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「戦争経験世代がいなくなったら日本の平和は恐ろしいことになる」のは長年の自民党による教育政策の結果

昨日のTBS「報道特集」で、自民党の元議員古賀誠が、戦争へと傾斜していくこの国への危機感を語ったという。

同じようなことは、かつて故・田中角栄元首相も言っていた。

戦争を知っている世代が政治の中枢にいるうちは心配ない。平和について議論する必要もない。だが戦争を知らない世代が政治の中枢になった時はとても危ない。

古賀らの言っていることは確かに真っ当なことではあるのだが、戦争経験世代がいずれ政界からも社会からもいなくなるのは最初からわかっていたことだ。だからここで問われるべきなのは、そうした危惧を抱いていたはずの「先輩たち」や古賀氏は、その必然的にやって来る未来に備えて何かしてきたのか、ということだ。

世代を越えて戦争の愚かさを伝えていく手段は教育しかない。逆に言えば、明治維新以来の日本が周辺アジア諸国に対して何をしてきたのか、どのように愚かな侵略戦争を仕掛け、その帰結としての壊滅的敗戦に至ったのかをしっかりと戦後世代に教育していれば、戦争経験世代がいなくなることなど何ら恐れる必要はなかったはずなのだ。

しかし、歴代自民党政権(「保守合同」前の自由党や日本民主党も含む)がやってきたことは、これとは真逆の教育政策だった。

サンフランシスコ条約で日本が「独立」を回復した翌年の1953年、第5次吉田内閣は大達茂雄を文部大臣として入閣させた。大達茂雄は1942年、日本軍占領下の昭南特別市(シンガポール)の市長兼陸軍司政長官となり、暗黒時代のシンガポールの行政を牛耳っていた人物である。その後は東京都長官として必要もないのに動物園の猛獣虐殺(「かわいそうなぞう」で描かれたあれ)をやり、また小磯内閣では内務大臣として特高警察を使った共産党員や民主主義者の弾圧を指揮している。

その大達は文部大臣になると教育などとは何の関係もない二人の特高官僚を事務次官と初等中等局長に抜擢し、教師たちが自主的に作っていた民主的教材への攻撃や、警察や公安調査庁を利用した教員の思想調査と恫喝、教員の「政治的行為」を処罰する「教育二法」の立法、教育の民主性を担保していた教育委員会の公選制廃止といった反動的教育政策を推進した。[1]

こうして形作られた文部省の反動体質はその後も延々と引き継がれ、自民党と連携しながらまともな歴史認識の形成を妨害し続けてきた。

そのために使われた手口の一つが、縄文時代から江戸時代までに過剰な教育内容を詰め込み、近現代史に入る前に時間切れにしてしまう歴史教育のカリキュラム構成だ。[2]

 戦後の日本人は、現代史、中でも戦前に日本人が、韓国・中国・他のアジア各国でどんなことをしてきたか教えられて来なかった。

 私自身の経験から言うと、私は一九六二年に高校を卒業したが、小学校・中学校・高校までの学校の授業で現代史を教えられた記憶がない。日本史の時間となると、平安時代に異様に長い時間を費やし、江戸時代も最初の部分を過ぎると、駆け足で進み、三学期になってようやく明治維新に入る。明治維新についてもその意義など教わらず、ただ明治の元勲と言われる人の名前を教わるだけである。

 そして、明治維新が終わると、三学期も終わりになり、昭和の時代以降は「自分で勉強しておきなさい」と言うことになる。

 これは、私だけでなく、色々な学校を卒業した人間に尋ねたが、私より一〇年近く若い人達も同じことだった。

 これでは、よほど意識の高い生徒でなければ、昭和の日本がアジア各国に侵略した事実など思い浮かべられる訳がない。

 日本が韓国や中国に明治以降どんなことをしてきたかきちんと知っている人は、意識を高く持っていてきちんと日本の現代の対アジア史を知ろうと努めている人だけである。

そしてもう一つは、教科書検定という名の検閲によって、教科書から都合の悪い内容を排除してしまうことだ。こうすれば、たとえ歴史の授業で習えなかった部分を自習しても、朝鮮植民地支配も南京大虐殺も三光作戦も731部隊も日本軍性奴隷(いわゆる「従軍慰安婦」)もその実態を知ることができなくなる。

近現代史についての基本的知識を欠いているから、「ネットde真実」みたいなインチキにも簡単に引っかかる。いわゆる「普通の日本人(ネトウヨ)」の出来上がりである。

改めて問うが、古賀らの「良心的自民党議員」たちは、戦後世代の歴史認識をまともなものにしていくための努力を何かしてきたのか? 古賀など、靖国神社総代とか「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」会長といった経歴からして、むしろ逆方向のことばかりやってきたのではないのか?

故・野中広務や古賀誠などは、確かに自民党議員の中では良識派と言っていいのだろうが、むしろ自民党に対して間違った期待を抱かせる(そして入れるべきでない票を入れさせる)原因にしかなっていないのではないか。

[1] 柳河瀬精 『告発!戦後の特高官僚』 日本機関紙出版センター 2005年 P.66-68
[2] 雁屋哲 『戦争の記憶』 Let’s(日本の戦争責任資料センター)2013年3月号 P.3-4