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小学生の恐ろしい作文を改ざんする卑怯な大人たち

■ 不自然に少ない、東京の児童による朝鮮人虐殺目撃証言

以前、当ブログで、「震災作文」(関東大震災を体験した子どもたちの作文)という形で残された、朝鮮人虐殺の目撃証言を取り上げたことがある。

このとき、資料[1](『朝鮮人虐殺関連児童証言史料』)を調べていて気になったのが、横浜に比べて東京の震災作文では、朝鮮人虐殺についての記述が質・量ともに乏しいことだった。

確かに横浜は民衆による朝鮮人虐殺の最も激しかった土地だが、東京も殺した数では負けていないし、横浜では起こらなかった軍隊による組織的大量虐殺なども発生している。当時の東京市内にあった小学校と生徒の数を考えれば、もっと多くの目撃証言が震災作文という形で残っていていいはずなのだ。

■ 東京の児童による震災作文の例

資料[1]には、東京の児童による震災作文として、震災翌年に公刊された東京市学務課編『東京市立小学校児童震災記念文集』(以下、『震災記念文集』)と、東京都復興記念舘(墨田区横綱町公園内)所蔵資料から抜粋したものが掲載されている。

以下は『震災記念文集』に収録された作文の例。

本郷区 尋常1年 男子(P.264)

 九月ノツイタチニ 大ジシンガアリマシタノデ ハウバウノ人ガコマリマシタ ソシテボクハウチノマヘノアキチデネマシタ ソノトキハトウキヨウハゼンメツデシタ。
 ウチノ山二◯◯◯◯◯ジンガスコシスンデヰマシタガ 七十七バンチノセイネンダンガキテ ソノ◯◯◯◯◯ジンヲコロシテシマイマシタ、ボクノウチモマへノアキチデネマシタガ サムクテサムクテ タマラナカツタデス。

本所区 尋常2年 男子(P.266)

 ぢしんの時には家の前のどぶのふちへにげました。(略)三日目の夕方の雨のふる日あらかはばしのところに、◯◯◯◯◯人がしんでゐました。それをみてぞつとしました。それであらかはばしのところで、私はまいごになつて、なきながらうろうろしてゐました。(略)

深川区 高等2年 男子(P.277)

(9月2日)あたりはだんだん暗くなってアチラコチラと提灯の光が見え出した。今夜はゆつくり寝ようとゴロリ横になつたときであつた。俄然「◯◯人が攻めよせて来た!皆注意しろ!!」と大声に叫んだ者があつた。むくり跳ね起きた僕は外へ出た。何んと云ふ有様であらう手に棒切れを持つた青年団員抜刀した巡査などが大声に呼ばはり呼ばはり歩いて居る其のさげてゐる提灯も物凄い光りを出して居る人々は此の震災に対して頗すこぶる元気が昂たかぶつて居る時であるから「◯◯人なんどぶち殺して了しまへ!!」と各自に鳶口棒切などを持つて出た。僕も手頃の棒を持つて出た総人数十四人工場に這入つて居る年寄女子供を守る事になつた。
(略)
(9月3日)そろそろと何を目的でさまようのか眼を皿のやうにした人々があつちこつちと行き通つてゐる。
 その中を厳しく武装した各自警団が悠々として時々通るたまには血気にはやつて同胞を殺すことがある其物騒千万である自警団が其の時の市民にとつては唯一の頼みの綱であつた。人々によつて語り出されることは皆◯人騒ぎである。
 僕は何んの気なしに役場へ行つた悽愴の極みと言はふか其処には抜刀した人竹槍を持った人鳶口ハンマーを持つた人又は焼けた刀を抜いた人々が皆同一の如く「是で◯◯人を一寸だめしにするのやれ是で横腹を突さしてやるの」とがやがやと話し合つて居る。
 日の長き時も時のたつに従ひあたりは次第々々にうす暗くなつた。それと共に人々の顔色も曇って来た。今は全く夜となつた。自警団のちらちらと提灯の光は其の悽愴を物語つた。
 「◯◯人が行つたぞ!捕へろ!!」と闇をつらぬく声に僕の心はおどつたそして声する方へ駈けだした。
 「殺して了へ!殺して了へ!!」と川をとりまいた大勢の人々が各自の武器を出して何やら黒きものをたたき且突ついてゐるやがて黒きものは鳶口によつて道路へ引上げられた僕は前へ出て見た、その黒きものは人である。……
 酸鼻と言はふか凄惨と言はふか、その人の顔といはず胴といはず切傷突傷又は刺した傷でその所からぶくぶくと生ぐさい血が出て虫の息である。……
 是を見て一同は各自の武器をさし上げて万歳を唱へた。

