事実という嘘
目の不自由の方々が象を囲んでこの珍しい動物がどんなものかを調べることにしました。調べた後、それぞれの人が象について以下のように述べました。
「象は扇子のような動物だ」。耳を触った人が言いました。
「象は柱のような動物だ」。足を触った人が言いました。
「象は蛇のような動物だ」。鼻を触った人が言いました。
「象は壁のような動物だ」。胴体を触った人が言いました。
・・・・・・同じ動物を調べたのに、十人十通りです。
この「盲人摸象」という寓話を私は小学校の教科書で知りました。同じ事実であっても見る人の主観と限界で異なるものとして認識され伝えられてしまいます。だから特定の話をそのまま信用せず、現場で直接見聞することや複数の話をクロスチェックすることが重要であると教えられました。
(略)
これは「群盲象を撫でる」とか「群盲象を評す」と呼ばれている、古くからある有名なたとえ話で、私も子どもの頃に聞いた記憶がある。たまたま手に入れた断片的な情報を真実と思い込んではいけない、さまざまな観点から得た情報を総合的に判断して全体像をとらえなければならない、というのがこの話が教える教訓だ。
だが、目の不自由な人たちが象を囲んで触っているのなら、たとえ一人ひとりが得られる情報は断片的でも、それぞれが得た情報を交換し、互いに議論することで、全体像に近づいていくことができる。これと比べても、いまの日本の情報環境はさらにひどいのではないか。
テレビや全国紙にほとんどの情報を依存する普通の人々が置かれているのは、いわば次のような状況だろう。
象はどこか遠いところに隔離されており、人々はマスコミが撮影した映像を通してしかこれを見ることができない。しかし、マスコミが見せるのはいつも象の体のほんの一部だけ。どこを映して見せるかは、常に彼らが決める。
そして、中国という「象」を映すときには、巨大な牙や、何もかも踏み潰しそうな足だけが見せられる。一方、安倍政権という「象」を映すときに見せられるのは優しそうな目や器用そうな鼻だけ。
これでは、象を囲んだ人々がみな指示された同じ部分を触っているようなもので、認知がどんどん歪んでいくのも当然だ。
もちろん今はネットという情報源もあるが、ネットに流れている情報の大半はマスコミ情報の単なる繰り返しか、あるいはそれをさらに加工・改ざんしたものだ。
先の戦争でも、民衆の差別意識に迎合して中国への蔑視と敵意を煽るマスコミが全面戦争への強力な牽引役となった。
敗戦時にしたはずの反省はどこへ行ったのか。当時と同じことを繰り返すなら、その結果もまた同じになる。