読む・考える・書く

マスコミやネットにあふれる偏向情報に流されないためのオルタナティブな情報を届けます。

中学校からやり直すべきレベルの執筆者が教科書を書き、同レベルの検定官がこれを合格させている

【広告】

先日、「あいちトリエンナーレ2019」の件で百田尚樹と産経が「表現の自由」や「公共の福祉」についてバカなことを言っていたので批判しておいたが、今度はまったく同じ屁理屈が中学校向けの教科書に書いてあるというツイートが流れてきた。

書かれている内容はこれ:

公共の福祉による制限

 憲法は、国民にさまざまな権利や自由を保障していますが、これは私たちに好き勝手なことをするのを許したものではありません。

 憲法は、権利の主張、自由の追求が他人への迷惑や、過剰な私利私欲の追求に陥らないように、また社会の秩序を混乱させたり社会全体の利益をそこなわないように戒めています。

 憲法に保障された権利と自由は、「国民の不断の努力」(12条)に支えられて行使されなくてはなりません。憲法では、国民は権利を濫用してはならず、「常に公共の福祉のためにこれを利用する責任」があると定めています(12条)。

理解を深めよう:権利と権利の対立と合意

 集団生活では、ときに自分の権利が他人の権利とぶつかること(対立)があり、両者の間で解決をはかる(合意)必要が生じます。

 例えば、表現の自由のために他人の私的生活を傷つけることは許されません。また、社会全体の秩序や利益を侵す場合には、個人の権利や自由の行使が制限されることもあります

 人々が公共生活を営んでいることに配慮し、権利や自由を行使する必要があります。それは、社会のルールを守り全体の調和を考える中で個人の自由や権利は実現される、という歴史の教訓に基づいたものだといえます。

これはひどい。

憲法12条に言う「国民の不断の努力」とは、憲法が保障する人権や自由が権力によって侵害されないよう、常に主権者である国民が権力を監視し、権利を主張し続けなければならない、という意味での「努力」だ。また「公共の福祉」による制限とは、権利の行使が他者の人権を侵害してはならない、という意味であって、「社会全体の秩序や利益(それを誰が決めるのか?)」を理由に人権が制約されることなどあってはならないのだ。

これらの根本的なポイントを、この「教科書」はまったく逆の意味に捻じ曲げてしまっている。

以下、法学館憲法研究所の「日本国憲法の逐条解説」から引用する。

第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

人権が生まれた国イギリスでも当初、人権はイギリス人の権利でしかありませんでした。フランス人権宣言ですら、そこでは男性しか想定されていません。つまり、人権は、歴史的に見れば人類の普遍的な価値ではありませんでした。人類が過去幾多の試練の中から勝ち取り、普遍的な価値であるべきだと主張し、拡大し続けてきたものなのです。ですから、私たちが権力などの強い力を持ったものに対して人権を主張し続けなければ、人権など消えて無くなってしまいます。私たちが日々の生活の中で主張し続け、実践し続けることによってやっと維持できるものなのです。
もちろん、他人に迷惑をかけたり、自分勝手が許されるわけではありませんから、公共の福祉のために一定の制限は受けます。この「公共」(public)とはpeopleと同じ語源を持つ言葉であり、人々を意味します。けっして天皇や国を意味する「公」や抽象的な国益のために人権制限が許されるわけではありません。

この「教科書」の執筆者は、百田や産経と同様、中学校から社会科を勉強し直さなければならないレベルだ。そんな人物があろうことか教科書を執筆し、南京大虐殺や日本軍性奴隷(いわゆる「従軍慰安婦」)については歴史修正主義者の妄説を根拠に検定を通さない文科省が、こんなトンデモ教科書を易易と合格させている。

こんな教科書で子どもたちに間違った憲法理解を注入することを許してはならない。

【関連記事】

 

告発 戦後の特高官僚 反動潮流の源泉

告発 戦後の特高官僚 反動潮流の源泉