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読む・考える・書く

マスコミやネットにあふれる偏向情報に流されないためのオルタナティブな情報を届けます。

「かわいそうなぞう」にまつわる苦い話

動物

 

このあたりで、実話としての「かわいそうなぞう」にまつわるその他の話題をまとめておく。

■ジョンもかわいそう

上野動物園の猛獣虐殺で殺されたゾウは、ジョン(♂)、ワンリー(♀別名「花子」)、トンキー(♀)の三頭だった。しかし、「かわいそうなぞう」でのこの三頭の扱いには大きな差がある。まずジョンが餓死させられるのだが、その死に際しての記述はたったこれだけである[1]。

しかたなく、たべものをひとつもやらずにいますと、かわいそうに、ジョンは十七日めにしにました。

ワンリーとトンキーのときのように、「ぞうがかりの人が、さけびながら、じむしょにとびこんで」くることもなく、知らせを聞いたみんなが「やせたぞうのからだに、すがりつ」いて「おいおいと、声をあげてな」くこともない[2]。どうしてか?

当然疑問に思う人はいるわけで、Web上でも楾大樹さん(弁護士)のブログや、ねむれないさめ さんのブログなどがジョンヘの不公平な扱いを指摘している。

実は、原因は不明だが、当時ジョンは次第に凶暴になりつつあり、園でも手を焼いていたようだ。このため、大達東京都長官による虐殺命令が出される8月16日より前の13日の段階で既にジョンの「処分」を決め、給餌を止めていた[3]。

オスのインドゾウ「ジョン」は次第に凶暴となっていて,当時すでに,前肢をペレーと称する短い鎖で行動の自由が制限されていたぐらいである。空襲時にそなえて早目に処分することが検討されていたのである。しかし銃殺では附近の住民に不安をまねくおそれがあることから毒殺が計画され,8月13日から,ゾウのオスジョンの絶食がはじめられている。

結局、よくなついて芸もするワンリーとトンキーは助けたかったが、厄介者のジョンは「かわいくなかった」のだろう[4]。

 処置しなければならない動物のうちに、象が三頭いることに、私は全く途方にくれてしまいました。このうち一頭の牡象は、性質も狂暴なので、この象だけは、こうした事情のもとでは、なんとかしなければならないと思い、こんな問題の起らないうちに、私の方から上司に処置を申し出て、許可を得ていた位なのでしたが、他の二頭の象は、どうしても生かしておきたかったのです。

 とりわけ、トンキーは三頭のうち、最も身体も小さく、性質もおとなしく、芸をよくしたので、これだけはどうしても思い切れないのでした。

飼育していた側の感情としてはやむを得ないのかもしれないが、ジョンにしてみれば、好きで動物園に来たわけではない。勝手に連れてこられ、狭い空間に閉じ込められ、手に負えなくなると殺される。同情されることもなく餓死したジョンは、この三頭の中でも一番かわいそうなのではないだろうか。

かわいそうなぞう  ジョン トンキー

上野動物園百年史』より。よく見るとジョンの前脚は鎖で拘束されている。

かわいそうなぞう

『実録上野動物園』より。餓死したジョン。

■ほかの猛獣たちもかわいそう

長く苦しんで餓死したゾウたちはもちろんかわいそうだが、他の猛獣たちも虐殺の犠牲となったのは同じである。その死も、「らいおんも、とらも、ひょうも、くまもだいじゃも、どくやくをのませて、ころしたのです」[5]というほど簡単ではなかった[6]。

 ところで、動物たちは、薬によって殺されたものばかりではなかった。いや、むしろ薬だけで死んだものは割合に少なく、多くは、なかなか毒物を食べようとしなかったり、意外に薬の量が少なすぎたり(何しろ未経験のことで、しかも明確な体重を測定できない猛獣たちなので、致死量は、あくまで推定によるしか方法がなかった)で、容易に死にきれなかった。それで、他のいろいろな方法で、殺さざるを得なかった。このことは、あまりにむごいことでもあるので今日まで、実は発表しなかったのだが、この本に、初めて明らかにする。

(略)

◇ニシキヘビ

 生きているヤギ、ニワトリなどを常食としているので、餌に毒物を入れて与えることは不可能のため、絞殺することにした。

 まず、頭部に細紐を巻き(檻の鉄柵の間から入れて巻きつけようとしてもいやがって、首を動かすので容易には巻きつかなかった)、数人で引張ったら、柵のところまできた。そこで、解剖刀で頸礎部を切断した。十分後に呼吸が止まったが、その間首を切られたのに、長く太い胴体は、ドジョウのように、くねくねと動きまわっていた。その後すぐ、心臓部を摘出し、解剖台の上に置いたが、その後一時間半鼓動をつづけていた。

◇ニホングマ

 三日間絶食させたが、少しも疲労したようすがない。八月二十一日夕刻、寝ているところを、首にロープを巻こうとしたが、なかなかできず、三十分以上苦心の末、やっと巻きつき、数人で引張って、窒息死させた。その間、十五分。

クロヒョウ

 先端がワイヤーロープになっている長さ三メートル余りの棒のついたひっくくりわなで、首をしめ、四分三十秒で絶命。

(略)

◇ライオン雌(エチオピヤ産)