復興記念館所蔵の作文では次のようなものがあるが、目撃証言はほぼこれですべてだ。

普通科1年 女子(P.284)

ちょうど四日のお昼ごろ、にわかに外がさわがしくなってきて、方々で鮮人が来たの言叫で声がきこえてきた。たいがいの家では戸をしめてしまって開いている家は少しかありません。私はこわいもの見たさで戸の隙間からそっと外を見ると、血なまぐさいにおいがぷんとはなをつきます。私の家にあった祖父の写真が佃寅さんにあづけてあったので、それを取に行くのに兄さんは、気もちが悪いとで私と定やが取に行きました。小橋の向うに湯屋があって、其の中に鮮人がたくさん取こになっています。其の前には血がいっぱいです。きっと鮮人をころした時の血でしょう。(略)夜になると兵隊が二人づつ、剣付鉄砲をもって裏々をまわって歩きます。突然外がさわがしくなりました。どこかでつかまったのでしょう。さわがしい声が次第に闇の中にきえて行きます。

普通科1年 女子(P.285-286)

其の船から改連丸と云う船に乗せてもらいました。火事もあらまし消たから帰と思って船に荷物をのせていると、人ごろしさわぎだから、もう少し中船に御やっかいになってお□□□□□□不明らしてきた。それですから、又船にいた五日の日にだいじょうぶだから帰ってこいと船でむかえにきたから帰ってきた。其の途中、船で朝鮮人の殺したのを二人おきの方に流しに行くのだとひっぱっていった。

■ 改ざんされた震災作文

『震災記念文集』では、公刊時の検閲で「朝鮮人」が「◯◯人」などと書き換えられているが、読めばそれが朝鮮人を指していることは簡単に分かる。ところが、そのような伏せ字による修正ではなく、文章を書き換えて朝鮮人の存在自体を隠蔽してしまった事例があることが明らかになった。この事実を発見したのは長年朝鮮人虐殺関連史料の発掘を続けてこられた西崎雅夫氏(「一般社団法人ほうせんか」理事)である。[2]

 関東大震災における朝鮮人虐殺事件に関連する証言史料を、主に都内の公立図書館で収集する過程で、初等教育研究会編『子供の震災記』(目黒書房、1924年)を読んだことがあったが、とくに朝鮮人関連の記載がないので、参考にしなかった。
 『子供の震災記』は深川・千代田・京橋など都内の古い公立図書館や国会図書館に所蔵されている。私がこれまで読んだのは、深川などの区立図書館のものだった。
 ある日、たまたま国会図書館所蔵の同書(デジタル資料化されている)を閲覧した。同じタイトルで2冊あったので気になってそれぞれを閲覧すると、内容が異なっていることに気づき驚いた。朝鮮人に関する流言・虐殺が記載されているものと、それが改ざんまたは削除されているものの2種類だった。前者は実際には刊行されていないようだ。奥付をみると検印がない(次頁上の写真)。それに対して後者には検印がある(次頁下の写真)。検印のあるものは区立図書館にも所蔵されているが、検印のないものは国会図書館にある1部のみである。

国会図書館の蔵書検索で『子供の震災記』を検索すると、確かに同じタイトルの2件がヒットする。これらは、インターネットからは見られないが、国会図書館のデジタル化資料送信サービスに参加している図書館であれば閲覧することができる。

以下、作文に対してどのような改ざんが行われたのかを具体的に見ていくことにする。それぞれ、左が原文、右が改ざん後の文章である。[3]

尋常2年 女子(P.5)

 みつかめにはちやうせんじんばくだんをなげたり、ゐどの中にどくを入れたり、それからいつどこへ火をつけるかわからないとおつしやいましたから、その日はほんたうににげるやういをして、私はようふくを二まいきてかばんをかけてゐました。

 みつかめにはわるいひとびといしころをなげたり,ゐどの中に棒切を入れたり、それからいつどこから火事が起るかわからないとおつしやいましたから、その日はほんたうににげるやういをして、私はようふくを二まいきてかばんをかけてゐました。

※「井戸に毒」を避けて「棒切れ」にした結果、何がしたいのか意味不明になっている。

尋常2年 女子(P.9)

 そのうちにおとなりへてうせん人が三人はいつてきて、「わあわあ」といふときのこゑがきこえます。わたくしはいくどかお母様に
「お母様、てうせん人がおうちへはいってきたらどうするの」
とおきゝしてもお母様はだまつていらつしやいました。

 そのうちにおとなりへ若い男の人が大勢はいつてきて、「わあわあ」といふときのこゑがきこえます。わたくしはいくどかお母様に
「お母様、若い男の人がおうちへはいつてきたらどうするの」
とおきゝしてもお母様はだまつていらつしやいました。


