読む・考える・書く

マスコミやネットにあふれる偏向情報に流されないためのオルタナティブな情報を届けます。

【番組評】NHKスペシャル「スクープドキュメント 沖縄と核」

9月10日(日)に放送されたNHKスペシャル「スクープドキュメント 沖縄と核」は、衝撃的な番組だった。

米軍が沖縄に核兵器を配備していたこと自体は、以前からある程度知られてはいた。しかし、それがこれほどの規模で、かつこれほど危機的状況だったとは知らなかった。恐るべき現実である。

番組HPより:

 45年前の本土復帰までアジアにおけるアメリカ軍の“核拠点”とされてきた沖縄。これまで、その詳細は厚いベールに包まれてきた。しかし、おととし、アメリカ国防総省は「沖縄に核兵器を配備していた事実」を初めて公式に認め、機密を解除。これを受け、いま「沖縄と核」に関する極秘文書の開示が相次ぎ、元兵士たちもようやく重い口を開き始めた。そこから浮かび上がってきたのは、“核の島・沖縄”の衝撃的な実態だ。(略)

この番組が告発しているポイントのうち、特に重要なのは以下の3点だと私は思う。

  1. 那覇近郊で起きていた核ミサイルの誤発射事故
  2. キューバ危機の際、沖縄は破滅の瀬戸際にあったこと
  3. 核リスクを沖縄にだけ押し付ける日本政府の卑怯さ

以下、順に見ていくことにする。

一歩間違えば那覇が壊滅していた核ミサイル誤発射事故

1959年6月19日、核弾頭を搭載した地対空迎撃ミサイル「ナイキ・ハーキュリーズ」が誤って発射されるという事故が起きた。発射準備の訓練中に誤操作でブースターに点火してしまい、ミサイルは水平に飛んでそのまま目の前の海に突っ込んだ。

現在那覇空港がある場所にあった基地での出来事だ。

当時このナイキ部隊にいた元兵士の証言:

突然ごう音が鳴り響きました。
振り向くとナイキが海に突っ込んでいました。
地面には仲間が倒れ死んでいました。

― 事故を起こしたミサイルには核弾頭が搭載されていたのか?

核弾頭は搭載されていました。
核弾頭特有の装置が付いていたので分かったのです。
その核弾頭の威力は広島に投下された原爆と同じ規模で20キロトンでした。

事故は全面的に機密扱いで、一切話すなと命じられました。
核が絡んでいたからです。
核爆発を起こしていたら、那覇が吹き飛んでいたでしょう。

沖縄の人々には事故のことを知る権利があると私は思います。

キューバ危機が核戦争に発展していたら沖縄は地上から消滅していた

1960年代に入ると、アメリカはさらに強力な核兵器を沖縄に配備していく。広島型原爆の約70倍の威力の核弾頭を搭載したミサイル「メースB」(射程2,400Km)だ。

沖縄は極東における最大の核拠点となった。

そして1962年10月、キューバ危機が起こるとDEFCON2が発令され、沖縄の核基地も臨戦態勢に入った。メースBの状態はすべて「HOT」で、これは発射準備完了を意味する。

嘉手納の核兵器整備部隊にいた、ある兵士は、このとき核兵器に搭載するプルトニウムを沖縄から韓国クンサンの空軍基地に輸送するよう命じられた。(沖縄は緊急時に日本や韓国の基地に核を供給する拠点となっていた。)当時、この兵士は沖縄の女性と結婚し、妻と三人の子どもと共に嘉手納基地で暮らしていた。この元兵士の証言:

私が運んだプルトニウムは、韓国の基地で核爆弾に搭載され、
爆撃機に装備されることになっていました。

私は輸送機の窓の外を眺めながら考えていました。
これは本当に核戦争が始まるんだろうと。

家族には二度と会えないと思っていました。

― 世界が終わるから?

世界が終わるというより、沖縄が終わるだろうと思っていました。
私たちと同じようにソ連も核兵器を持っていましたから、アメリカ軍の最重要基地である沖縄を核攻撃(wipe out)しないはずはありません

このとき、危機が土壇場で回避されなければ、核戦争がどのような経過を辿ったとしても、少なくとも沖縄は確実に地上から消し去られていただろう。人々は何も知らされないまま破滅の瀬戸際に立たされていたことになる。

「核の傘」だけ手に入れてリスクは沖縄に押し付ける卑怯な日本政府

キューバ危機後も沖縄の核兵器は増え続け、1967年には1300発に達した。

どうして狭く人口の密集した沖縄にこれほどの核兵器が集中したのか。その構造を決定したのは、1960年に締結された日米安全保障条約だった。締結の日本側責任者は、安倍が敬愛する祖父、岸信介である。

条約に伴う核兵器に関する取り決めで、日本国内への核兵器の持ち込みには事前協議が必要とされ、これが国内の米軍基地への核配備に対する歯止めとなった。しかし、将来の沖縄返還を想定していたにもかかわらず、この事前協議の対象には沖縄を含めず、日本は沖縄の米軍基地への核配備には関与しない(黙認する)ことが密かに決められていたのだ。

この結果、「核の傘」を支える抑止力としての核は沖縄に集中することになった。

日本は「核の傘」という利だけを取り、戦時の攻撃目標となる核はすべて沖縄に押し付けたわけだ。

さらに1961年、地元メディアでメースBが核ミサイルだと報じられ、琉球政府が配備中止を求めて日本政府に協力を求めると、日本政府は逆に配備をごまかす姑息な策を弄した。当時の外相小坂善太郎とラスク国務長官の会談記録が残っている。

小坂:沖縄にメースなどの武器を持ち込まれる際、事前にいちいち発表されるため論議が起きているが、これを事前には発表しないことはできないか?

ラスク:アメリカの手続きとして、何らかの発表を行うことは必要と思われる。

小坂:事後に判明する場合には、今さら騒いでも仕方がないということで、論議は割合に起きない。事前に発表されると、なぜ止めないかといって日本政府が責められる結果となる。

当時琉球政府立法院議員だった古堅実吉さんは、初めてこの事実を知らされてこう語った。

馬鹿にしている・・・。

怒りがわいてくるね、これ。
県民をだまして穏やかにやりなさいということでしょう?

唯一の被爆国の外務大臣か・・・?

情報を隠し、小出しにし、たとえバレても嘘をつき続ける。戦争責任から公害問題、原発事故に至るまで、日本政府のこの卑怯さは常に一貫している。この卑怯さこそ日本特有の闇と言っていいだろう。

それにしても、思えば島津の琉球侵略以来、琉球処分、沖縄戦、そして膨大な米軍基地と核の押し付けと、日本は常に沖縄に巨大な害悪をもたらしてきた。この上さらに新たな基地まで作ろうというのか。日本政府はこれ以上沖縄に手を出すな。

最後に、一年以上もの時間をかけて膨大な証拠資料と証言を集めた制作スタッフと、これを日曜のゴールデンタイムに放送したNHKに敬意を表したい。これは全日本人が必ず観るべき番組だと言える。

再放送は9月19日火曜日の深夜24時10分(20日0時10分)からなので、本放送を見逃した方は是非どうぞ。

テレビが見られない方はこちらを。


【関連記事】

 

沖縄現代史 (岩波新書)

沖縄現代史 (岩波新書)

 
日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか

日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか

 
日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか

日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか