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「暴力の連鎖」はイスラエルがパレスチナへの迫害をやめない限り終わらない。

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ようやく停戦に至ったとはいえ、イスラエルによるパレスチナ・ガザ地区への非人道的な攻撃は、今回も甚大な被害を生じさせている。

欧米や日本のニュースではこれをイスラエルとパレスチナとの「衝突」などと報じているが、これは断じてそんなものではないし、今回の事態の発端も、先にロケット弾を撃ったハマスが悪い、などという単純な話ではない。

イスラエルのパレスチナへの侵攻について。

これは衝突ではありません。
戦争ではありません。
対立ではありません。
正当防衛ではありません。

これは植民地化であり、外国領土の占領であり、組織的な国際法違反の行為です。

それにこの事態は、この地で70年以上も繰り返されてきた迫害の、最新の一例でしかない。

すべては1948年、イスラエルを建国したシオニストたちが、イスラエルを「ユダヤ人国家」とするために、この地から先住パレスチナ人を追放すると決めたことから始まった。イスラエル人の歴史学者イラン・パペが次のように指摘している。[1]

(略)ユダヤ人指導層はすでに1948年2月に、つまりはイスラエル国家の創設に先立つ3ヶ月前から、パレスチナ人の追放作戦を開始していました。それはある日、地中海岸に面する五つの村を排除することから開始されました。(略)

(略)

 私が話を始めるにあたって言及した会議は3月にもたれ、彼らはこっちの五つの村にあっちの五つの村にといったような散発的なやり方にとどまらず、パレスチナ人全体を体系的に排除し始めることを決定しました。彼らは、この国土を12の地域に分割し、おのおのの地域に軍の部隊を配置し、それぞれの部隊に各地域のなかの町や村のリストを受け持たせることを決定しました。(略)彼らはある一日でハイファの町から7万5千人の人びとを追放しました。1948年4月21日のことです。そして数日後には、ほぼ同数のパレスチナ人をヤーファの町から追放しました。イスラエル国家の建国を前に、35万人のパレスチナ人が自らの家から追放されたのです。

(略)

 建国の前後を通じて、イスラエルは合計で約500の村、11の町を破壊し、ほぼ100万人のパレスチナ人を難民としました。(略)追放されることをパレスチナ人が拒んだ場合にはいつでも、虐殺、レイプ、略奪、投獄が伴いましたが、実際に数千ものパレスチナ人が投獄され、さらに強制労働収容所へと送り込まれ、1949年の中頃まで留め置かれることになりました。

これはまぎれもない民族浄化であり、ジェノサイドにほかならない。そしていま、最も激しいジェノサイドにさらされているのが、今回も標的にされたガザ地区だ。[2]

 よりいっそうひどいのは、ガザ回廊のパレスチナ人の状況です。この問題が生じたのは、パレスチナ人たちが存在しているという問題を、巨大な監獄的収容所の中に彼らを閉じこめることで解決できる、というふうにイスラエル人たちが考えたからでした。(略)この地域で、たんに民族浄化にとどまらず、パレスチナ人に対する大量殺戮政策がとられたのは、ガザ地区の人びとの移送先がなかったためです西岸地区の人びとについては、その半分の地域から残りの半分の地域へと移送することができます。エルサレムの人びとをヨルダンヘと移送することもできます。しかしガザ地区の人びとをどこかに移送できるかといえば、そうはいきません。そこでガザ地区の人びとが原始的なミサイルをイスラエルに放つことで反抗したときに、イスラエルは報復として大規模な殺戮の開始を決めました。ガザ地区に対するイスラエルの計画に関しては、われわれ双方にとっての未来がどうなるかなど、私も考えたくなくなるほどです。

イスラエルがパレスチナ人たちに加えている迫害は、かつてナチスがユダヤ人に加えた迫害とよく似ている。違いは、イスラエルは絶滅収容所までは作ってはいない、という程度ではないか。

「世界最大の監獄」と呼ばれるガザ地区など、まさにゲットーそのものだろう。

そんな場所で生まれ育った子どもたちがどうなるか。パレスチナ人の映画監督イマード・ブルナートが自分の息子ジブリールについてこう語っている。[3]

 映画では、デモをやめさせようとするイスラエル軍の圧倒的な暴力が映し出される。ヨチヨチ歩きのジブリールが、片言で「壁」「軍隊」「ゴム弾」と話すようになり、3歳になると、デモに付いていく。最初は大勢の兵士を見て「怖かった」と言うジブリール。しかし、村人の「希望の象徴」であり、ジブリールの「友人」でもあった、イマードさんの親友がイスラエル兵に殺されると、ジブリールは言う。「パパ、ナイフで兵士を殺せばいいのに」

 言葉の真意をイマードさんはこう語る。「子どもがけんかしてやられたらやり返す、そういう感覚だったんだろう。イスラエルと世界が知ってほしいのは、どんなに親が子どもを愛し慈しんでも、壁があり、イスラエル兵による暴力があり、死があり、私たちにはなんの権利もない。時に目の前で父親が逮捕され、家族を殺され、経済的にも苦しい。すると子どもはどうなる? 戦士(fighter)になっていく」。無邪気だったジブリールはやがて静かな炎を瞳に宿らせる。

よく、イスラエルとパレスチナの間の「暴力の連鎖」を止めなければならない、などという中立ぶった主張がなされるが、圧倒的な暴力を振るって民族浄化を行っているのは常にイスラエルの側であり、パレスチナではない。

イスラエルがこの不当な迫害をやめない限り、この地に平和が訪れることは決してない。

 

[1] イラン・パペ 『イラン・パペ パレスチナを語る』 柘植書房新社 2008年 P.34-36
[2] 同 P.41-42
[3] 「映画『壊された5つのカメラ』監督インタビュー」 ふぇみん 2012/10/5

  

パレスチナ/イスラエル論

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