尋常3年 男子(P.13)

そとであそんでゐると、うちのじどうしやのうんてんしゆが「ちやうせんじんがつけびをするさうだ」といつて来た。みんながびつくりして、しよせいがうちのまはりをまはつた。「どどん」といふ音がしたのは、ちやうせんじんが、だん丸をなげたのださうだ。

そとであそんでゐると、うちのじどうしやのうんてんしゆが「わるい人々がきていたづらするさうだ」といつて来た。みんながびつくりして、しよせいがうちのまはりをまはつた。「どしん」といふ音がした。それは近所の壁が落ちた、音だとあとでわかつた。


尋常4年 男子(P.27)

 夜になつてやつとねようとするとざいごう軍人が来て「てうせん人がたくさんはいつて来ましたから気をつけて下さい」と言つたので、急にこはくてたまらなくなつて、岩田さんの家へ行つて、其所で一夜あかしました。(略)上野の家は一ぺんのこつたさうですが、家のきんじよへてうせん人がばくだんをなげたのでやけたのださうでした。

 夜になつてやつとねようとするとざいごう軍人が来て「へんな人々がたくさんはいつて来ましたから気をつけて下さい」と言つたので、急にこはくてたまらなくなつて、岩田さんの家へ行つて、其所で一夜あかしました。(略)上野の家は一ぺんのとつたさうですが、家のきんじよへあやしい人がばくだんをなげたのでやけたのださうでした。


尋常5年 女子(P.31)

 やがて火事もやみました。今度はせんじんさわぎとなりました。方々でうはさをしてゐます。井戸にげきやくを入れる。
 パン、まんじゆうにどくを入れる。

 龍岡ろうに三人入った。
 かういふうはさが次から次へと、ひろがります。

 やがて火事もやみました。今度はどろばうさわぎとなりました。方々でうはさをしてゐます。木下さんでも。きものをとられた。
 松本さんではお金を盗まれた。

 龍岡さんとこにも一人は入った。
 かういふうはさが次から次へと、ひろがります。


尋常6年 男子(P.45-51)

(9月2日)間もなく指ヶ谷町まで来た。こゝから方々の電信柱に、今朝出かける時にはなかつた新しいはり紙がしてあつた。それは「各自宅に放火するものあり注意せよ」と書いてあつた。不思議に思ひながら歩いて行くと、向ふの方から二人の巡査に、両方からつかまへられながら、一人の朝鮮人が、血だらけになつて、つれられて行くのにあつた。そこで、はじめてこれは鮮人が東京をこの震災に乗じ全滅させようとしたのだとわかつた。

(9月2日)間もなく指ヶ谷町まで来た。こゝから方々の電信柱に、今朝出かける時にはなかつた新しいはり紙がしてあつた。それには「めいめい自分の家を第一に注意せよ」と書いてあつた。種々な事を考へ乍ら歩いて行くと、向ふの方から二人の巡査に、両方からつかまへられながら、一人の男の人が、大層よつぱらつて、つれられて行くのにあつた。そこで、はじめてこれは悪い人たちがこの震災に乗じ何か物をとるのではないかと思つた。

その中に家の巡査の塩原さんが警視庁から帰つて来た。話によると、「不逞鮮人はどしどし検束してゐますから御安心下さい。又今の火事は上野の伊藤松坂屋附近で御座いましてこの風の吹き方では、まあこちらへ来る事はございますまい」と言つた。

そのうちに家の巡査の塩原さんが警視庁から来た。話によると、署でも気をつけて秩序を立ててゐますから御安心下さい。又今の火事は上野の伊藤松坂屋附迩で御座いましてこの風の吹き方では、まあこちらへ来る事はございますまい」と言つた。

(9月3日)又しばらくすると青年団員が一人「深川方面の鮮人が約七十名一団となって小石川方面に向けて来たから、十七歳以上のものはその警戒の義務に当ること、これは警視庁からの命令です」とどなつて歩いてゐた。又何んだか鮮人の事がこはくなつて来た。その中に十七歳以上の者がボツボツ鉄砲や短刀などを持つて集まつて来た。

(9月3日)又しばらくすると青年団員が一人「深川の在郷軍人も約七十名ほどそろって自分の区を警戒してゐるから、十七歳以上のものはその警戒の義務に当ること、これは警視庁からの命令です」とどなつて歩いてゐた。又何んだか逃た人の事が恐くなつて来た。その中に十七歳以上の者がボツボツ鉄砲や短刀などを持つて集まつて来た。

