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南京中山陵の「天下為公」 ― 「皇帝の時代」を終わらせた中国と終わらせなかった日本

■ 広大な孫文の陵墓

今回の南京旅行で、大虐殺祈念館以外に訪れた数カ所の一つが中山陵。中国の人々から「国父」として尊敬されている孫文(中国では孫中山という呼び方のほうが一般的)の陵墓で、南京を代表する観光地でもある。

中山陵は、南京市街の東に位置する紫金山に広大な墓域を有しており、南麓から北に伸びる道に沿って、牌坊、陵門、碑亭、祭堂と墓室が一直線上に配置されている。

牌坊。

南京 中山陵

牌坊から陵門への道。

南京 中山陵

陵門。

南京 中山陵

祭堂までの石段は392段ある。段差は小さいが、これだけ数があると登るのはかなりしんどい。

南京 中山陵

祭堂。中に孫文の坐像が置かれているが、内部は撮影禁止。

南京 中山陵

祭堂からの眺めはかなりの絶景。この日は曇っていて遠くは霞んでいたが、これもまた趣がある。

南京 中山陵

■ 陵門に掲げられた「天下為公」

ところで、中山陵の陵門には、大きく「天下為公」の四文字が掲げられている。

南京 中山陵

どういう意味かわからなかったので、案内してくれた友人に聞いてみた。すると、こんなふうに説明してくれた。

中国ではずっと、たった一人の人間(皇帝)に天下の全てが隷属する時代が続いてきた。孫文はそんな時代を終わらせて、天下を等しくすべての民のものとする新たな時代を築こうとした。だからその意志を示すこの言葉をここに掲げている、と。

なるほど、である。

確かに、始皇帝以来二千年以上続いてきた「皇帝の時代」は、孫文らの辛亥革命によって完全に終止符を打たれた。単に清という一王朝を倒しただけではない。中国社会の構造を根底から変革する大革命である。以後、君主制の復活など、中国では考えることもできなくなっている。

ひるがえって、日本はどうか。

武力では江戸幕府に勝てても格では徳川将軍家や諸大名にはるかに劣っていた下級武士たちは、権力の頂点に立つために、とっくに有名無実化していた天皇家を自らの権威付けに利用した。しかも、権威の源泉を確実なものとするために、天皇家を神聖不可侵とする虚偽の歴史まででっち上げてしまった。

人民に権力の根拠を持たない明治維新は、所詮、革命ではなくクーデターに過ぎない。そして、日本が近代化の過程でついに革命を成し遂げられなかったことが、その後のあらゆる災厄の源となった。明治維新は偉業でも何でもなく、痛恨事なのである。

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