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極右トンデモ本を根拠に朝鮮人虐殺を否定する古賀都議と小池都知事

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小池百合子都知事が関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式への追悼文送付を断った背景として、今年3月の都議会での、自民党の古賀俊昭都議との質疑があったのではないかと言われている。[1]

都議会議事録[2]によると、問題の質疑は以下のようなものだった。

○九十八番(古賀俊昭君) まず、都内墨田区に所在する東京都立横網町公園に建つ朝鮮人犠牲者追悼碑などの問題について質問を行います。

 本年は、十万人余が犠牲となった大正十二年の関東大震災から九十四年になります。この震災の混乱の中での不幸な事件により生じたのが、朝鮮人犠牲者であります。

 横網町公園内に朝鮮人犠牲者を追悼する施設を設けることに、もとより異論はありませんが、そこに事実に反する一方的な政治的主張と文言を刻むことは、むしろ日本及び日本人に対する主権及び人権侵害が生じる可能性があり、今日的に表現すれば、ヘイトスピーチであって、到底容認できるものではありません。

 追悼碑には、誤った策動と流言飛語のため六千余名に上る朝鮮人がとうとい生命を奪われましたと記されています。この碑は、昭和四十八年、共産党の美濃部都知事時代に、関東大震災朝鮮人犠牲者追悼行事実行委員会が建てて、東京都に寄附したものでありますから、現在、碑文については東京都に全責任があります。

(略)

 私は、小池知事にぜひ目を通してほしい本があります。ノンフィクション作家の工藤美代子さんの「関東大震災 朝鮮人虐殺の真実」であります。工藤さんは、警察、消防、公的機関に保管されている資料を詳細に調べ、震災での死者、行方不明者は二千七百人、そのうち不法行為を働いた朝鮮独立運動家と、彼らに扇動されて追従したために殺害されたと思われる朝鮮人は約八百人、また、過剰防衛により誤って殺害されたと考えられている朝鮮人は二百三十三人だと調べ上げています。

(略)

 六千余名が根拠が希薄な数であることは、国勢調査からもわかります。日本で初めての国勢調査が、関東大震災の三年前、大正九年に実施されていますが、その中の国籍民籍別人口では、朝鮮人の人口は、埼玉県、千葉県、東京府、神奈川県全てを合わせて三千三百八十五人なのであります。

 流言飛語に関しても、当時の我が国の治安状況を知るべきであり、震災の四年前に朝鮮半島で勃発した三・一独立運動に関与した朝鮮人活動家が多数日本に来て、ソビエトや日本人無政府主義者の支援を受けて頻繁に事件を起こしていたことは、現存する当時の新聞記事からも確認できるのであります。

 また、彼らは、当時皇太子殿下であった後の昭和天皇のご成婚に合わせての危害行動を準備していました。そのほか、現に震災に乗じて凶悪犯罪が引き起こされたことは、具体的に事件としてたくさん報道されています。

 こうした世相と治安状況の中で、日本人自警団が過敏になり、無関係の朝鮮人まで巻き添えになって殺害された旨の文言こそ、公平、中立な立場を保つべき東京都の姿勢ではないでしょうか。

(略)

 都立横網町公園には、平成三十二年東京五輪に向けて多くの外国人が訪れます。また、公園施設を管理運営する公益財団法人東京都慰霊協会が発行している子供向けの冊子、「たんけん!都立横網町公園」は、今はやりのポケモンが表紙を飾り、全てにルビが振られ、わかりやすく解説が加えられているのはよいのでありますが、当該追悼碑の写真と「誤った流言飛語」と表記されており、さらに、聞き覚えのない「アジア・太平洋戦争」なる左翼用語が使われています。これは見直すべきでしょう。

 歴史の事実と異なる数字や記述を東京都の公共施設に設置、展示すべきではなく、撤去を含む改善策を講ずるべきと考えますが、知事の所見を伺います。

 また、小池知事は、昨年九月一日、同公園で行われた日朝協会が事務局を務める関東大震災犠牲者追悼式典に追悼の辞を寄せています。当組織の案内状には、六千余名、虐殺の文言があります。

(略)

 東京都を代表する知事が歴史をゆがめる行為に加担することになりかねず、今後は追悼の辞の発信を再考すべきと考えますが、所見を伺います。

(略)

○知事(小池百合子君) 古賀俊昭議員の一般質問にお答えを申し上げます。

 まず、都立横網町公園におけます関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑についてのご質問でございます。

 この追悼碑は、ご指摘のように、昭和四十八年、民間の団体が資金を募集し、作成したものを受け入れる形で、犠牲者の追悼を目的に設置したものと聞いております。

 大震災の際に、大きな混乱の中で犠牲者が出たことは、大変不幸な出来事でございます。そして、追悼碑にある犠牲者数などについては、さまざまなご意見があることも承知はいたしております。

 都政におけますこれまでの経緯なども踏まえて、適切に対応したいと考えます。

 そして、この追悼文についてでありますけれども、これまで毎年、慣例的に送付してきたものであり、昨年も事務方において、例に従って送付したとの報告を受けております。

 今後につきましては、私自身がよく目を通した上で、適切に判断をいたします。

一読して呆れるしかない醜悪なやりとりである。古賀は、よりによって工藤美代子の極右トンデモ本『関東大震災 朝鮮人虐殺の真実』を根拠に、震災前後に朝鮮人によるテロ行為が実際にあったかのように主張し、小池はこの古賀の質問を利用して、朝鮮人被害者追悼の「見直し」を示唆しているのだ。