 十六日絶食、十七日半減、十八日半減、十九日から連日絶食の後、八月二十二日午後六時五分硝スト三グラムをウマの肉に入れて与える。にがいのかすぐ吐き出す。さらに十二グラムを分与したが全然食べず。全量の半分は肉とともにのみこんだと思われる頃、四十分に、第一回筋肉強直収縮の発作がおこり、四十二分転倒、四肢をふるわせて苦悶、四十五分再び発作三分間の後、起き上がる反射機能なく興奮する。五十八分、第二回強直発作あり、呼吸促進転倒、けいれん発作、苦悶甚だしかったので、七時三十三分、心臓部を槍で刺す。三十五分第二回穿刺、四十分反射機能停止、麻痺をおこし始め刺激に応ぜず、末梢神経麻痺、四十二分瞳孔散大、呼吸停止、絶命する。所要時間一時間三十七分

■動物園の人たちもかわいそう

もちろん、かわいがって世話してきた動物たちを自ら手にかけなければならなかった人々が受けた精神的ダメージも大きかった。

動物園物語[7]:

 夜、床に入っても眠れない日が幾月もつづきました。突然ライオンに襲われたり、豹がなれなれしくそばに寄ってきて、はっと驚いて目をさますこともあったのです。

 眠られぬ夜は、なかなか死ねなかったライオンの牝を思いだしてなりませんでした。

 このカテリナは性質もおとなしく、よくなついていました。子供を多く生み、また育てることも、とても上手でした。(略)

 死んだマレー熊は、小さい時から動物園で飼われていました。はじめは、首に鎖をつけて歩いたのでした。牛乳の壜を渡すと、立って前足で壜をおさえて飲むのです。

(略)

 いっそ、ひどい空襲でもあって、動物たちは勿論、私達も共に死んでしまった方が、どんなに幸福かと、その頃は本当に考えたものでした。

 毎日々々、楽しんで二十数年通った動物園に、かわいい動物たちを殺すために通わねばならないとは……、毎朝きまった時間に家を出る私の足は、重かったのでした。

実録上野動物園[8]:

 都長官に提出した次の表には、毒殺ということにしてあったので、どの猛獣も容易に薬をのんだような印象を受けるが、実際はそんなものではなかった。猛獣を殺しはじめてからは、就職以来、一日もかかさなかった園内の巡回を、あまりしなくなった。一ヵ月たらずの間に八キロ近く体重が減った。私ばかりでなく、当時動物園にいた者はみなそうだった。自分の係の動物が殺される当日、欠勤してしまう人もいた。眠っていても、動物たちが夢に出てきて熟睡できない日がつづいた。二十五年経った今日でも、二十七頭の“あいつたち”のことは、決して忘れてはいない。

■ゾウは餓死させるしかなかったのか?

毒の入った餌を与えても食べず、注射しようにも皮膚が硬くて針が通らず、このため餓死させるしかなかったとされているゾウたちだが、本当に他の手段はなかったのだろうか。そういう疑問が湧いてくるのは、こんな記録があるからだ[9]。

 9月11日のワンリー(花子)の死後,トンキーの処置が急がれることとなった。9月14日(火)には,陸軍獣医学校より市川収少佐ほか10数名が来園して,ゾウの処置を試みた。青酸カリを水に溶かして飲まそうとしたが,うまくゆかず,結局絶食より他はないということになった。福田日記の9月14日分は次のとおりである。

 「一,陸軍獣医学校ヨリ市川少佐外十数名来園,象ノ所置ヲセントシタルガ青酸加里ヲ水に溶解シテ飲マセントノコトニテ之ハ不可トシ所置ヲ中止シ採血シテ帰ル。結局絶食ノ方法二由ルコトニ決ス。(略)

採血ができるのなら、血管に針は通るのだから、注射もできるはずである。

これは想像だが、注射による毒殺という手段が取られなかったのは、実行者が危険にさらされるからではないだろうか。大型動物に致死量の毒薬を注射するには、ある程度の時間、相手の至近距離にいなければならず、注射に苦痛が伴えば猛獣が暴れる可能性がある。そう考えるのは、針が通らないという問題がないはずの他の猛獣に対しても注射による毒殺という方法は取られていないからだ。

■衰弱したゾウたちを観客に見せていた?

この件で、私にとって一番納得が行かないのがこの点である[10]。

 九月四日に処置した動物たちの慰霊祭が行なわれた。大達都長官ももちろん列席した。井下課長は私を呼んで、ゾウが二頭残っていることは、長官には内証にしろといわれた。くじら幕のうしろ側に、やせたトンキーと花子がかくされていた。

 九月七日、二頭のゾウがあまり衰弱したので観覧させられなくなり、この日から扉を閉めてしまった。

動物たちの死を前提に「慰霊」法要を行ったのに、その後も二頭のゾウ、それも飢えて衰弱しているゾウたちを観客に見せていたというのだ。私には、こういうことができる感覚がどうにも理解できない。また、死んでいるはずのゾウを見た観客たちは、どう思ったのだろうか。

 

[1] 土家由岐雄 『かわいそうなぞう』 金の星社フォア文庫)1982年 P.10
[2] 同 P.14
[3] 東京都 『上野動物園百年史』 第一法規出版 1982年 P.170
[4] 福田三郎 『動物園物語』 東京ライフ社 1957年 P.139-140
[5] 『かわいそうなぞう』 P.8-9
[6] 福田三郎 『実録上野動物園』 毎日新聞社 1968年 P.175-177
[7] 『動物園物語』 P.205-206
[8] 『実録上野動物園』 P.180-182
[9] 『上野動物園百年史』 P.180
[10] 『実録上野動物園』 P.180

 

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そして、トンキーもしんだ

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