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マスコミやネットにあふれる偏向情報に流されないためのオルタナティブな情報を届けます。

ヘイト番組『ニュース女子』でも使われた「取材もどき」は史実否定派の伝統芸

年明け早々の1月2日に流された、TOKYO MXテレビ『ニュース女子』はひどかった。

番組冒頭から沖縄の基地反対運動を誹謗中傷するデマの連続。そのひどさは、このパートの終りまで1分たりともデマのない部分はなかったと言っていいほどだ。明らかに放送法第4条3項「報道は事実をまげないですること」に違反している。こんなヘイト番組が公共の電波を使ったテレビで流されるなど、到底許されることではない。

番組内で垂れ流されたデタラメを逐一指摘していったらきりがないので、それは以下のようなまとめを見ていただくことにして、ここではこの番組で行われた「取材」を取り上げることにする。

井上和彦による沖縄現地「取材もどき」

この回で沖縄を「取材」してみせたのは自称「ジャーナリスト」の井上和彦だ。しかし、井上の「取材」はまったく信用に値しない。たとえば井上は、シンガポールを取材し、現地で見たという山下泰文大将の銅像や戦跡記念碑を根拠に、シンガポールなどアジア各国は日本が「アジア独立のために戦ってくれた」ことに感謝している、と主張している[1]。しかし、これがデタラメであることは現地を確認した山崎雅弘氏やシンガポール在住のうにうに氏の検証[2][3]を見れば一目瞭然だ。(この件については私も以前関連記事を書いた。)

今回の『ニュース女子』でも、井上は東村高江のヘリパッド建設現場から約40Kmも離れた二見杉田トンネル(名護市)手前で車を停め、反対派の暴力が危険だから現場に入れないという、虚偽のアピールをしている。

井上:えー、二見杉田トンネルの手前までやってきたんですけれども、ここはですね、辺野古よりさらに北のほうにに来たところなんですけれども、実はですね、このトンネルをくぐっていきますと、米軍基地の高江、ヘリパッドの建設現場ということになります。

ニュース女子

井上:実は、ここに来る前に、ほうぼうからですね、今ここは、ちょっと我慢してほしいと…

ナレーション:高江に向かっているロケの途中、地元関係者から、高江ヘリパッド建設現場が緊迫してトラブルに巻き込む可能性があるので、今回の撮影を中止すべきだ、との要請があり、残念だが井上さんにはロケを断念してもらうことに。

井上:このトンネルの手前で、私は、はるばる羽田から飛んできたんですけど、足止めをくっているという状況なんですよ。

ニュース女子

二見杉田トンネルから高江の現場までは、車で普通に走っても1時間かかる。取材と言いつつ実際には現場に近寄りもせず、虚偽の情報を流して印象操作をする。井上の「取材」は、視聴者にリアリティを感じさせて説得力を増すための手段でしかない。ちなみに、ロケ断念の映像を撮る場所としてここを選んだのは、暗く長いトンネルが「異界への入口」的な印象を与えることを計算した上でのことだろう。

南京大虐殺否定本の「取材もどき」

しかし、自称「ジャーナリスト」によるこの手の「取材」は、井上の発明品ではない。たとえば40年以上も前の『「南京大虐殺」のまぼろし』で、鈴木明が同じようなことをしている。

南京攻略戦の途上で百人斬り殺人競争を行った向井・野田両少尉は、戦後、国民党政府により戦犯として裁かれ、処刑された。『「南京大虐殺」のまぼろし』は、この百人斬り競争が新聞記者によるでっち上げだったかのように印象づけることでこれを否定し、そうすることで南京大虐殺自体をも「まぼろし化」しようとした否定本である。

鈴木は、台湾の現地取材を行って両少尉に死刑判決を下した南京軍事法廷の石美瑜裁判長(当時)にインタビューし、次のように書いている[4]。

 目ざす石裁判長を訪問することのできたのは、帰国する日の昼頃であった。わずか四日間の滞在中に、台湾人のインテリであるSさんが、実に物凄い熱心さで石氏と推氏の消息をたずね、そしてツテからツテを求めて紹介状をもらってきてくれたのである。(略)

 石氏は、想像していたような尊大な人物では決してなかったが、「南京事件」ときくと、やはり一瞬顔をこわばらせた。しかし、僕が、「向井少尉ゆかりの者である」という説明をすると、彼は直ちに「おお向井、よく憶えている。大きな軍人、いつも堂々としていた」と日本式の敬礼のジェスチュアをし、それから北京語でペラペラと話しはじめた。

 通訳のRさんは、石氏の北京語について行こうと必死だった。(略)

 残念ながら、わからないのである。しかし、僕は「わかりません」とはいえなかった。それをいえば、全然話が進まないのである。石氏は食事を交えて、二時間余りも、僕の為に時間を割いた。「ミスター向井の息子なら大きいだろう」というところはわかった。だが、こと裁判のことになると、全く細かいことは理解できないのである。(略)

 僕の唯一の武器は、小型のテープレコーダーであった。東京に持ち帰ったテープを解読するのに、実はまた時間がかかった。北京に二十年居たという中国語の先生も、このテープをきいて「この、ひどい上海訛は私にはわかりません」と匙を投げたのである。結局、これを解読してくれたのは、上海生れの日本語のできる在日華僑であった。

