくる時は八時間労働だという最初の約束が、之は何と朝は明け切らぬ内から夜は遅くまで十六時間、十七時間ぶっ通しで働かせる

一日二円五十銭の賃銀の内二十銭は頭がはねる 飯は米と南蛮のお菜で一日金一円也、貸布団料やら何やかやと引かれて残り少い、朝鮮人でなくても罷めたくなる、(略)罷めさして呉れというと旅費を返せ、酒代を返せとあべこべに逆ねじを食う、

逃げ出すのは命が大事だからだ、が地獄谷の周囲には脱走者を防ぐ厳しい警戒網が布かれてある、でも命が大事だ、勤めていて何より辛い、苦しいのは過酷の労働だ、心臓は悪くなる、栄養不良に陥る、からだは弱る、少し骨を休めれば打つ、蹴る、殴る、どっちにしても命がけだ(略)

就職詐欺で労働者をかき集めていったん山奥の作業場に放り込んでしまえば、あとは募集時の約束など反故にしても被害者には抵抗する手段がない。後の戦時徴用工や「従軍慰安婦」に対して使われた手法が、既にこの時代から活用されていたことがわかる。

使う側にとってみれば、これほど便利な奴隷はいない。たとえ脱走されても、言葉も通じない異国の地では逃げようがなく、すぐ捕まえられる。しかも、日本人とは違い、音信不通になって朝鮮の家族が騒ぎ出しても容易に黙らせることができる。

まるで関東大震災時の朝鮮人虐殺の予行演習のようなこの事件からは、当時の日本人が朝鮮人をいかに人間扱いしていなかったか、よく分かる。

ところで、上記記事のように最初は摘発に意欲を示していた官憲も、朝鮮人自身による真相究明の動きが始まると一転して隠蔽に回り、逆に彼らを弾圧するようになった。

読売新聞(1922/9/8)

「殺さば殺せ……」で直ちに中止解散

     昨夜の鮮人虐殺事件演説会

    八名の検束者を出す

信濃川鮮人虐殺事件調査報告演説会が七日夜神田美土代町の青年会館で開かれた、妙齢の鮮人女学生数名も混って聴衆は千名近く 入口で入場者を一々身体検査をやって入れるという塩梅で相変らず警戒厳重であった

鄭海氏が鮮語で開会の辞を述べ白武氏が日本語翻訳する、朝鮮からわざわざ調査に来た羅景錫氏は実地について調査した真相について詳細に報告したが その内容は内務省が発表したという虐殺事件のとは大変に違う、そして「鮮語を解する警官が数名居っても虐待の事実は一つも報告されていないのは報告なるものが総すべて嘘で固まっているという立派な証拠である」と、『当局の否定』を否定した

また実地調査をした朴烈氏もこれと大同小異の報告をしてから金■範、小牧近江氏その他の熱烈な演説があり、金■斗氏が朗読演説をやって日韓合併問題に及ぶと臨検の増田錦町警察署長は即座に中止と叫んだので場内は一時にザワつき、白武氏興奮して『殺さば殺せ』と血の出るような声を絞り出す時『中止解散』の命令が出た

一警官は白武氏に躍りつき手取り足取りたちまち浚さらって行った

時に九時十分 なお右のほか富岡哲および鮮人元九碩ほか六名 全部八名は錦町署に検束された

結果、未だに事件の真相は闇に葬られたままである。