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傷痍軍人とは誰だったのか

 

落合恵子さんが、東京新聞のコラム(6/20)で、子ども時代に目撃した「傷痍軍人」のことを書いている。

 

この道 ―私を私にしたもの―   落合恵子

(10) アコーディオン

 

 敗戦後の郷里、宇都宮での日々をノスタルジーだけ書くことはできない。

 そんな時、街の目ぬき通りや、公会堂の近くに、白い着物を着た男のひとが立っていることに気づいた。男のひとは、ハーモニカを吹いたり、アコーディオンを弾いたり、ハーモニカを持っていた。アコーディオンを弾くひとは、一方の足の膝から下がなく、代わりに茶色っぽい木の足をつけていた。

 「傷痍軍人」というのだと、大人が教えてくれた。「戦争にいって、怪我をしたひと」だ、と。

 男のひとは、自分たちが立つ地面に、ブリキの缶や箱を置いていた。中には、一円札や五円札が入っていた。たくさん入っているときもあれば、一、二枚のときもあったし、空っぽの時もあった。

 どこかで聞いて、覚えているはずなのに、わたしはメロディーに合わせて歌うことはしなかった。茶色く光る木でできた足に心奪われ、歌うことを忘れていた。

 戦争がどんなものか知らなかった。二度といやだ、という大人たちの言葉は繰り返し聞いていたが、大人たちは、繰り返したくない戦争がどんなものなのか、詳しくは語ってくれなかった。

 

戦後の街角で、ハーモニカやアコーディオンを演奏し、物乞いをしていた「傷痍軍人」たちは、単に戦争に行って大怪我を負い、働けなくなった元兵士たちだったのだろうか。

同じような光景を目撃した辛淑玉さんは、こう書いている。

 

野中広務辛淑玉 『差別と日本人』 P.114

 私、子どもの時に、新宿のガード下で物乞いしてる傷痍軍人を侮蔑的な目で見てたんですよ。軍人嫌いの私には、唄っているのが軍歌だということもあったかもしれない。日本の国からお金もらってるんだからいいじゃないか、と思ったのね。

 そしたら、大人になってから、あれは朝鮮人だったってことを教わるわけ。結局、元軍人であっても朝鮮人だから、それで一銭も日本からもらえなくて、生活することもできなくて、しかも国籍条項によって福祉からも排除されている。だから物乞いするしかなかったってことを知って、私は打ちのめされたんですよ。

 

朝鮮や台湾などの旧植民地出身者は、「日本人」として戦場に送り込まれたにもかかわらず、戦後は一方的に「外国人」とされた上、日本国籍がないことを理由にすべての戦後補償から排除された。だから、日本の戦争によって障がい者にされた在日の元軍人軍属たちは、物乞いをしてかろうじて命をつなぐしかなかったのである。


ある程度以上の年齢なら、街角で実際に彼らの姿を見かけた人もたくさんいるだろう。
だが、彼らが本当は誰で、なぜそうしていなければならなかったかを知っている人は、どれだけいるだろうか。


差別と日本人 (角川oneテーマ21 A 100)

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