読む・考える・書く

マスコミやネットにあふれる偏向情報に流されないためのオルタナティブな情報を届けます。

差別発言を許容する社会が障がい者大量殺人を生んだ

ああいう人ってのは人格あるのかね

ああいう人ってのは人格あるのかね。ショックを受けた。ぼくは結論を出していない。みなさんどう思うかなと思って。

絶対よくならない、自分がだれだか分からない、人間として生まれてきたけれどああいう障害で、ああいう状況になって……。

しかし、こういうことやっているのは日本だけでしょうな。

人から見たらすばらしいという人もいるし、おそらく西洋人なんか切り捨てちゃうんじゃないかと思う。そこは宗教観の違いだと思う。

ああいう問題って安楽死につながるんじゃないかという気がする。

今回の障がい者大量殺傷事件の容疑者が、障がい者は「人間としてではなく動物として」生きているとか、障がい者を「安楽死できる世界」を目指しているなどと書いていたことを知って、この石原発言[1]を思い出した人も多いのではないだろうか。

この発言は、1999年、石原が都知事に初当選してまだ半年も経たない頃のものだ。しかし、都の有権者は石原自身の人格の直截な表現であるこうした暴言を少しも問題にせず、4期にわたって石原を都知事に選び続けた。

野蛮な社会が必然的に生み出したヘイトクライム

もちろん石原は、周囲に「障害者を殺してやる」と口走っていた[2]相模原事件の容疑者などとは違って、直接的にああしろこうしろとは言わない。このときも、記者から「安楽死」の意味を問われて、「そういうことにつなげて考える人もいるだろうということ」「安楽死させろと言っているんじゃない」と弁解している。しかし、障がい者の人間としての尊厳を否定するこうした発言や、東京都知事という要職にある公人がこのような差別発言をしても何ら制裁を受けないという事実が、「そういうことにつなげて考える」社会的傾向を助長してきたことは間違いない。

社会が差別を許容すれば、それはエスカレートしていく。今回の事件は決して特殊な人間による社会状況から隔絶した犯行ではない。石原的な差別発言を許し、口には出さなくても本音ではそれに共感するような野蛮な社会が、必然的に生み出したヘイトクライムなのだ。


[1] 『「ああいう人たちに人格あるのかね」 石原知事 重度障害者の病院視察し、感想』 朝日新聞 1999.9.18
[2] 『相模原殺傷 「殺害」口走る容疑者 注意しても聞き入れず』 毎日新聞 2016.7.26

 

東京を弄んだ男 「空疎な小皇帝」石原慎太郎 (講談社文庫)

東京を弄んだ男 「空疎な小皇帝」石原慎太郎 (講談社文庫)

 
ヘイトスピーチ 「愛国者」たちの憎悪と暴力 (文春新書)

ヘイトスピーチ 「愛国者」たちの憎悪と暴力 (文春新書)

 
ネットと愛国 (講談社+α文庫)

ネットと愛国 (講談社+α文庫)