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「新9条論」は危険な悪手

 

最近、護憲派・左翼の側こそ憲法9条の改正を提起すべきだという、「新9条論」を主張する人たちが出てきている。いったい彼らはなぜそんなことをすべきだと言うのか。また9条をどう変えようとしているのか。東京新聞[1]によると、9条改正を主張する今井一氏、小林節氏、伊勢崎賢治氏は、それぞれ次のように主張している。

 

 なぜ今、反安倍勢力こそが「改憲」を議論しなければならないのか。

 「集団的自衛権の行使容認に転じた安倍政権の“解釈改憲”は度を越しているが、『自衛隊は合憲』という歴代政権の主張も、九条を素直に読めば無理がある。この欺瞞性を逆手に取られた」。ジャーナリストの今井一氏が自戒を込めて切り出した。

 実際、安保法の成立に突き進んだ自民党高村正彦副総裁は「自衛隊も創設当初は違憲と言われた。憲法学者の言うことを聞いていたら日本の平和はなかった」と繰り返した。護憲派の欺職性が、安保法の違憲性を無視する言い訳に使われたのだ。九条の条文と現実の乖離は、安保法の成立で極まった。「立憲主義を立て直すことが先決という危機感から、解釈の余地のない『新九条」論が高まっている」(今井氏)

(略)

 「九条は人類の理想。百年後でも二百年後でも実現する努力は続けたいと思う。ただし、もう自衛隊の存在をあいまいにすることは許されない」。そんな今井氏が構想するのは、「専守防衛」の自衛隊を明記した新九条案だ。

 まず一項で侵略戦争を放棄。二項で個別的自衛権の行使としての交戦権を認めるが、集団的自衛権の行使は放棄する。三項で「前項の目的を達するために」と縛りをかけた上で自衛隊の保持をうたう。「米国の戦争に巻き込まれたくないが、日本が攻め込まれたら応戦するというのは国民多数派の意見ではないか

(略)

 安保法に反対する「改憲派」の小林節・慶応大名誉教授は、「自衛隊は本来の憲法解釈の範囲内で合憲」との立場だが、政権の恣意的な解釈を避けるためにも、自衛隊の存在を明文化するべきだと考える。小林氏の新九条案では、侵略戦争の否定と、個別的自衛権を明記する。

 「海外派兵は認めない憲法の本旨を明確にするため、自衛隊の役割として、日本が襲われたときに反撃する『専守防衛』と、国連安保理の決議がなければ海外に出さないことを書き加える。同盟国の要請では海外には出ないので、集団的自衛権の行使は認めない」

 国連の平和維持活動(PKO)などで紛争地に関わってきた伊勢崎賢治・東京外語大大学院教授は「消極的な護憲派」を任じてきた。「国益・世界益につながるのであれば、護憲でも改憲でもいいが、日本が戦争に巻き込まれなかったのは九条のおかげだ」

 ところが、「立憲主義に無謀に挑戦する政権」が登場した結果、「違憲』のままで戦争に送られる自衛隊を何とかするには改憲すべきだ」と感じるようになった。

 伊勢崎氏の新九条案は、国連憲章国際法を前面に打ち出している。ポイントは自衛権の考え方だ。個別的自衛権のみを自国内に限定して行使するが、その場合に交戦権は認める。「国際法では、自衛権交戦権と同じこと。交戦権のない自衛権という議論は国際的に通用しない」

 一方、国連の活動であっても、海外での武力行使は禁じる。国連の集団安全保障を誠実に希求するものの、武力行使は放棄する。例えば、自衛隊が現在参加している南スーダンPKOは除外される。「南スーダンでは、停戦合意が破られ、PKOは交戦主体。交戦権を禁じた現行九条に反しているし、新九条案でも、武力行使を伴うPKOには参加できない」

 

つまりはこういうことらしい。

  • 明らかに「戦力」である自衛隊は本来違憲のはずだが、歴代政権はこれを合憲だと強弁し、護憲派も(消極的ながら)それを黙認してきた。
  • その結果、憲法9条自衛隊という現実の乖離は拡大し続け、ついに集団的自衛権の行使を可能にする安保法の成立を許すに至った。このままでは、日本の自衛とは無関係な「アメリカの戦争」に自衛隊が投入されることになる。
  • この流れを押しとどめるには、現行9条のような拡大解釈の余地のない、厳格な条文を持つ新9条に改正する必要がある。この新9条は、目の前の現実であり、また「国民の多数派の意見」でもある自衛隊の存在と自衛隊による個別的自衛権の行使(交戦権)を認め、その代わり集団的自衛権の行使などの拡大解釈を許さない内容にする。

