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笑った嬰児 ― 日本軍は中国で何をしたか

 

前回記事で、通州事件の仇討ちだとして、無辜の中国人を道案内に駆り出しては用済みになると殺していた通訳の話を書いた。

この話を語ってくれた坂倉清氏が、これとは別に、自分が兵隊となって初めて人を殺したときの体験を告白していた[1]。印象深い話なので紹介する。

 

 山東省蒙蔭県に丈八邸という部落があった。山の麓の河原に細長く沿いポプラとアカシアの木に囲まれた静かな部落である。

(略)

 部隊は昨夜来の行軍で今朝の七時頃にこの部落の外れに到着した。地下に兵器工場がある……との情報に基づいて行われた作戦だった。部隊は展開後間もなくこの部落に乱入した。(略)

 警戒兵を命ぜられた私はアカシアの蔭に身体をひそめて見張りをした。部隊が乱入してからものの五分もたたない頃300メートル位先の高梁畑の中を籠を提げたり天秤をかついで走り去る七~八名の農民の姿を見た。(略)叫びつつ飛んで来た軽機は腰だめで火を噴いた。私も夢中で小銃の引き金を引いた。手ごたえがあった。アッという間に農民の集団は高梁畑に姿を消した。小隊長は命令した。「生きている奴はつかまえて来い」と一段と声を荒くした。私は四~五名の兵隊と共にこれを追いかけた。そして間もなく農民の倒れている付近に来た。古兵は私達初年兵に言った。「いいか、死んだふりをしているから気をつけろ」と注意してくれた。私は真っ先に高梁の根元を掴んで倒れている年老いた農民を発見した。(略)古兵が笑いながら、「馬鹿こんなヨボヨボをひっぱっていって何になるんだ。弾丸一発勿体ないが眠らせてやろう」と言いつつ頭めがけて引き金を引いた。頭蓋骨が飛んで、乾いた砂ぼこりの上に転んだ。べっとりとした脳のかたまりが私の脚絆にくっついた。私は農民の上衣でこれを拭い落として次を探した。

 そこから10メートル位の所に若い主婦が倒れていた。わき腹の所にべっとりと血がついている。こいつも生きてるのかなーと思い、その傷口を踏みつけようとしたとたん、ギクッとした。背中から冷水を浴びせられた様な寒気がして来たのだった。まだ生まれて一年とはたっていないだろう嬰児が血潮で真赤に染まった母親の乳房を撫でまわし、何時もと同じような仕草で乳首を吸っていたのだ。嬰児の顔も真赤だった。そしてこの嬰児がそこに立っている私の方を見て笑いかけているようだった。そして笑った真赤な嬰児の顔が二つにも三つにもいや十にも百にも数え切れない数となって私の足元に這い寄って来るような気がした。(略)私はそこに居たたまれずカンカン照りの高梁畑の中をまた捜し始めた。

 部隊はこの部落に一昼夜幡居した。あの笑った嬰児は冷たい真赤な乳房を撫でまわしながら死んでしまったであろう、母親と共に。

 私が入隊して半年月、初年兵の第二回の作戦に参加した初めての人殺しの罪行であった。(略)

   (さかくら きよし  元五九師団、五四旅団、四五大隊、歩兵砲中隊)

 

日本軍による蛮行は無数に繰り返されたが、坂倉氏のように自らの行為の犯罪性を認識して告白するケースは例外中の例外と言える。多くは、何も語らないまま墓の中まで記憶を持っていくか、あるいは、戦友会など仲間内の場でだけ、酔いにまかせて掠奪・強姦や殺人を「自慢話」として語った。

旧日本軍軍人たちの罪悪感のなさには、実に驚くべきものがある。

 

[1] 坂倉清 『笑った嬰児』 季刊中帰連 14(2000年9月)号 P.63-64

 

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