(9月4日)今日はもう火事もすつかりやみ地震ももうさう大したのはこなくなつた。しかし不逞鮮人のうはさは益々ひどくなり、白山神社の井戸に女の鮮人が毒をいれたから各自宅の井戸を注意せよなぞと方々はり紙がしてある。昨日の鮮人襲来や、巣鴨監獄をやぶつてあれまはるといふ一団も何処へも来た様子がない。

(9月4日)今日はもう火事もすつかりやみ地震ももうさう大したのはこなくなつた。しかしいろいろのうはさは益々ひどくなり、白山神社の境内に女の乞食が白ぼくでなにかかいてゐたから注意せよなぞと方々はり紙がしてある。昨日の大さわぎや、巣鴨監獄をやぶつてあれまはるといふ一団も何処へも来た様子がない。

※「鮮人」の語を避けて別の言葉に置き換えているのだが、「泥棒」はともかく「乞食」や「唖(後出)」にするなど、当時の差別意識を露骨に表した結果となっている。

尋常5年 男子(P.56-57)

 だんだんくらくなつて来た。朝鮮人さわぎがはじまつた。僕はかるい木刀を持つた。こぼつちやん等は、鉄砲を持つたり、たん刀をさしたりしてゐる。ちやうちんをさげて、出ていつた。僕たちは芝ふの上に、かやをつつてねた。空はまつかである。外では「今、朝鮮人が三人つかまつた」とか「むかふの森へおひこめた」とか「けいかいたのむぞ」とか大きなこゑでいつてゐる。

 だんだんくらくなつて来た。夜警のさわぎがはじまつた。僕はかるい木刀を持つた。こぼつちゃん等は、鉄砲を持つたり、しないをさしたりしてゐる。ちやうちんをさげて、出ていつた。僕たちは芝ふの上に、かやをつつてねた。空はまつかである。外では「今、不良少年が三人捕まつた」とか「むかふの森へおひこんだ」とか「けいかいたのむぞ」とか大きなこゑでいつてゐる。


尋常5年 男子(P.61)

 こんど来た人に、僕の家の方をきゝますと、「小石川は砲兵工しようがばくはつして、むろんだめです」といひました。こんどの人は、「山の手は皆大丈夫です。ただ朝鮮人がばくだんをなげるので、きけんです」といひました。

 こんど来た人に、僕の家の方をきゝますと、「小石川は砲兵工しようがばくはつして、むろんだめです」といひました。こんどの人は、「山の手は皆大丈夫です。ただ悪い人が物をとつたりするので、きけんです」といひました。


尋常5年 女子(P.70-71)

 その日はあんまり地震はありませんでしたけれど、今度は朝鮮人でずゐ分さわぎました。
「ほら、朝鮮人がにげたからおつかけろ」なんていつて、朝から晩まで、棒を持つて、あつちへおつかけたり、こつちへおつかけたりしてゐます。その夜はひつきりなしに棒を持つた人が通りました。
 その次の日、お父さんは、深川の親類の人をさがしに行きました。(略)この日も朝鮮人さわぎで、ずゐ分大へんでした。その夜もおもてにねました。

 その日はあんまり地震はありませんでした。
《削除》
「ほら掻さらひが逃たからおつかけろ」なんていつて、朝から晩まで、棒を持つて、あつちへおつかけたり、こつちへおつかけたりしてゐます。その夜はひつきりなしに棒を持つた人が通りました。
 その次の日、お父さんは、深川の親類の人をさがしに行きました。(略)この日も朝来大さわぎで、ずゐ分大へんでした。その夜もおもてにねました。

「女の朝鮮人がにげた」といつて棒を持つておほぜいかけ出て行きました。(略)

「女のぬす人がにげた」といつて棒を持つておぼぜいかけ出て行きました。(略)

 その日の昼頃、ひで子さんのお母さんが
朝鮮人が子供をころすんだつて」
と言ひました。もう私の胸はどきどきしてしまひました。

 その日の昼頃、ひで子さんのお母さんが
変な男が子供をだますんだつて」
と言ひました。もう私の胸はどきどきしてしまひました。


尋常5年 男子(P.85)

 この晩からふてい鮮人のために、さわぎが大きくなって、毎晩ねむれない。

 この晩からしだいに、さわぎが大きくなって、毎晩ねむれない。


尋常5年 男子(P.90-91)

 とんとんと戸をたたく音、戸を開けば青年の服に身をつゝんだ一青年。彼は言うた「今夜は鮮人が爆だんを家々になげこんだり、つけ火をしたりすると云ふ風説がございますから、どうぞ其つもりで居て下さい」と。僕の胸先はわき立つた。僕は思つた。「不てい鮮人等は此の辺に摂政の宮殿下のまします赤坂り宮齋藤朝鮮総とくの居る家等があるのでねらつて居るのであらう」と。(略)

