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「かわいそうなぞう」たちと一緒に殺されたヒョウの「ハチ公」

童話『かわいそうなぞう』で有名な上野動物園での猛獣虐殺は、この童話で描かれたような、空襲が激しくなる中で危険防止のためやむを得ず行われたものではなく、ほとんど空襲もない状況下で「たるんでいる」国民の意識に蹴りを入れ、戦意高揚を図るために意図的に行われたものだった。

このとき、当時の東京都長官大達茂雄の命令で殺された動物たちの中に、中国で日本の兵隊に保護され、上野動物園に寄贈されたヒョウの「ハチ公」がいた。

この「ハチ公」が上野動物園にやってきた当時の記事が見つかったので紹介する。

朝日新聞(1942年6月2日):


〇…ワツ凄い!豹が人間に抱かれてゐるぞ――一日上野動物園で初お目見得した雄豹の子「ハチ公」が俄然坊ちやん嬢ちやんの人気を掻っさらつてしましママた、この人懐こい豹の子はそれもそのはず中支戦線で活躍中の皇軍の兵隊さんの手に捕へられたのが生後二、三箇月のほんの赤ん坊時代、以来満二歳のけふまで部隊のマスコツトとして可愛がられたのを、最近兵隊さんの好意で本社の斡旋により去る三十日汐留駅に到着したもの
(略)
(略)名前のハチ公は「八紘一宇」の八にちなんで命名されたものださうで生後二年で背丈は五尺もあるが性質はいたつておとなしく到着早々同動物園福田技師や係のひとたちに抱かれてぢやれつくといふ無邪気さ

新聞掲載写真なので不鮮明だが、飼育係の人たちに撫でてもらって嬉しそうにしている様子が分かる。

しかし、動物園での平和な生活もわずか一年ほどしか続かなかった。翌43年夏には「猛獣」だからと毒殺されてしまうことになる。[1]

 一方、猛獣処分は、都長官より命令のあった翌日より開始されている。日を追って、その様子を再現したい。

 8月17日(火)、閉園後ホクマンヒグマ1、クマ1毒殺、(略)毒殺にはいずれも硝酸ストリキニーネが用いられている。ホクマンヒグマのメスにはふかした甘藷に3gの薬をまぜて与えると直ちに食べ、1~2分で四肢にけいれんをおこし、もがきくるしみ、22分後に絶息した。死体は両方とも埋没した。

 8月18日(水)、ライオン、ヒョウ、チョウセンククロクマ、各1頭を、硝酸ストリキニーネで毒殺。(略)ヒョウは昭和17年(1942年)7月中支戦線の兵隊より寄贈され「八紘」と名づけられた3歳のオスで、体重9貫750匁(36.6kg)、死体は剥製となった。(略)これらの動物の死体は8月19日、陸軍獣医学校へ運ばれて解剖されており、そのとき、陸軍獣医学校から硝酸ストリキニーネを10g受けとっている。

この猛獣虐殺といい、犬猫の供出といい、戦意高揚などという下らない目的のために無垢な命をもてあそぶ連中には嫌悪しか感じない。

[1] 東京都 『上野動物園百年史』 第一法規出版 1982年 P.173

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