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感染した人を責めてはいけない

4月7日、町内で初めて感染者が確認されたことを受けて投稿された、沖縄県西原町公式アカウントのツイートが素晴らしい。

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 文案を考えたのは町健康支援課。以前から感染者の住む地域や年齢に関する問い合わせが度々あり、町民の不安を感じたと説明。「感染者を特定しても感染症の対策は変わらないと伝えたかった」と説明する。

 個人の特定は感染者の批判にもつながりかねないと懸念。「普通に暮らしているうちに感染し、誰でもなり得る。大切なのは手洗いやマスクなどの対策だ」と冷静な対応を促した。(浦添西原担当・宮里美紀)

西原町役場さんの言うとおりで、感染した人をいくら叩いても問題の解決にはつながらない。その上、個人が特定されれば村八分のような人権侵害も起こりかねない。望んで感染する人などいないし、叩いている側だって無症状なだけで実は感染者かもしれないのだ。

それなのにこんな感染者叩きをしていたら、むしろ疑わしい症状があっても隠す人が増えて、病気の蔓延を助長するだけだろう。

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 京産大によると、初めて学生の感染を明らかにした翌日の3月30日~4月4日の間に、関連した問い合わせや相談が数百件あり、中には「感染した学生の住所を教えろ」「大学に火をつけるぞ」などの脅迫や「殺すぞ」といった殺害予告も含まれていたという。大学は「安全に関わる事態だ」として、刑事告訴も視野に対応を検討している。

 このほか、飲食店が京産大生の入店を断る卒業生が入社式に個別で参加するよう求められる▽「感染の可能性がある」として、職員が子供の幼稚園への入園を拒まれる-などの被害が確認された。また、インターネット上でも感染者の特定や無関係の京産大生の名前を書き込み、感染者として非難するケースがあったという。

だいたい、マスコミの意識が低すぎる。テレビで連日のように流している「花見が」「繁華街が」「巣鴨の縁日が」といったフレーズは、民衆の魔女狩りを煽っているようなものだ。

叩いて感染防止に効果があるのは、無能・無責任ぶりをさらし続けている政府・行政だけだ。それを追求することこそがジャーナリズムというものの存在意義だろう。