 とんとんと戸をたたく音、戸を開けば青年の服に身をつゝんだ一青年。彼は言うた「今夜は罪人が着物やお金や食物をとつたり,金庫をあけたりすると云ふ風説がございますから、どうぞ其つもりで居て下さい」と。僕の胸先はわき立つた。僕は思つた。「かんごくを逃げた罪人等はこの辺のお家がそろつて立ぱなのでなにかうまく盗めると思つてねらつてゐるのではないか」と。(略)

 鮮人がつかまつたと云ふこゑに目がさめた。見ると数人の警官がちようちんや、くわい中電灯を持ち、何んとなくうすきみ悪い心持になる。(略)

 泥棒がつかまつたと云ふこゑに目がさめた。見ると数人の警官がちようちんや、くわい中電灯を持ち、何んとなくうすきみ悪い心持になる。(略)


尋常3年 男子(P.102-103)

 鮮人騒
 夜は明けた。(略)
 其の午後から大変な事になつた。それは鮮人が石油と綿やぼろ布などを持つて放火をしたり爆弾を持つたりして居ると言ふ事で、今も一人なぐり殺されたなどと言ふ事もかなりあつた。二日の午後三時頃も大勢の鮮人がしばられて家の前を通つた

 さわぎ
 
夜は明けた。(略)
 其の午後から大変な事になつた。
 私は一日中ぶるぶるふるへてゐた。
 午後三時頃も大勢の人がさわいでゐた。


尋常4年 女子(P.109)

 二日目になりますと、ちようせん人がつけ火をするといふのでなほなほびつくりしました。よその内の男の人はみんなぼうを持つたり、きぬ川さんのおぢさんはを持つてばんをしてゐます。(略)近所の人に、女のちようせん人が、ひ川下でどくのおまんぢゆを食べさせてころしてしまつたといふお話をきいてびつくりしました。

 二日目になりますと、いろいろなおそろしいうはさ等がありましたのでびつくりしました。よその内の男の人はみんなぼうを持つたり、きぬ川さんのおぢさんは木刀を持つて番をしてゐます。(略)近所の人に、「女の怪しげな乞食が、ひ川下で人に気の付かれない様にして、あやしげな事をしてゐた」といふ話をきいてびつくりしました。


尋常4年 男子(P.120)

 七日頃まで東京パンを買ひに行つた。せんじんさわぎもずい分こはかつた。内へ来るそうぢやさんが八日頃にきたが、その人はばくだんをもつたせん人を六七人つかまへたさうだ。

 七日頃まで東京パンを買ひに行つた。どろぼうさわぎもずい分こはかつた。内へ来るそうぢやさんが八日頃にきたが、その人はばくだんをもつたはん人を六七人つかまへたさうだ。


尋常6年 男子(P.128-129)

 明くれば二日。その日は僕にとつては、否!僕の町の人に取つては忘れることの出来ない日となつてしまつた。
 その日の昼も過ぎて夕方四時頃俄かに大人の人がかけ込んで来て「不逞鮮人が手に爆弾、鉄砲、拳銃を持つて二千名大崎方面から迫つてくる」と言つた。火薬庫の中にはいつてゐた人は驚いて皆どんどん逃げた。ちょうど其の時僕と兄と二人だけ原へ残つて後は皆家に居た。僕等もその人達と夢中で逃げた。今にも敵が背後に迫るかと心も心ならず、やつと麻布三連隊へ逃げ込んだのが六時半だつた。隣の人四人と僕と兄とで不安の夜を過したのだつた。夜中兵隊さんから牛缶とパンとをもらつて元気をつけた。その間も銃声がポンポンと聞えてゐた。かくして不安の一夜は明けた。とうとう朝鮮人を撃退してつかまつたものが三十人あつたといふ話だ。

 明くれば二日。その日は僕にとつては、否!僕の町の人に取つては忘れることの出来ない日となつてしまつた。

《削除》


尋常6年 男子(P.141-142)

朝鮮人さわぎ
 二日二時頃、刺鮮人がつけ火をしてまはるから気をつけろと言ひまはつた在郷軍人が居た。
 三時十五分頃市ケ谷の方で人がたかつてさわいでゐるので見に行くと一人の朝鮮人が、足でふまれ、木でたたかれて泣き声を上げて居る時、走つて来た軍人がゐた。何をするかと見てゐると人々をおしのけて朝鮮人を救ひ出し、人々に向つて、此の人も日本国民の一人でありますから、さうひどくいぢめるのはかはいさうですと、はつきり言を述べてから朝鮮人をつれてどこかへ立ち去つてしまつた。後で或る人に尋ねると、あの朝鮮人は、煙草とマッチを持つてゐたので、マッチで放火するのでばないかと疑はれたのであつた、と。
 その日は五六名つかまへられた。其の中には友達の家へ行かうと思つて家を出たのがつかまつて居たのもあつた。五六人の内、一人顔のにくいやうなのが半殺しにされて、警視庁の自動車に乗せられて行つたのもある。
 さつきの軍人は僕はよく物事が分つてゐる軍人だと思つた。
 朝鮮人さわぎが始つてから自警団が出来て、皆安心して眠る事が出来るやうになつた。
 殺された朝鮮人は約三百名ゐるとの事だ。

