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憲法9条の「芦田修正」をめぐる茶番劇

■ 「芦田修正」は自衛戦力保持の正当化を意図してなされたものではない

前回記事でも指摘したとおり、帝国憲法改正小委員会(1946.7.25-8.20)で行われた9条の修正で重要なのは、NHKスペシャルが礼賛してみせた「国際平和を誠実に希求し」云々の追加などではなく、「前項の目的を達するため」という一句の挿入、いわゆる「芦田修正」の方だ。

この修正について芦田は後に、最初から自衛戦力を保持できるようにすることを意図してこの一句を挿入したのだと述べている[1]。

 ……憲法第九条の二項には「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない」とある。前項の目的とは何をいうか。この場合には、国策遂行の具としての戦争、または国際紛争解決の手段としての戦争を行うことの目的を指すものである。自衛のための武力行使を禁じたものとは解釈することは出来ない。

 ……第九条の第二項の冒頭に「前項の目的を達するため」という文字を挿入したのは、私の提案した修正であって、これは両院でもそのまま採用された。従って戦力を保持しないというのは絶対にではなく、侵略戦争の場合に限る趣旨である。「国の交戦権はこれを認めない」と憲法第九条末尾に規定してあることは、自衛のための抗争を否認するのではない。現に国連軍は朝鮮において抗争しているが、これは警察行動であって、交戦権による戦争とは呼ばれていない。これは、疑いもなく、自衛もしくは侵略防止の抗争と交戦権とは不可分のものではないとの生きた実例である。われわれは、この種の行動を認められることによって国を侵略から護りうるのである。

 私の主張は憲法草案の審議以来一貫して変っていない。憲法はどこまでも平和世界の建設を目的とするものであるから、われわれが平和維持のために自衛力をもつことは、天賦の権利として認められているのである。

しかし、実際の小委員会議事録を読んでみると、とてもそうは思えない。7月29日の審議の冒頭、芦田は次のように9条の修正案を提示している[2]。(番組では省略された部分を補足。)

芦田委員長:(略)こういう文字にしたらどうかという試案が一つ出ているのですが、それをご協議を願います。(略)「日本国民は、正義と秩序とを基調とする国際平和を誠実に希求し、陸海空軍その他の戦力を保持せず。国の交戦権を否認することを声明す。」と第一項に書いて、それから現在の第一項を第二項に持って来て「前掲の目的を達するため、」、そうして第一項の「国権の発動たる戦争」云々と、こういうようにしたらどうかという試案なのです。そうして第二項の「他国との間の紛争の解決の手段」という文句が、いかにも持って回ってだらだらしているから、これを「国際紛争を解決する手段」と直したらどうか、(略)

つまり芦田は9条を、帝国憲法改正案の1項と2項を逆順にして、

日本国民は、正義と秩序とを基調とする国際平和を誠実に希求し、陸海空軍その他の戦力を保持せず。国の交戦権を否認することを声明す。

前掲の目的を達するため、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

という文言にしようと提案していたのだ。この場合、「前掲の目的を達するため」に行うのは戦争放棄のほうであり、戦力保持や交戦権の可否とはそもそも関係がない。

その後の審議で1項と2項の順序は最終的に元の並び順に戻されるが、その過程でも、この一句の挿入によって自衛戦力の保持が可能になる、といった議論はなされていない。わずかに、7月30日の審議で、帝国憲法改正案の作成に関わった金森国務大臣(委員ではない)が次のような見解を述べている[3]が、これは、戦争については「永久にこれを放棄する」と、非常に強く否定しているのに対して、戦力不保持にはそのような強調がないことからその解釈に含みを持たせたものであり、「前掲の目的を達するため」という文言があるから、という議論ではない。

鈴木委員:この機会に第九条について国務大臣にお尋ねをしたらどうでしょう。

(略)