 

一見理屈は通っているように見えるが、果たしてこの主張は彼らが言うように現実的だろうか。

当たり前のことだが、「新9条」を実現するには、衆参両院において議員総数の2/3以上の賛成によってこれを発議し、さらに国民投票で過半数を得なければならない。(憲法第96条)

第九十六条  この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。

2  憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。

 

これを可能にするには、国会において憲法を守り戦争に反対する「護憲派」が2/3以上の絶対多数を占めていなければならない。しかし、そのような状態が実現されているなら、安保法を廃止し、集団的自衛権を放棄することなど簡単にできるのだから、そもそも9条を改正する必要などないはずである。

 

それとも、そうした機会をとらえて現行9条を「新9条」に置き換えることによって、その後再び極右政党が国会で多数を占めても、二度と安保法のような違憲立法ができないようにすることが目的なのだろうか。

今井一氏の新9条案

(1) 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、侵略戦争は、永久にこれを放棄する。

(2) わが国が他国の軍隊や武装集団の武力攻撃の対象とされた場合に限り、個別的自衛権の行使としての国の交戦権を認める。集団的自衛権の行使としての国の交戦権は認めない。

(3) 前項の目的を達するために専守防衛に徹する陸海空の自衛隊を保持する。

(以下略)

 

しかし、正直こちらも望み薄である。また安倍のような極右が権力を握り、マスコミを制圧してしまえば、どれほど無理筋の条文解釈でも平然とやるだろう。たとえば自衛隊が米軍と一緒に戦争をしても「集団的自衛権の行使」ではないと平気で言うだろうし、実際の経緯がどうであれ「わが国が…武力攻撃の対象とされた」のだと主張するだろう。真相などいくらでも隠蔽できる。(そのための秘密保護法である。)

そもそも、将来の極右政権に備える以前に、現にいま安倍政権がやりたい放題やらかしているではないか。圧倒的多数の憲法学者違憲だと言うのを無視し、強行採決どころか、してもいない採決を国会議事録を改竄してまで採決したことにしてしまうような輩を目の前にして、なぜ「解釈の余地を政権に与えない」新9条にすれば安心などと言えるのか。

「新9条」論には、憲法と平和主義を守る上でのメリットは少しも見当たらない。

 

一方、デメリットは山のようにある。こちらについては斎藤美奈子氏が、同じ東京新聞で的確な指摘をしている[2]。

 ま、議論だけなら、いくらでもおやりになればいい。だけど私が官邸の関係者なら「しめしめ」と思いますね。「東京も朝日も『つぶさなあかん』と思っていたが、意外と使えますよ、総理」「だな。改憲OKの気分がまず必要だからな」

(略)

現行の条文でも「地球の裏側まで自衛隊を派遣できる」と解釈する人たちだ。条文を変えたら、おとなしく従うってか。新九条とはつまり、安保法論議の過程での禅問答に疲れ、「憲法を現実に近づけませんか」って話でしよ。それは保守政治家がくり返してきた論法だ。

 このタイミングで、あの政権下で、改憲論を出す。彼らはウハウハである。「あとは新九条論者と護憲論者の対立を煽るだけですよ、総理」「だな。もう新聞も味方だからな」

 

仮に今井氏の提案するような「新9条」への改憲が行われ、それでも政権がアメリカとともに「テロとの戦い」を始め、「国民の多数派」が「戦う自衛隊」に喝采を送るようになったら、今度は集団的自衛権の行使を認める「新新9条」でも提案するのだろうか。

「新9条」論にメリットはなく、デメリットだけがある。これは絶対に避けるべき危険な悪手である。

 

[1] こちら特報部 『平和のための新9条論』 東京新聞 2015年10月14日

[2] 斎藤美奈子 『本音のコラム 敵に送る塩?』 東京新聞 2015年11月11日

 

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