 《削除》

※民衆にリンチされている朝鮮人を軍人が助けたという、いわば美談なのだが、これも削除されている。

尋常6年 男子(P.150-151)

火は消えたと町からの報に人々はほつといきをついた。「朝鮮人を警戒しなければならない」と言ふ通知が又くる。一つすめば又一つ。本当にわるい時にはわるい事ばかり重なる。その間に面白い事があつた。夕飯を食べてゐると「朝鮮人、朝鮮人」とどなって来たので、皆が鉄砲や木刀や刀や竹槍を持つてかけつけた。とても何十人出たかと思ふ位だつた。(略)所がそれは隣にいらつしゃったお容様で、一寸見ると朝鮮人のやうな上に、ビールの瓶に飲水を持つてゐたので、それを揮発油とまちがひて、それで大騒をしたのだ。その方はもう三度もまちがへられて、本郷でまちがへられた時はめちやめちやになぐられたさうだ。

火は消えたと町からの報に人々はほつといきをついた。「ぬす人を警戒しなければならない」と言ふ通知が又くる。一つすめば又一つ。本当にわるい時にはわるい事ばかり重なる。その間に面白い事があつた。夕飯を食べてゐると「泥棒、泥棒」とどなつて来たので、皆が木刀やいろいろのものを持つてかけつけた。とても何十人出たかと思ふ位だつた。(略)所がそれは隣にいらつしゃつたお容様で、一寸見ると人相がわるい上に、ビールの瓶に飲水を持つてゐたので、それを揮発油とまちがひて、それで大騒をしたのだ。その方はもう三度もまちがへられたのであつた。

※「朝鮮人」を隠すだけでなく「鉄砲」や「刀」などの殺傷力の大きな武器の存在も隠されている。

尋常4年 男子(P.171)

 さうして皆横になつて眠つた。僕は眠れないから、ふじ曲さんと電車通へ出た。電車通では大ぜいの人が、「朝鮮人の暴徒が爆弾をもつてせめて来るから用心しろ」と言つてゐた。又朝鮮人が来るといふしるしにがーんがーんと半鐘をたたいてゐた。(略)僕はうちでねるのが本当はこはくてしようがない。

 さうして皆横になつて眠つた。僕は眠れないから、ふじ曲さんと電車通へ出た。電車通では大ぜいの人が、「わいわいさわいでいる声が聞こえて来る誰も心配でねむれないのであらう。その上にいろいろなうはさでも聞いて話合つてゐるのであらう。(略)僕はうちでねるのが本当はこはくてしようがない。


尋常6年 女子(P.199)

 夕方五時頃になると鮮人が火をつけるから皆でよく用心してくれとか、井戸の中へ毒薬を投するから井戸にも番人をつけておけとか、どしどし方々から言ひつたへる。私はびっくりしてやっと火事で安心したかと思ったら又鮮人で心配させられるのかと、つくづくいやになってしまった。
 夜になった。空は昨夜のやうに真赤だ。
 今夜は火事と鮮人におびやかされるのだと思ふと、ああ、どうしてこんなことになったのかと天をうらみたくなる。

 夕方五時頃になると悪い奴がよく通るから皆でよく用心してくれとか、井戸の中へどろを入れるから井戸にも番人をつけておけとか、どしどし、方々から言ひつたへる。私はびっくりしてやっと火事で安心したかと思ったら又悪人で心配させられるのかと、つくづくいやになってしまつた。
 夜になった。空は昨夜のやうに真赤だ。
 今夜は火事と悪人におびやかされるのだと思ふと、ああ、どうしてこんなことになったのかと天をうらみたくなる。


尋常4年 女子(P.223-224)