鈴木委員:いま一つ念の為に、交戦権を先に持って来て、戦争放棄を後に持って来ることは、立法技術的にいかがですか。

金森国務大臣:これは非常に「デリケート」な問題でありまして、そう軽々しく言えないことでありますけれども、第一項は「永久にこれを放棄する」という言葉を用いましてかなり強く出ております。しかし第二項の方は永久という言葉を使いませんで、これは私自身の肚勘定だけかも知れませんが、将来国際連合等との関係におきまして、第二項の戦力保持などということに付きましては色々考うべき点が残っているのではないか、こういう気が致しまして、そこで建前を第一項と第二項にして、非常に永久性のはっきりしているところを第一項に持って行った、こういう考え方になっております。それが御質疑と直接関係があるかどうか知りませんが、そういう考えで案を作ったのであります。

■ 危惧していたのは極東委員会

芦田が後になって言い出すような解釈の可能性を危惧していたのは、危機感にも責任感にも欠けた日本の国会議員たちではなく、GHQの上位に位置する極東委員会の委員たちだった[4]。

S・H・タン(中国代表) 中国代表は、衆議院において〔憲法第九条が〕修正され、〔九条二項が〕九条一項で特定された目的以外の目的で陸海空軍の保持を実質的に許すという解釈を認めていることを指摘したい。……われわれはいかなる政府であれ警察力を持つことが必要なことは認めますが、一般的に警察力は軍隊(armed force)と呼びません。もし日本がここに宣言している以外の軍隊を保持することが許されるならば危険であり、それは日本がなんらかの口実の下で、たとえば自衛という口実で軍隊を持つ可能性があることを意味します。

日本の侵略による最大の被害国であり、しかも侵略戦争を仕掛けながら詭弁を弄してそれが侵略であることを認めない日本のやり口を熟知していた中国(中華民国)代表だからこその危惧だろう。

この結果、日本の再軍備を防ぐための、いわばダメ押しとして、内閣を構成する大臣は文民でなければならないとする条項(第66条2項)が追加されることになった。

■ 「芦田修正」をめぐる茶番劇

周知のとおり自民党政権はその後戦力不保持を明記した憲法のもとで自衛隊を創設し、「芦田修正」などを根拠にこれを正当化しつつ増強に増強を重ねてきたわけだが、果たして自衛隊が合憲かどうかなどという議論以前の問題として、まず、このようなやり方がどれほど国際社会における日本の信用を貶めてきたかを認識するべきだ。前田朗氏(東京造形大学教授)が次のように述べている[5]が、一歩日本という井戸から外に出てみれば、まったくこのとおりなのだ。

 9条の解釈をめぐるドタバタは、日本国家がいかに無責任であるかを世界に示すものでしかない。

 第一に、諸外国の憲法と比較すれば、これほど明確に戦争放棄・戦力不保持・交戦権否認を明確に示した条文はない。それにもかかわらず、芦田修正を持ち出して自衛隊保有を正当化することは、そもそも憲法など守るつもりのない国家であると世界に向かって宣言することでしかない。

 第二に、芦田修正説は、憲法制定審議において主張されなかった内容を後から持ち出して解釈を変更した、つまり、騙し打ちの論法である。芦田修正に焦点を当てることは、騙し打ちの好きな日本を世界に向かって宣伝することである。

 憲法国民主権を採用しているから、日本国民が憲法とは何かを理解できず、それゆえ守る能力も意思ももたず、テキトーに政治を行っていることを「自白」していることになる。知性の崩壊はずっと以前から始まっていたのだ。

 
[1] 古関彰一 『新憲法の誕生』 中公文庫 1995年 P.296-297
[2] 帝国憲法改正小委員会(1946年7月29日)議事録
[3] 帝国憲法改正小委員会(1946年7月30日)議事録
[4] 古関 P.310
[5] 前田朗 『いまさらながらの知性の崩壊』 月刊マスコミ市民 2012年3月号 P.65

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