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米海兵隊を沖縄に引き止めたのは日本政府。しかも二回も。

■ 少女レイプ事件から始まった辺野古「移設」問題

沖縄の米軍基地問題の大半は海兵隊に起因すると言ってもいい。沖縄に駐留する米軍部隊の中でも最も広い施設面積を占有し、また最も多くの事件・事故を引き起こしているのが海兵隊だ。

1995年、その海兵隊員2名を含む3名の米兵が起こした少女レイプ事件をきっかけに「世界一危険」と言われる海兵隊普天間基地の返還問題が日米政府間で協議され、翌96年12月、キャンプ・シュワブ沖(辺野古)に海上施設を建設することを条件とするSACO最終合意が決定された。

これが、現在にまで至る辺野古「移設」問題の始まりである。

日本政府や右派マスコミは、辺野古新基地建設に反対する運動が普天間の返還を妨げているかのように宣伝してきたが、ほとんど負担軽減にならない上、県内に数十年(あるいはそれ以上)残ることになる新たな米軍基地の建設に沖縄の人々が反対するのは当然のことだ。

しかも、日本政府はいつの間にかSACO合意で予定されていた浮体工法方式を原状回復不可能な埋め立て工法に変えてしまい、その上、たとえ辺野古新基地が完成しても普天間が返還される可能性は限りなく小さいことが明らかになった。

■ 辺野古新基地建設を求めたのは日本側

これだけでもお話にならない暴挙だが、実は少女レイプ事件後、米側が海兵隊の沖縄からの撤退を検討していたにもかかわらず、日本側からこれを引き止めたという、さらにお話にならない事実がある。

沖縄タイムス(2014/9/13)

海兵隊の沖縄駐留「日本が要望」元駐日米大使

 【平安名純代・米国特約記者】米元副大統領で、クリントン政権下で駐日米大使を務めたウォルター・モンデール氏が1995年当時、米軍普天間飛行場の返還交渉で、日本側が在沖縄米海兵隊の駐留継続を望んでいたと述べていたことが12日までに分かった。同年に発生した少女暴行事件の重大性を米側が認識し、海兵隊の撤退も視野に検討していたが、日本側が拒否し、県内移設を前提に交渉を進めていたことになる。

 モンデール氏の発言は米国務省付属機関が2004年4月27日にインタビューした口述記録に記載。1995年の少女暴行事件について「県民の怒りは当然で私も共有していた」と述べ、「数日のうちに、問題は事件だけではなく、米兵は沖縄から撤退すべきかどうか、少なくともプレゼンスを大幅削減すべきかどうか、米兵の起訴に関するガイドラインを変更すべきかどうかといったものにまで及んでいった」と回顧している。

 その上で「彼ら(日本政府)はわれわれ(在沖海兵隊)を沖縄から追い出したくなかった」と指摘し、沖縄の海兵隊を維持することを前提に協議し、「日本政府の希望通りの結果となった」と交渉過程を振り返った。交渉相手として橋本龍太郎首相(当時)と河野洋平外相(同)の名前を挙げているが、両氏の具体的な発言は入っていない。

(略)

なぜこんなことになったのか。宮台真司氏が次のように解説している。

TBSラジオ「新川強啓デイ・キャッチ!」(2018/12/14)

これは以前から言っている、ケツ舐め連鎖なんですよね。ケ・ツ・舐・め・連・鎖
もともと海兵隊の基地には抑止力はありません。これはアメリカが公言しています。(略)だからアメリカは、一部ハワイに、あるいは全面的にグアムに移転する計画を立てていました。
そのアメリカに這いつくばって、「どうか沖縄から出ていかねえでくだせえ」と言ったのは外務省の官僚、一部防衛省の官僚も含まれていると思いますが、日本なんですよね。
(略)
辺野古っていうのは、もう1967年の段階で、アメリカが辺野古新基地建設計画っていうのを持っていたっていうのが、国防総省からのデータで分かっているんですね。(略)新基地建設っていう計画があったのを外務省が見つけ出してきて、「これどうでしょうか」っていうふうに、日本から「移設」っていう枠組みをねじ込んだというのが実態なんですよ。
なんでそんなことをしたんだろうか。それは、外務省っていうのは今やアメリカスクールって言って、アメリカに這いつくばることによって自分の権勢、ポジション、ステータスを維持するような、そういう人たちがいっぱいいるんです。そういう意味でいうと、アメリカとの権力関係、つまりアメリカに這いつくばることによって自分のポジションが上がるという、この構造を変えたくない人がいっぱいいる
(略)
もう一度言いますが、アメリカがどうしても作りたいと言ったのではないんですね。日本から「どうか作ってください」っていうふうに、這いつくばって作らせた基地ということなんですね。だからアメリカの意向ではないから、もともと日本政府の意向なので、だから話し合う余地がない、ってことになっちゃってるんですよね。