朝鮮人さわぎ
 二日の朝、勝子さんたちは家へお帰りになりました。
 私が起きたじぶんは、とほくの方のもえてゐるのが見えました。
 九時十時頃たびたびゆりかへしの小さなのがあるので外にゐました。
 二日の日の夕方ごろになつたら、今度は朝鮮人さわぎが始りました。「ひさかた町の方で朝鮮人が二人つかまつた」といふ話が出るかと思ふと、下のおうちの方で「てふせん人がつかまつた」「朝せん人はむかふへ行つた」など大さわぎをしてゐるらしく聞こえるので、二日の日も大へんこわいでした。
 夜になると、きまつて来る人が「とく川さまに朝せん人が入りましたから御用心下さい」などと言つて来るのです。時々とく川さまへ朝せん人が入つたなぞと言ふので、とく川さまへ兵隊さんが番をしてゐました。浜さんへも兵隊さんが来てゐました。まき野さんの広い原などはかくれば所もあるから、朝せん人がはいつてもちよつと分らないから、兵隊さんにゐてもらつた方がよいだらうと言ふので、兵隊さんが来て番をしてゐたこともありました。本たうに朝鮮人さわぎはいやでした。

《削除し写真挿入》


尋常4年 男子(P.233)

或日のことだつた。鮮人のうはさがあつた。それは青年団や色んな人が、中学位の人に「もしも鮮人が来たらめちやくちやになぐつてしまへ」といつてゐた。そんなに言はなくつても鮮人にも善い人がゐるかも知れない

或日のことだつた。わるいうはさがあつた。それは青年団や色んな人が、中学位の人に「もしも盗人でも来たらめちやくちやに追出してしまへ」といつてゐた。そんなに言はなくつてもいゝのに。


尋常6年 男子(P.251-252)

消防出張所の前には、鮮人十数名が数名の巡査にかんしされてゐる。

消防出張所の前には、鮮人十数名が数名の巡査にかんしされてゐる。(注:修正もれ)

   又鮮人か
「鮮人が土手へのぼつたぞう」
「鮮人が土手へのぼつたけいせきがあるぞう」
 飯田町のガード方面から声がきこえる。
「えゝどこまで……」「あゝさうですか」をやつてゐた連中、皆とんで行つてしまつた。しかしこれはうそであつた。
 しばらくすると又見附の外で、
「鮮人がお堀にとびこんだぞう」
といふ。間もなく「ドーン」、銃声が一発きこえた。自動車はカーバイトを堀の方にこらしてゐる。
「わあいわあいわあい」まるで戦争のやうだ。しかし僕は戦争を見たことはない。
 見附の外から来た者にきくと、
「神楽坂の下は提灯をもつた人が左右に立つてゐて、その後に兵隊が、さあこいといはぬばかりに銃けんを持つてゐる。あれぢや何かものいひでもしたら一つきにされてしまふだらう」
と言つてゐる。
 さあこのやうな不安の日はいつまでつゞくだらうか。

《削除し写真挿入》


尋常5年 女子(P.268-269)

 それからすぐと、朝せん人のうはさが高くなりました。私はどうしてそんなことを、するのだ思ひました。二日の夜もでんきがきませんんでした、(略)私は、はやくから外に出てゐました。朝せん人がうちの前でつかまつたものですから、私はそれを見て居ますとそこへ小林しづ子さんが、たもとの着ものをきて、荷物をしよつて兄さんみたいな人と、あるいて来ました。

 それからすぐと、脱ごく人のうはさが高くなりました。私はどうしてそんなことを、するのだ思ひました。二日の夜もでんきがきませんんでした、(略)私は、はやくから外に出てゐました。わるい人がうちの前でつかまつたものですから、私はそれを見て居ますとそこへ小林しづ子さんが、たもとの着ものをきて、荷物をしよつて兄さんみたいな人と、あるいて来ました。


尋常5年 男子(P.279-281)

 二日の夕方の事である。私が伯父さんの家の前にいすがあるので、こしかけて見ると、青年団の人が、紙に「つけ火あり御用心」とかいたのをはりつけた。お父様が「つけ火があつたのですか」とおつしやつたら、その人は「えゝあつたのです。なんでも鮮人がつけたのださうです」といつて、つかつか馬屋の方にいつた。
 それから少したつて、「今鮮人がつかまつたんだよ。いつて見よういつて見よう」と、近所の子供が交番の方にはしつた。

 二日の夕方の事である。私が伯父さんの家の前にいすがあるので、こしかけて見ると、青年団の人が、紙に「おのおの御用心あれ」とかいたのをはりつけた。お父様が「みんな用心するのですか」とおつしやつたら、その人は「えゝたのみます。なかなか油断が出来ませんよ……」といつて、つかつか馬屋の方にいつた。
 それから少したつて、「今あやしいどろぼうがつかまつたよ」と、近所の子供が交番の方にはしつて行つた。

 私達は東京日日新聞の支牡のところに、地震の事なんかや、やけてゐろところなどをかいてゐるので見にいつた。鮮人はどこにもゐなかつた。けれども、その夜は鮮人が出るといふので、夜警をすることになつた。

