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水素爆発の予測すらできなかった東電

これは、読んでいて思わず目を疑ってしまった。

毎日新聞(8/17)

福島第1原発:東電、水素爆発予測せず ベント手順書なし

 

 東京電力福島第1原発事故で、3月12日に起きた1号機の水素爆発について、政府の「事故調査・検証委員会」(畑村洋太郎委員長)の聴取に対し、東電側が爆発前に予測できていなかったと証言していることが分かった。長時間の全電源喪失時に格納容器を守るため実施するベント(排気)のマニュアル(手順書)がなかったことも判明。このため、作業に手間取るなど、初期対応で混乱した様子が浮かび上がった。

 

 関係者によると、政府事故調はこれまでに、同原発の吉田昌郎所長ら東電社員や政府関係者らから聴取を続けている

 

 1号機の水素爆発は、東日本大震災の翌日の3月12日午後3時36分に発生。建屋の上部が吹き飛んだ。水素は、燃料棒に使用されるジルコニウムが高温になって水と反応し発生したとみられている。

 

 関係者によると、事故調に対し、東電側は原子炉や格納容器の状態に気を取られ、水素が原子炉建屋内に充満して爆発する危険性を考えなかったという趣旨の発言をし、「爆発前に予測できた人はいなかった」などと説明しているという。

(略)

 

◇原発事故調査委・ヒアリング経過メモ(要旨)

 

 事故調査・検証委員会が、福島第1原発の吉田昌郎所長やスタッフ、関連企業の社員ら、学識経験者にヒアリングした経過を8月にまとめたメモの要旨は次の通り。

(略)

 

 <水素爆発>

・1号機の水素爆発を予測できた者はいない。爆発後数時間以内に、炉心損傷で発生した水素が建屋に充満して爆発した可能性が高いと結論付けた

あの水素爆発を予測できなかった?
原発を運転している当事者である東電が?
本気か?いや、正気か?

私の手元には高木仁三郎さんの『プルトニウムの恐怖』(岩波新書)があるのだが、それにはこう書かれている。ちなみに、これは1981年、つまり今から30年も前に出版された本だ。

恐怖はさらに続く

 (11) 2時間11分後、制御室の運転員は、ようやく危機の根源が開き放しになった逃し弁にあることを知ったのである。(こんなに時間のかかったひとつの理由は、弁の開閉表示が不適切で、「閉」の表示ランプがついてはいたのだが、それは「閉じよ」の電気信号を意味するだけで、実際の開閉は表示されていなかったことにある。)その後は、運転員が逃し弁系の元弁?を手動操作で開閉し、圧力調整を行なうことになった。

 (12) 逃し弁の開き放しが解消し、原子炉系の圧力が上ったことにより、その後ある程度危機はやわらいだ。しかし、その後十数時間にもわたって、混乱は続き、炉心は、第二、第三の危機を経験したのだった。(それらの詳細についてはここでは触れない。)

 これらの一連の経過によって、燃料棒は大規模に破損し、炉心の一部は溶融したと考えられる。それと同時に、被覆管のジルコニウムと水(蒸気)の反応によって大量に発生した水素が、水素爆発の危険性をもたらした。

 放射能の環境への大量放出と水素爆発の可能性は、二日後に妊婦と幼児の避難命令をうながすとともに、事故の恐怖をその後何日も持続させることになった。

 これが、この未曾有の事故の、最初の何時間かを中心にしたごくごく簡単なレポートである。この事故を詳しく語ろうとすれば優に一冊の書を必要とするのであるが、それは必ずしも本書の主題ではない。巨大科学技術について考えるための素材として、ここでは事故の記述を右の点にとどめておこう。


これは、1979年に起きた米スリーマイル島原発事故の経過に関する説明(の一部)である。

スリーマイルと同じ軽水炉で、同じように炉心が露出すれば、加熱した燃料棒の周囲で発生した水素によって同じように水素爆発の危険が生じるのは理の当然ではないか。

そんなことは、原子力工学の専門家でなくても、原発についてある程度の知識があれば予測できることだ。

17機もの原発を運転してきたエキスパート中のエキスパートである東電が、経営陣はおろか現場のスタッフまで含めても、誰一人それを予測できなかったというのか?

スリーマイル島事故の検証すらしてこなかったのか?

事実だとしたら、信じがたいほどの愚かさだ。

事故調査委への東電側の証言が、正直な告白なのか、何らかの責任逃れを意図した嘘なのかは分からない。

ただひとつ確かなことは、そのどちらであるにせよ、東電に原発を運転する資格などないということだ。


プルトニウムの恐怖 (岩波新書 黄版 173)

プルトニウムの恐怖 (岩波新書 黄版 173)