        「国のために死んだのです」

 テープの中で、石氏はこういっていた。

 「終戦のとき、中国には百万位の日本軍がいたが、約二千人の戦争犯罪人を残して、すべて帰国させた。しかも、その二千人の中で実際に処罰されたのは数百人で、死刑になったのは、数十人である。(略)この百人斬り事件は南京虐殺事件の代表的なもので、南京事件によって処罰されたのは、谷中将とこの三人しかいない。南京事件は大きな事件であり、彼等を処罰することによって、この事件を皆にわかってもらおうという意図はあった。無論、私たちの間にも、この三人は銃殺にしなくてもいいという意見はあった。しかし、五人の判事のうち三人が賛成すれば刑は決定されたし、何応欽将軍と蒋介石総統の直接の意見も入っていた。私個人の意見は言えないが、私は向井少尉が日本軍人として終始堂々たる態度を少しも変えず、中国側のすべての裁判官に深い感銘を与えたことだけはいっておこう。彼は自分では無実を信じていたかも知れない。彼はサムライであり、天皇の命令によりハラキリ精神で南京まで来たのであろう。先日の横井さんのニュースをきいた時、私はこれら戦犯の表情を思い出した。

(略)

 昔中国は日本と戦ったが、今はわれわれは兄弟だ。われわれは憶えていなければならないこともあるし、忘れなければならないこともある。最後に、もし向井少尉の息子さんに会うことがあったら、これだけいって下さい。向井少尉は、国のために死んだのです、と――」

鈴木が台湾「取材」をした翌年(1973年)、ジャーナリストの和多田進が同じく台湾に渡って石氏にインタビューし、検証取材を行っている[5]。同じ人物へのインタビューなのに、そこから受ける印象はまったく違う。

 私は『「南京大虐殺」のまぼろし』が単行本になって発売された1973年、台湾に行って鈴木氏の本にも出てくる石美瑜氏(南京裁判の判事のひとり)にインタビューしました。石氏のほか、『還俗記』という著書をもつ元軍人、鈕先銘氏にも会って、南京陥落当時の話を聞きました。

(略)

 私の通訳には、台湾政府の新聞司の人が当たってくれました。台湾生まれの人でしたが、上海なまりがひどいと鈴木氏がいう石氏との会話に、なんの不自由もありませんでした。石氏の話によって、鈴木氏が身元をごまかし、取材目的も告げずに会っていることがわかりました。これではインタビューは成立しないはずです。石氏の事務所での小一時間ほどのインタビューにおける石氏の発言を要約して書けば以下のようになります。

 (略)

 (3)――南京裁判は、裁かれる人間の地位・階級に関係なく、事実によって処理されました。確証に重点をおき、証拠があって逃れようのない者だけを有罪にしました

 (略)

 (5)――鈴木明という日本人を私は知りません。『「南京大虐殺」のまぼろし』という本も私は読んでいません。

 (6)――昨年(1972)、向井か野田の息子の友人だという人物か、息子本人か、詳しいことは忘れたが、そういう日本人が私を訪ねてきたことは記憶しています。

 (略)

 (10)――殺人については彼ら(注:向井・野田両少尉)は否定しました。戦争だから人を殺すのは仕方ないのだと二人は主張しました。

 (11)――二人は夫子廟までの間に「百人斬り」競争をしたと記憶するが、これは明らかに戦争の範囲を逸脱していました

 (12)――裁判で明らかになったことのひとつは、「百人斬り」競争に際して、二人はブランデーを賭けていたということです。

 (13)――二人の家族にも言ってもらいたいことだが、中国人はこの戦争でおそらく1000万人も死んでいるだろうということだ。もし証拠がなくても処刑できるのだということになれば、日本の軍人はすべて処刑しなければならないということになるだろう。しかし、われわれは報復主義はとらなかったということです。

 (略)

 もうこのくらいでよいだろうと思います。通訳もきちんと用意せずに台湾まで出かけ、南京事件を「まぼろし」にしようというのですから、大変な度胸というほかはないと思います。(略)

 実は、台湾には南京事件当時を語ることができる元軍人がまだ何人も生存しているのです。鈴木氏は、台湾に四日間も滞在して石裁判官にしか会っていないのでしょうか。もし本当に南京事件の真相、「百人斬り」の真相を究明したかったのなら、そうした元軍人たちに対する取材こそ不可欠だったのではないかと思うのです。「過去現在のマスコミのあり方に対」して怒る(あとがき)のは結構ですが、ごく普通のマスコミやジャーナリストならばこの程度の取材は常識なのです。

 とにかく、鈴木氏の台湾取材はズサンのそしりをまぬかれぬものだと思います。私程度のジャーナリストでも、この程度のことはやっています。

主張にリアリティを与えるためだけに行う恣意的な「取材もどき」は、昔からの史実否定派の伝統芸なのだ。もっとも、鈴木明と井上和彦を比べてみれば明らかなように、この分野でも彼らの質の劣化は激しい。
 
[1] 『「アジアの日本評価を知るべし」シンガポールに山下大将像 比では特攻隊式典も ジャーナリスト井上和彦氏』 産経West 2016.2.17
[2] togetter シンガポールと「大東亜戦争」と「昭南島」について 《山崎雅弘》
[3] 今日もシンガポールまみれ 井上和彦氏「日本が戦ってくれて感謝しています」をシンガポールで検証する
[4] 鈴木明 『「南京大虐殺」のまぼろし』 文藝春秋 1973年 P.103-106
[5] 和多田進 『鈴木明氏の「取材」を取材する』/藤原彰本多勝一・洞富雄編 『南京事件を考える』 大月書店 1987年 P.194-197

 

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