 私達は東京日日新聞の支牡のところに、地震の事なんかや、やけてゐろところなどをかいてゐるので見にいつた。どこをよんで見ても恐しい事ばかりである。本当に大変なことになつたと思つた。その夜から夜警をすることになつた。

 九時頃であつた、伯父さんの方でなんだかさわがしい。その時に「いまはいつたはいつた」といふ声がする。「そら鮮人がゐる」といふのでみんな伯父さんの家の方へいつた。何にもゐなかつた。此の日の夜警は、いつもよりにぎやかであつた。たれでも、手には、棒、ステツキ、カマ、ピストル等をもつてゐた。

 九時頃であつた、伯父さんの方でなんだかさわがしい。その時に「いまはいつたはいつた」といふ声がする。「そら、がゐる」といふのでみんな伯父さんの家の方へいつた。何にもゐなかつた。此の日の夜警は、いつもよりにぎやかであつた。たれでも、手には、棒、ステツキ くはのゑなどをもつてゐた。

鮮人がどうかしないかしらん」と思つた。いとこのきよちゃんと、よつちゃんはよくねてゐる。あとのものはみんなおきてゐる。火事の方はだんだんこちらの方へ向つてくる。

其人がどうかしないかしらん」と思つた。いとこのきよちゃんと、よつちゃんはよくねてゐる。あとのものはみんなおきてゐる。火事の方はだんだんこちらの方へ向つてくる。

 その時に、いとこが「鮮人がゐるから役場にいつてみてこよう」といつたので、私は見にいつた。いつて見ると七人もつかまつてゐた

 その時に、いとこが「をしがゐるから役場にいつてみてこよう」といつたので、私は見にいつた。いつて見るとなるほど一人の男がゐた


高等2年 男子(P.303-305)

◯ 恐しき流言

(略)もう今日は二日となつた。朝より鮮人さわぎで驚かされた 角角には在郷軍人だの有志等等が、手に手にこん棒杖を結び付け、張つてゐる。(略)「鮮人がつけ火をするさうですから裏口を用心して下さい」「井戸に女が毒を入れるさうですから張番を置いて下さい」その度に何んだか胸がつまる様な感がした。

◯ 恐しいこと

(略)もう今日は二日となつた。朝より色々のことで驚かされた。角々には在郷軍人だの有志等等が、手に手にこん棒杖を結び付け、張つてゐる。(略)「どろぼうが多いさうですから裏口を用心して下さい」「井戸にいたづらをする人が、あるさうですから張番を置いて下さい」その度に何んだか胸がつまる様な感がした。

鮮人々々とおびやかす人のさわぎは四五日も続いた。今度は又「今どこそそこで鮮人がころされてゐましたわ」「今三十人位音羽町でつかまつたそうですよ」鮮人のころされたのを見て来た人の話によると鮮人を目かくしにして置いて一二三で二間ばかりはなれた所より、射さつするのだそうで、まだ死に切れないでうめいてゐると方々からぞろぞろと大勢の人が来て「私にも打たして下さい」「私にも少しなぐらせて下さい」とよつて来るのださうだ。そして皆でぶつなり、たゝいたりするので遂に死ぬさうである。かう云ふと話に又流言に、夢の様な一ケ月が過ぎた。

余震々々とおびやかす人のさわぎは、四五日も続いた。今度は又「今どこそそこで罪人がつかまつてゐましたわ」「今三十人位音羽町でつかまつたそうですよ」こんな話に日が暮て、夢の様な一ケ月が過ぎた。


恐らく、公刊直前になって慌てて手を入れたため、ページ構成が変わるような変更はできなかったのだろう。大きく削除した部分には関係のない写真を入れて穴埋めするなど、さまざまな工夫を行っている。

それにしても、迫害現場の目撃証言だけでなく、まるで朝鮮人がらみの騒動など何もなかったかのように、ほぼすべての痕跡が消し去られている。同様に改ざんされたり、破棄されてしまった記録も多いのではないだろうか。リアルタイムに行われた歴史修正の見事な一例である。

この関東大震災時も、敗戦時も、そして今も、この国の権力は都合の悪い記録を廃棄し、事実を改ざんし続けている。歴史修正主義こそ、「美しい国」日本の伝統なのだろう。

[1] 琴秉洞編・解説 『朝鮮人虐殺関連児童証言史料』 緑陰書房 1989年
[2] 西崎雅夫 『関東大震災朝鮮人虐殺の記録』 現代書館 2016年 P.459
[3] 初等教育研究会 『子供の震災記』 目黒書店 1924年

 

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