自民党の「もやウィン」改憲マンガ、第2話の「憲法とは」になると、更にトンデモの度を増している。
もやウィンはまず、いわゆる聖徳太子の十七条憲法を「憲法と似たようなもの」だと言い出す。
いやいや、全然違うだろう。
十七条憲法と近代国家の憲法が似ているのはその名前だけで、中身はまったくの別物だ。十七条憲法は当時の貴族や官僚に対して支配階層として持つべき心構えを説いたものであり、憲法どころか法ですらない。
だいたい、こんなものと同じ「憲法」という語を「Constitution」の訳語として当ててしまったのが間違いなのだ。「憲法」ではなく、例えば福沢諭吉が考案した「国律(国を律するもの)」を採用していれば、多少はこの手の幼稚な間違いを防げたのではないだろうか。
続いてもやウィンは、大名や幕府が定めた法と同列のものとして帝国憲法と日本国憲法の成り立ちを説明する。つまり、憲法も近代以前の掟や法度と本質的には同じようなものというわけだ。
そして「憲法の役割」の説明に至って、もやウィンは今回最大のトンデモをやらかす。
「憲法を定めることで、その時のリーダーのルールに従うのではなく
リーダーも国民もみんなが憲法に従う義務があるんだ」!?
いや、それ憲法じゃなくて普通の法律のことだから。総理大臣だろうが一般人だろうが刑法や民法は同じように適用される(法の下の平等)というだけの話。
しかし、憲法とはそういうものではない。立憲主義に基づく憲法とは、国家が「やっていいこと」に枠をはめ、恣意的な権力行使から個人の自由や人権を守るものだ。[1]
立憲主義 国家の役割は個人の権利や自由の保障にあると定義した上で、憲法によって国家権力の行動を厳格に制約するという考え。日本国憲法の基本原理と位置付けられている。
だから憲法を守る義務を課されているのは内閣閣僚や国会議員、裁判官などを含む「公務員(権力行使の主体となる者)」であって、その他の一般国民ではない。
第99条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。
これが、一般の法律と憲法では「そもそも名宛人が違う」と言われる所以だ。
安倍晋三が一番理解していないのは「憲法と法律とでは、そもそも名宛人が違う」ということだ。憲法とは「日本国民が統治権力である国家に対して為した命令書」であるのに対し、法律とは「憲法の枠の中で、国家が国民に対して課した制約」のことだから。解釈改憲は、国家権力による明らかなクーデター。
— 笹田 惣介 (@show_you_all) November 26, 2014
ぼーっともやウィンの話など聞いていると、こういう最も重要な憲法の本質をごまかされてしまう。というより、こうやって人を騙して、憲法を「個人の自由と人権を守るもの」から「普通の法律と同じように個人が従わされるもの」に変えてしまおうというのが自民党の狙いなのだ。
こんな存在自体が憲法違反の連中に改憲など絶対にさせてはならない。
[1] 『「解釈改憲 最高責任者は私」 首相、立憲主義を否定』 東京新聞 2014/2/13