中国では各王朝が前代の正史を編纂してきたのだが…
何度教え諭されても、入れ替わり立ち替わり、ドヤ顔でこういうことを言い出すネトウヨさんが現れる。
民族が替わり、前王朝の痕跡を根こそぎ消してきた近隣諸国に「歴史ガー」とか「反省ガー」とか言われる筋合いなんてこれっぽっちもないと思う。そしてこの世界最古の国家の背骨こそが皇統であるという歴史だけは日本人全てが共有すべきファクトなのだ。 pic.twitter.com/cPpJlfHpxk
— msmnia (@msmnia) 2019年5月14日
中国の各王朝が前王朝の痕跡を根こそぎ消してきたのなら、歴代各王朝の正史はどうやって書かれてきたのだろうか。子どもでもわかりそうな当たり前の話だ。
https://t.co/eWJv84AcMK
— 弥栄瑞穂 (@Shooting_Water) 2019年5月15日
この人、日本が「前の戦争の時に記録という記録を破棄しまくり、現代においても都合の悪い記録を政権が破棄しまくってる」中で「王朝が倒れた時に次の王朝が歴史書を書き始められるだけの記録をたんまり残しておく」中国に何ケンカ売ってるの。
前王朝首都を落としたらまっさきに公文書を保全し、高級官僚候補者を最初に歴史編纂室に配置する、歴史至上主義とすら言われる民族ですよ。
— kizitora (@anyatoraneko) 2019年5月15日
民主主義になった民国や、共産主義になった中国共産党ですら膨大な時間人員をかけて「清史」を編纂する国。共産党版清史は近日三千万字のものを公開予定。
冒頭のツイートで使われている画像は、世界史対照年表(吉川弘文館)の日本の部分だけを赤一線で塗り潰した粗雑な代物だ。「世界最古の国家」どころか、他の国と同じレベルで時代を区切れば、現在の日本国が成立したのは、連合国への無条件降伏により大日本帝国という旧体制が崩壊し日本国憲法に基づく国家となった1947年、わずか72年前のことである。
前王朝の痕跡を根こそぎ消してきたのは大和朝廷
ちなみに、記録を破棄しまくってきた近現代だけでなく、古代にまでさかのぼっても、「前王朝の痕跡を根こそぎ消して」きたのは中国や韓国ではなく、むしろ日本のほうだ。
大和朝廷が編纂した最古の正史である日本書紀の神代紀には、やたらと「一書」という表現が現れる。例えばその冒頭部分は次のようになっている。
神代上
【本文】古いにしへに天地未だ剖わかれず、陰陽分れざりしとき、混沌まろかれたること鶏子とりのこの如くして、溟涬ほのかにして牙きざしを含めり。(略)時に、天地の中に一物ひとつのもの生なれり。状かたち葦牙あしかびの如し。便すなはち神と化為なる。国常立尊と号まうす。次に国狭槌尊。(略)
【一書第一】一書あるふみに曰いはく、天地初めて判わかるるときに、一物虚中そらのなかに在り。状貌かたち言ひ難し。其の中に自づからに化生なりいづる神有います。国常立尊と号す。亦あるいは国底立尊と曰す。次に国狭槌尊。亦は国狭立尊と曰まうす。(略)
【一書第二】一書に曰はく、古に国稚いしく地稚しき時に、譬たとえば浮膏うかぶるあぶらの猶ごとくして漂蕩ただよへり。時に、国の中に物生れり。状葦牙の柚ぬけ出でたるが如し。此に因りて化生づる神有す。可美葦牙彦舅尊と号す。次に国常立尊。次に国狭槌尊。(略)
【一書第三】一書に曰はく、天地混まろかれ成る時に、始めて神人有す。可美葦牙彦勇尊と号す。次に国底立尊。(略)
【一書第四】一書に曰はく、天地初めて判るるときに、始めて倶ともに生なりいづる神有す。国常立尊と号す。次に国狭槌尊。又曰はく、高天原に所生あれます神の名を、天御中主尊と曰す。次に高皇産霊尊。次に神皇産霊尊。
【一書第五】一書に曰はく、天地未だ生らざる時に、譬へば海上に浮べる雲の根係る所無きが猶し。其の中に一物生れり。葦牙の初めて泥ひぢの中に生でたるが如し。便ち人と化為る。国常立尊と号す。
【一書第六】一書に曰はく、天地初めて判るるときに、物有り。葦牙の若ごとくして、空の中に生れり。此に因りて化る神を、天常立尊と号す。次に可美葦牙彦勇尊。又物有り。浮膏の若くして、空の中に生れり。此に因りて化る神を、国常立尊と号す。
このように、各段ごとにいくつもの「一書」から文章が引用されている。その数をまとめると次のようになる。[1]
段 | 内容 | 一書の数 |
---|---|---|
一 | 天地未剖 | 6 |
二 | 神生み | 2 |
三 | 神世七代 | 1 |
四 | 国生み(大八洲国) | 10 |
五 | 天照たちの誕生 | 11 |
六 | 二神の誓約 | 3 |
七 | スサノオの追放 | 3 |
八 | 大蛇退治 | 6 |
九 | 天孫降臨 | 8 |
十 | 海幸山幸 | 4 |
十一 | 神武兄弟の系譜 | 4 |
計 | 58 |
ここからは、次のことがわかる。
まず、日本書紀に先行して、既に複数の史書が成立していたこと。次に、そもそも「一書」などという名の史書はありえないので、日本書紀はこれらの史書の書名を隠しているということ。
そして、これらの「一書」は、神代紀に続く神武紀(神武ことサヌの近畿侵入以降)の段階になると、突然その姿を消してしまう。
これらの「一書」は、みな神話だけを記載していたのだろうか。
そんなはずはない。日本書紀それ自体と同様に、これらの史書も、神話に続いて、そこで語られた神々の血を引く「正当な王者の系譜」とその「輝かしい物語」を記していたはずだ。その部分を「一書に曰く…」として引用しないのは、そこで語られている系譜が近畿天皇家のそれではないからだろう。
要するに、近畿天皇家こそが、先行する王朝の痕跡を根こそぎ消して、残された史書から都合のいい部分だけを剽窃していたのだ。
「この世界最古の国家の背骨こそが皇統」とかいうお話は、「日本人全てが共有すべきファクト」どころか、日本最古のフェイクと言うべきだろう。
[1] 古田武彦 『古代は輝いていた(3)』 朝日新聞社 1985年 P79-80
※本記事中に引用した日本書紀の読み下し文は、坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋校注 『日本書紀(一)』(岩波文庫 1994年)に基き、一部変更・補足している。
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