古賀が根拠にした虐殺否定本がいかにデタラメかは、わざわざ以下のような検証サイトが作られていることからもわかるだろう。ちなみに、この検証サイトのほうが本自体よりはるかに情報量が多い。

 工藤美代子/加藤康男「虐殺否定本」を検証する

このサイトから、古賀の持ち出した「朝鮮人によるテロ・凶悪犯罪」関連の検証部分を抜き出してみると以下のとおり。このトンデモ本の程度の低さがよく分かる。

工藤夫妻によれば、暴動の主体は、上海に置かれた独立派の亡命政府「上海臨時政府」と「地下水脈で通じていたテロ集団」(抗日テロ組織「義烈団」がその筆頭だとしている)であるという。もともと彼らは、10月に予定されていた摂政宮(後の昭和天皇)の結婚式当日に合わせた暴動を計画していたが、9月1日に予期せぬ大地震が起こったことから計画を変更。即座にこれに便乗して暴動を開始した――のだそうだ。(略)

さて、この主張を成立させるために工藤夫妻が提示している論拠は以下の4つである。①「朴烈事件」があったという事実、②中国に拠点を置く朝鮮人抗日テロ組織「義烈団」などの震災直後の動きを記した特高文書の存在、③『朝鮮民族独立運動秘史』の記述、④「朝鮮人暴動」を伝える震災直後の新聞記事。

(略)

①の朴烈事件とは、アナキストの朴烈と金子文子らが爆弾を入手すべく画策していたが、震災直後の9月3日に検挙され、取調べに対して爆弾入手計画を供述したという事件である。(略)この計画に何らかの意味で参加していたといえるのは、朴烈・文子と金重漢の3人。彼らが爆弾を入手しようと義烈団の周辺の人物(ソウル在住)に接触したのは事実だが、結局、入手できずに終わった。念のために言っておけば、震災よりずっと前の話である。

さらにその計画は「現実性や具体性に欠けたものであった」(略)というのが定説だ。天皇や大官たちを爆殺することを目的にしていたと「供述した」ことで、朴と金子は大逆罪で有罪判決を受ける(後に恩赦)が、この供述内容自体が取り調べのなかで誘導されて「でっち上げられた」ものと見る研究者が多い(略)いずれにしろ彼らは、爆弾を入手しようと「考えた」だけで有罪とされたのである。

この事件をどう評価するかはともかく、これがどうして朝鮮人テログループが震災時に東京で暴動を「起こした」証拠になるのか、皆さんには理解できるだろうか。私にはさっぱり分からない。ここにあるのは、3人程度の活動家集団が、震災以前から爆弾を入手しようとしていたが、入手できないうちに9月3日に検束されたという事実だけである。

(略)

次に②、中国に拠点を置く朝鮮人抗日テロ組織「義烈団」などの震災直後の動きを記した特高文書の存在だが、これも例によって『現代史資料6』に収録されている朝鮮総督府警務局文書の孫引きである。工藤夫妻はそこから、(ア)義烈団のリーダー、金元鳳が震災から9日後の9月9日、震災後の混乱を好機と考えて「部下を集めて天津から東京に向かわせたとの報告が上がっている」(『なかった』)、(イ)同じく義烈団が「保管していた爆弾50個を安東(注・韓国慶尚北道の日本海に近い都市〈工藤夫妻による注〉)に向け発送したという情報が警務局に届いていた」(同)、

(ウ)さらに同じく義烈団が9月19日、決死隊員の選抜のための儀式などを行った―という情報を列記する。

だがここにはいくつもの原文の誤読が見られる

まず、(ア)だが、『現代史資料6』に収録されている警務局資料には、金元鳳が「部下を集めて天津から東京に向かわせた」などとは書いていない。「部下を鮮内(朝鮮内部)に派送」するための「手配を定めた」(『現代史資料6』p.522)とあるだけである。東京ではなく、朝鮮、しかも「向かわせた」ではなく、「手配を定めた」のである。(略)

(略)

そもそも念のために言っておけば、原文も、朝鮮総督府の警務局が“そうした情報をキャッチした”というものであって、実際にそうしたことがあったかどうかは分かっていない

いずれにしろ、震災を日本政府攻撃の好機と捉えた中国在留の朝鮮人抗日組織が震災後にテロを画策していた(かもしれない)という話である。繰り返すが、特高情報に記述されているのは“震災後”の動きである。まさか震災の報を受けて9月19日に中国で選抜された決死隊員が、9月1日の東京にタイムスリップしたとでもいうのであろうか。


上記の議事録を読めば、こんな代物を根拠に「質問」した古賀都議や、それを受けて関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式への追悼文送付を断った小池都知事の狙いが、最終的には朝鮮人犠牲者追悼碑自体の撤去と追悼式の禁止にあるのは明らかだろう。

絶対に許してはならない。

[1] 吉川慧 『小池知事、関東大震災の朝鮮人犠牲者めぐり持論⇒「虐殺の事実から目を背けるもの」と批判の声』 HUFFPOST 2017/8/26
[2] 平成29年東京都議会議事録第4号 2017/3/2

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