「あいちトリエンナーレ2019」内の企画展「表現の不自由展・その後」の騒動では、立憲主義や表現の自由をまったく理解していない政治屋たちのクズな言動が続出した。
河村たかし
まずは河村たかし(名古屋市長)。
河村市長は、少女像が設置されることを7月31日の夜に初めて知ったという。2日正午に同展を視察。その後囲み取材に応じ、「どう考えても日本人の、国民の心を踏みにじるもの。いかんと思う」と話し、作品の展示を即刻中止するよう愛知県知事に求めると発表した。
河村は、自分の好悪感情に過ぎないものを「日本人の、国民の心を踏みにじるもの」と勝手に一般化し、これを根拠に美術展の展示内容に介入した。しかも公文書で展示中止を要求したのだから、明らかな検閲である。(検閲は事前にやるものだからこれは当たらないという、本質を外した矮小化論は却下。)
大村愛知県知事:「中止しろと書いてあるわけです、公文書で。公権力を持った方が『この内容はいい、この内容は悪い』というのは、これは憲法21条による検閲ととられても仕方がないんじゃないでしょうか」
河村はその上、自分が圧力をかけて潰した展示の関係者に謝罪まで要求している。
国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」での「平和の少女像」などの展示中止を受け、中止を求めていた実行委員会会長代行の名古屋市の河村たかし市長は3日、「やめれば済む問題ではない」と述べ、展示を決めた関係者に謝罪を求めた。市内で記者団の取材に応じた。
冗談ではない。憲法違反の表現潰しを行った河村こそ謝罪し、即刻辞任すべきだ。
名古屋市長、関係者に謝罪要求 少女像展示で | 2019/8/3 - 共同通信 https://t.co/lZPbKd1MRM 河村というのはポピュリズムをファシズムに引っ張っていく最も危険なタイプの政治家だな。脅迫の犯人を放置して、脅されるようなことをしたお前が悪いと言いたいのか。法秩序の意味が分かっていない
— 山口二郎 (@260yamaguchi) August 4, 2019
松井一郎、吉村博文
維新の松井一郎(大阪市長)や吉村博文(大阪府知事)も同類だ。
河村氏は大阪市の松井一郎市長から少女像の展示について「どうなっているんだ」と電話があったことを明かした。松井氏は報道陣の取材に「日本で公金を投入しながら、我々の先祖がけだもの的に取り扱われるような展示物を展示されるのは違うのではないか」と話した。
「我々の先祖」だの「じいちゃん」だのを持ち出すのは小林よしのりもよく使う手法だが、そんなことを言っていたら世界中のいかなる残虐行為も加害者の子孫が否定できることになってしまう。だいたい、「けだもの」はメスを強姦したり売春を強要したりしないので、この手の詭弁は野生動物に対して失礼というものだ。
この企画に使われた税金は420万。
— メル (@melyuri1) August 4, 2019
しかも卑劣極まりない「携帯缶持って行く」等の恐喝を受けて中止に追い込まれた。
420万は寄付で賄われる。
本体がブラックの吉本興業に22億もの税金投入し連携している【大阪府知事・市長こそ辞職責任】が有るんだ。
愛知県知事への責任追及は筋違い。
菅義偉
「あいちトリエンナーレで「表現の不自由」をテーマに慰安婦問題を象徴する少女像が展示されていることについて、菅官房長官は、補助金を交付するかどうか慎重に検討」
— 町山智浩 (@TomoMachi) August 2, 2019
とうとう官房長官まで「表現の不自由」というコンセプチュアル・アートに参加。https://t.co/B2lImRZiSB
菅氏「一般論として脅迫あってはならない」 展示中止で:朝日新聞デジタル https://t.co/RFOafXJ9nr #表現の不自由展・その後
— 田川 滋 TAGAWA Shigeru ??? ??? (@kakitama) August 5, 2019
「一般論」とわざわざ前置きする時は「この特定の事例に個別に当てはまるとは限らない」が含意されている。なお「この件についての脅迫」を容認しているに等しい。
安倍内閣お得意の「テロには屈しない」はどこへ行ったのか?
憲法の規定する「表現の自由」を平然と無視する政治屋たち
これらの政治屋連中は、憲法21条の規定する「表現の自由」が、誰に対して何を要求しているのか、まったく理解していない。
第21条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
この点については、日本国黄帝さんが一連のツイートで大変わかりやすく説明されていたので、借用させていただくことにする。
「表現の自由」の問題がバカバカしいのは、“誰が「表現の自由」を守るべきなのか”という根本的な点を無視するから。憲法の条文に書いてある以上、「表現の自由」を守らなくてはならないのは国や政府、自治体、そしてそれを担う公務員だけ。私たち国民には「表現の自由」を守る義務はないのだ。
— 日本国黄帝 (@nihon_koutei) August 11, 2019
つまり、今回の「表現の不自由展」について国民が抗議したり、開催中止を求めるデモをするのは構わないのだ(脅迫は勿論、犯罪行為なのでアウトだが)。ただ主催している自治体には「表現の自由」を守る義務がある以上、開催中止をしてはいけないし、勿論、市長や官房長官が中身を批判するのもアウト。
— 日本国黄帝 (@nihon_koutei) August 11, 2019
また政府や自治体、それを担う公務員はあくまでも「表現の自由」を守る側なのだから、表現として守られるのは、国民側の表現だけ。市長や官房長官、公務員などが職務上、口にした言葉や表現は「表現の自由」で守られるべきモノでは決してないし、職務を離れない限り、彼らに「表現の自由」はないのだ。
— 日本国黄帝 (@nihon_koutei) August 11, 2019
私たち国民には「表現の自由」を守る義務はないし、「表現の自由」だけがある訳だが、ただし私たちの表現にも制限はある。違法行為は許されないし、そうでなくても同じ国民である他人の人権を傷つける権利はない。だからヘイトや差別は「表現の自由」では守られないし、これが「公共の福祉」という制限
— 日本国黄帝 (@nihon_koutei) August 11, 2019
ここまで考えれば、憲法が政府や自治体、公務員だけにその自由を守らせ、私たち国民には自由にしていいと許した「表現」とは、そもそも一体何のことなのかも判る筈。それは政府や自治体、公務員などに対しての国民の批判や抗議だし、それこそが「表現の自由」で唯一、絶対的に守られるべき内容なのだ。
— 日本国黄帝 (@nihon_koutei) August 11, 2019
一つだけ付け加えておけば、国民には「表現の自由」を守る義務はないが、憲法第12条に「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」とあるとおり、政府や自治体に「表現の自由」を守らせる義務はある。
だから、自治体首長や内閣の構成員という、公権力を行使する立場にありながら公然と憲法遵守義務を踏みにじるこれらの政治屋連中は、国民自身の手で政治の場から追放しなければならない。それは国民全体の責務なのだ。
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