小林は、そもそも事実でさえなかった呉淞桟橋襲撃事件を使って「便衣兵の脅威」を煽ったあと、こう力説する[1]。
よく「女子供の死体まであった」とかいう証言があるが
女子供が便衣兵なら殺されたって仕方がない田中正明著『南京事件の総括』にも、こうある…
当時、中国の排日・抗日教育は徹底しており、
婦人や子供までが、夜間信号筒をあげて日本軍の所在を知らせたり、
老婆が買い物籠の中に手榴弾を秘匿して運搬したり、
百姓姿の便衣兵に夜襲されたり…
このため日本軍は思わぬ犠牲を強いられた。兵と兵が戦うという近代戦の常識が通用しない
戦争を始めてみたら女・子供も戦闘する所だった
これじゃかわいそうだからとやめられるものでもないベトコンと戦ったアメリカ兵の苦悩も同じだったかもしれない
兵は国民の義務を果たすために戦うしかない
ゲリラは殺すしかない
この小林の主張は、当時の日本軍の行動原理そのものである。女だろうと子どもだろうと、捕えられたゲリラ(またはその疑いをかけられた者)は容赦なく厳重処分(=殺害)された。下は、南京攻略戦の途上で日本軍に捕えられた中国人少年兵の写真(村瀬守保氏撮影[2])。
小林にしてみれば、こうした日本軍の行為は何ら問題のない当然のことなのだろう。
では、次のような場合はどうか?
2015年夏、NHKスペシャル『あの日、僕らは戦場で~少年兵の告白~』が放映された。大戦末期の沖縄戦で、ゲリラ兵として米軍との戦闘に投入された少年たちの物語である。
沖縄北部の山岳地帯で米軍と戦った少年兵がいる。戦後70年経った今、30人余りの元少年兵が戦争の秘められた事実を語り始めた。証言や未公開の資料から、少年たちは、陸軍中野学校の将校たちからゲリラ戦の訓練を受け、凄惨な戦闘を繰り広げていたことが分かった。さらに、「本土決戦」に向け、全国各地で少年たちによるゲリラ部隊が計画され、訓練が進められていたことも明らかとなった。彼らが、どのように身も心もゲリラ兵に変容させられていったのか。証言をもとに、少年たちの戦闘体験をアニメにして、幅広い世代に伝える。また、日本やアメリカで新たに発掘された資料を分析。「一億総特攻」に向けて、子どもが戦争に利用されていった知られざる歴史を伝える。
大本営は謀略戦・情報戦の専門家である陸軍中野学校出身の将校たちを沖縄に送り込み、彼らに地元の少年たちを使ったゲリラ部隊(秘匿名「護郷隊」)を組織させた。
中野学校出身将校たちが指導したゲリラ戦とはどのようなものだったか。当時16歳だった玉那覇有義さんは、米軍キャンプを夜襲するための偵察を命じられた。
ナレーション:小柄だった有義さんは、子どもであることを利用した作戦を命じられたといいます。
【再現アニメ】
将校:アメリカの陣地に夜襲をかけ、燃料を焼き払い敵兵を殲滅する。
そのためには陣地内部の情報が要る。
玉那覇、貴様に陣地の偵察を命じる!(背が低く、幼い顔立ちだった僕は、民間人の子どものふりをして偵察するよう命じられた。)
米兵:Hey, You!(おい、お前)Are you lost?(迷子か?)
You must hungry. Come on!(腹減ってるんじゃないか?来いよ)米兵:Try it.(食べてみな)
(あ、甘い!)
米兵:HAHAHA! Easy, easy!(ゆっくりでいいんだよ)
(四人が入ったテントが五つ。
入口40メートル先にドラム缶1000個。恐らくガソリン入り。
子どもなら用水路で回り込める。裏には見張りなし…)
玉那覇さんの情報で夜襲は成功した。キャンプは爆破され、「今度はもっといい食べ物あげるよ。またおいで」と言っていた米兵も恐らく死んだだろう。
この少年たちは、まさに小林の言う「便衣兵」そのものだろう。
米軍は沖縄で、捕えた少年ゲリラ兵たちや、その疑いをかけた少年たちを、片端から殺せばよかったのか? 中国や東南アジアで日本軍がやったように。
小林が言っているのは、要するにそういうことである。
[1] 小林よしのり 『新ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』 幻冬舎 1998年 P.128
[2] 村瀬守保 『私の従軍中国戦線』 日本機関紙出版センター 1987年 P.43
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