日本では、外国人が日本国籍を取得することを「帰化」と呼ぶが、これは外国人(とりわけ周辺諸国の)に対する蔑視を背景として持つ差別語である。古田武彦氏による次の指摘[1]が、その本質を鋭く突いている。
「帰化」とはなにか
ここで一見横道ながら、「帰化人」という言葉について、一言させていただきたい。第一に、最近この用語を五世紀以前について否定する見解がのべられている。その理由は“古代天皇家の統一権力が成立する以前にこの用語を使用するのは不当だ”というのである(たとえば金達寿『古代文化と帰化人』、“「帰化人」をめぐって”金達寿ほか『古代日本と朝鮮』所収)。
この用語の不当性に批判の目を向けたのは鋭い。しかし、わたしはこの用語はいつの時点においても不当だと思う。
化に帰し、義を慕う。 <『論衡』程材>
四夷帰化。 <『旧唐書』職官志三>
「帰化」は「王化に帰する」の意で、「王化」とは「中国の天子の徳化」のことだ。つまり“中国の天子に帰順して治下に入り来る周辺の夷蛮”という古代的民族差別の上に立った、中国中心の大義名分の立場からのイデオロギー用語なのである。このミニチュア版が『日本書紀』内の使用法だ。
(新羅の王子、天の日槍)己が国を以て
弟の知古に授けて化帰す。 <垂仁紀三年、「一云」>この用語を明治の天皇制国家が援用し、新憲法にさえ旧態依然使用されている。「国籍の取得」という、本来、人間の基本的権利、本源の自由に属する事がらを、国家権力側の恩恵のように見なす。――まさにそのような見地にふさわしい用語なのである。だから、わたしは統一権力成立以前と以後とにかかわらず、この用語を不当な「差別用語」と見なす。それゆえ「 」なしでは使用しない。
さらに具体的には、佐藤文明氏による次の説明[2]が分かりやすいだろう。
諸外国において国籍とは民族とは異なる個人の変更可能な属性で、生活圏における所属成員権であると考えられています。生活圏における権利は地域との絆の現われであり、まずは「市民権」として認識されます。これが国家領域に拡大したものが「nationality(国民権)」です。
したがって、国籍の取得(市民権の取得)とは、生活圏との絆を確立した者の成員権を市政府や国政府が追認するもので、政府が勝手に与えたり奪ったりするものではありません。だから、地域との絆がない渡来者が国籍取得を申請する場合は別として、政府が取得に条件をつけるのは本来、筋違いなのです。
ところが日本の「帰化」という考え方は、市民の権利とは程遠く、国家によって与えられる恩典という考えによって成り立っています。したがって、与えるのも奪うのも政府の胸一つ、与える際に条件をつけるのはあたりまえ、という考え方を基本にしています。
また「帰化」の「帰」の字は「まつろう」と読み、「服う」「順う」と同義で、力に服従する、権威を受け入れつき従うことを意味するものです。政府が突きつけた条件に、不服を持たず、ひれ伏す者になる。これが帰化の字義なのです。
具体的にいえば、市民権は民族性とは無縁なものなので、市民権を取得したからといって民族(民族性は本来変更可能な属性ではないのです)の変更を強要されることはありません。
ところが帰化では、日本にまつろった以上、日本民族として生きることを強要され、本来の民族性が無視されます。少数民族として生きることを否定されるのです。
その象徴が帰化に伴う名の変更で、朝鮮の民族姓であれば日本式の氏を名乗るよう、見えざる強制が働きます。(略)
戸籍に登録された姓はもう、法的には「氏」であり、日本式の氏のルール(すなわち「家」の呼称としての継承ルール)に縛られます。(略)
しかも、戸籍によって帰化の事実が公示されるため、大和民族に成りすますこともできません。あくまでも帰化人、準日本人という立場に留め置かれることになるのです。
これは今日の「創氏改名」というべきもので、これによって民族姓を奪われた経験を持つ韓国・朝鮮人にとって、にわかには受け入れがたいものです。帰化の仕組みや考え方はこれからの国際社会で通用する代物ではありません。この発想を早急に改め、他民族との共生を可能にする仕組みを作り出す必要があるのです。
在日に対しては、しばしば「(権利が欲しければ)帰化すればいい」という言葉が投げつけられるが、これはつまり、日本人並に扱って欲しければ民族性を捨てて大和民族に同化し、「お上」に従え、という意味なのである。しかも、国籍を取得した後でも「元韓国人」といった「よそ者」視が続く。
このような差別的制度も、用語も、一刻も早く廃さなければならない。同時に、人権を国家が任意に与える恩恵であるかのように見なす、明治藩閥政府並の政治家・官僚の意識を根本的に変えさせなければならない。
[1] 古田武彦 『盗まれた神話』 朝日文庫 1994年 P.137-138
[2] 佐藤文明 『戸籍って何だ [差別をつくりだすもの]』 緑風出版 2002年 P.184-185