なるほど。ここまで腐った官僚連中なら、嘘の公文書で鳩山首相を騙して県外移設を断念させる程度のことなど平気でやるだろう。

■ 沖縄「返還」時にも日本政府は海兵隊を引き止めた

話はこれで終わらない。1972年の沖縄「返還」時にも、米側が沖縄からの海兵隊の撤退を検討していたにもかかわらず、日本側からこれを引き止めたことが明らかになっている。

沖縄タイムス(2013/11/8):

⽇本、海兵隊引き留め 1972年豪公⽂書で判明

 沖縄の本⼟復帰直後の1973年10⽉、⽶国防総省が沖縄を含む海兵隊の太平洋地域からの撤退を検討していたこと が、豪外務省の公⽂書で7⽇までに明らかになった。(略)
 ⽶国防総省の海兵隊撤退検討案は、⽶国務省のアジア担当者から同盟国である豪国の駐⽶⼤使館に伝えられていた。沖縄国際⼤の野添⽂彬講師(国際政治史)が、当時の経緯を記した豪外務省の公⽂書を現地で発⾒、分析した。
 72年10⽉9⽇付の駐⽶豪⼤使館から豪外務省への秘密扱いの公電によると、⽶国務省政治軍事問題局のロバート・マクロム⽒(アジア担当)が、国防総省の分析専門家らが海兵隊組織の検討を⾏ったことを説明。「沖縄やハワイなど、すべての太平洋地域の海兵隊をカリフォルニア州サンディエゴ(キャンプ・ペンデルトン)に統合することが、かなり安上がりで、より効率的」との結論を伝えていた。
(略)
 さらに翌6⽉には、別の担当者からの「⽶国政府内で、海兵隊移転についての真剣な検討が続けられている」という報告が打電されていた。
 ⽇本国内では7⽉、⽇⽶安全保障条約運⽤協議会で、防衛庁(当時)の久保卓也防衛局⻑が「アジアにおける機動戦⼒の必要性を踏まえると、⽶国の海兵隊は維持されるべきだ」と主張
 当初、海兵隊の⽇本への駐留の有効性に疑問を抱いていたシュースミス駐⽇⾸席公使は11⽉、外務官僚との会談を踏まえ、スナイダー⽶国務次官補に対し「⽇本側の海兵隊重視は⽇本に対する交渉上のてこになる」と進⾔。在沖⽶軍基地の⼤幅縮⼩を訴えていた国務省も⽇本政府が在沖海兵隊を必要とすることに乗じて⽇本側の財政⽀援を引き出し駐留維持を志向するようになる。
(略)

愚かしいにもほどがある。このとき日本側からわざわざ引き止めたりしなければ、普天間基地も含め、海兵隊関連施設は1970年代前半には沖縄から消えていたのだ。

しかもこの経緯からは、日本政府がなぜ「思いやり予算」と称して米軍のために異様に巨額の費用負担をしているのかもわかる。米側から見れば「お前らが居てくれと言うから居てやってるんだから金を出せ」ということなのだろう。ちなみに、「思いやり予算」の支出は1978年から始まっている。

■ そもそも沖縄に海兵隊がいるのも日本のせい

しかも、話はこれでもまだ終わらない。そもそも沖縄に海兵隊がいるのは、1950年代後半、日本から移駐してきたからなのだ。[1]

 旧安保条約が、暫定的な性格のものであることを最初に確認したのは、一九五七年六月に行われた岸-アイゼンハワー会談であった。この会談でアメリカ側は、まだ安保改定までは認めなかったが、旧条約が暫定的性格のものであることは認めた。この岸-アイゼンハワー共同声明のなかで米側は、日本から一切の地上戦闘部隊を撤退させることを確約した。それは、東京にあった極東軍司令部を廃止し、極東全域の米軍をハワイの太平洋統合軍に統合するという軍事戦略再編成の一環であったが、同時に日本における反米感情の鎮静化を狙うものであった。
 日本から撤退した地上戦闘部隊、とりわけその中心勢力をなす東富士の第三海兵師団などは日本ではない沖縄に集中した。旧安保条約の成立から六〇年安保改定のころまでに、日本の米軍基地は四分の一に減少したが、沖縄の米軍基地は約二倍に増えた。現在沖縄島北部にあるキャンプ・シュワーブ、キャンプ・ハンセン、北部訓練場など、沖縄基地の半分以上を占める海兵隊基地は、一九五〇年代後半から六〇年代の初めにかけてつくられたものなのである。

移設だ返還だと言う以前に、沖縄に米海兵隊がいるのは、粗暴な地上戦部隊が本土にいることで反米感情が高まることを嫌った日本側の都合の結果なのだ。

何度も繰り返しすぎて嫌になってくるが、沖縄に災厄をもたらすのはいつだって日本だ。

[1] 新崎盛暉 『沖縄現代史』 岩波新書 1996年 P.13-14

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