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不可解な「日中交流史シンポ」の報告

10月15日付け東京新聞夕刊で、『溝埋める学術の新風 日中交流史シンポから』という記事を読んだ。書いているのは国際日本文化研究センター(日文研)の鈴木貞美という教授である。

内容は、南京大学社会科学研究所と共催で、「日中交流史を振り返り、今後の東アジアの知の在り方をさぐる」シンポジウムを行った、という報告。古代・中世以来の交流ばかりでなく、近現代史についても扱ったらしい。

ふーん……と思って何気なく読んでいたら、思わず目を疑うような記述に出くわした。南京大虐殺事件についてである。

 この事件をめぐって日中双方の間に横たわる溝は深い、今となっては確かめようもない死者の数を空中で争わせる状態がつづいている。日本側には、良識派でも、当時の日本の新聞報道からひろがった六〜八万人という数字が念頭にある。中国側の三十万人は、激しかった空爆の犠牲者から後遺症による死者までを想定している。そもそも双方のいう事件の範囲がちがうのだ。

 新しい学術の風は、このような互いの立場や角度のちがいを知ることからはじめる。そして確実に言えることだけをひとつひとつ積みあげ、溝の深さを埋めてゆくだろう。

「当時の日本の新聞報道からひろがった六〜八万人という数字」?

これは常識の類だと思うが、「戦時中、南京大虐殺事件(以下、南京事件と略称)の発生を知っていた日本人は、軍部・政府上層の関係者と外国報道を検閲なしで見られる立場にあった一部の者に限られ、一般国民は東京裁判の報道ではじめて知らされた」[1]のであって、この事件に関する日本の新聞報道など存在しなかった。そもそも、当時の厳しい検閲下で、日本軍の引き起こした大残虐事件の報道などできるはずもない。

 日本の政府・軍部指導者たちは、南京事件の発生当時から情報をえて対応したが、その情報は日本国民には厳格に知らせないようになっていた。(中略)内務省を中心に新聞・雑誌・ラジオなどの言論報道統制を徹底して、南京事件のような日本軍の侵略行為、残虐行為などの事実を国民に隠蔽するようになっていた。陸軍省、海軍省においても新聞班が設置され「新聞掲載事項許否判定要領」にもとづいて「わが軍に不利なる記事写真」は厳しく検閲して報道させなかった。

 内務省警保局は、日本のマスメディアが南京虐殺を報道するのを厳しく取り締まっただけでなく、アメリカを中心に世界で広く報道され、国際的な批判を巻き起こした外国の新聞・雑誌の南京虐殺報道を発売禁止あるいは削除させ、日本国民には知らせないようにしていた。内務省警保局図書課『出版警察報」(不二出版より復刻版)の「外来出版物取締状況」には、南京事件に関連して発禁処分にした新聞、雑誌、書籍のリストがある。中園裕「新聞検閲制度運用論』(清文堂、2006年)によれば、外務省情報局も外交事項に関する新聞法を発令して南京大虐殺事件の検閲に介入していたのである。外務省は南京事件についての膨大な情報を入手しながら、国民への報道は封じ込めて隠蔽したのである。[2]

また、日本の「良識派」と言うが、まともな学者やジャーナリストで虐殺数が「六〜八万人」などと言っている者はいない。というより、そんなことを言っているようなら、その人物は「良識派」などではあり得ない。

「溝は深い」とか「互いの立場や角度のちがいを知る」とか言う前に、まず歴史的事件に関する初歩的事実をきちんと認識しておくべきではないのか?

 

[1] 笠原十九司 『南京事件』 岩波新書(1997) p.4

南京事件 (岩波新書)

南京事件 (岩波新書)

[2] 笠原十九司 『南京事件論争史』 平凡社新書(2007) p.36-37