戦争アニメを見ても責任感のかけらも示さない天皇家の人々
天皇一家(徳仁ナルヒト、雅子、愛子)は18日、前作にシーンを追加してリニューアルしたアニメ『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』を鑑賞した。
記事によると、試写会終了後、一家は片渕監督やすず役の俳優のんと懇談し、「圧倒されました」とか「感動しました」などと感想を述べたらしい。
「感動しました」。愛子さまは、さまざまな思いを込めたように、のんさんにそう伝えたという。
18日夜、長編アニメ「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」(20日公開)のチャリティー試写会での出来事だ。愛子さまは天皇、皇后両陛下とともに出席。主人公の女性・すずの声を演じた俳優のんさん、監督の片渕須直さんと並んで映画を鑑賞した。(略)
(略)作品は、戦時下の広島市や呉市を舞台に、主人公すずをはじめとする人々の営みを描き、いつの時代も変わらない人間の喜びや悲しみを表現している。上映時間は2時間48分と長めだが、天皇陛下は「長さを全く感じなかった。圧倒されました」と語り、皇后雅子さまは「この映画を本当にたくさんの方々に見ていただきたいし、外国まで広がっていくといい」との願いを口にしたという。昭和初期の活気がある街の様子や、徐々に市民生活が戦争に影響されていく過程が精緻(せいち)な時代考証をもとに再現され、天皇陛下は「丹念なお仕事が実を結んでいる。広島や呉のお店が丹念に描かれていて」と感心した様子だった。
『この世界の片隅に』は、曲がりなりにも、呉の空襲や広島原爆を扱った作品だ。のんが演じたすずも、空襲で自分の右手と姪の晴美、原爆で両親と妹を失い、兄も戦死している。そもそも、広島への8月6日の原爆投下は、徳仁の祖父裕仁ヒロヒト(昭和天皇)が保身のために「もう一度戦果を挙げてから」などと講和を引き延ばさなければ、あるいは「国体護持」に執着せずにポツダム宣言をさっさと受け入れていれば、避けられていたはずの悲惨事だ。
にもかかわらず、まるで他人事のように「丹念なお仕事」とは何事か。
ナルヒト ・マサコと娘アイコは18日、日本消防会館(ニッショーホール)で、映画「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」チャリティー試写会「ご公務」。
— 乱調 (@rantyo3141) December 18, 2019
なんと図々しい。
(國體護持=ヒロヒト延命と天皇制存続のため日帝降伏が遅れ、広島・長崎への原爆投下に至った)https://t.co/eF8ZO6Lm7c
もちろん、徳仁も、その父の明仁アキヒトも、裕仁本人ではないから直接的な戦争責任はない。私も、彼らが「ただの人」であれば父や祖父がやったことへの責任を問うたりはしない。しかし、彼らは裕仁が一切の責任を回避して天皇位に居続けた結果として今の地位にあるのだから、当然その道義的責任も継承している。親の財産を受け継いでおいて借金だけは相続放棄するなどというご都合主義が許されないのと同じことだ。
徳仁には、日本人三百万、アジア人二千万の命を踏みにじって「護持」された「国体」のおかげで天皇となった者として、戦時中の街並みの描写などではなくあの戦争そのものについて、何か言うべきことがあるのではないか。
天皇一家が安心して観られたのは『この世界の片隅に』だったから
もっとも、天皇一家が戦争や原爆を扱ったアニメを観てこれほど呑気な感想を言っていられるのは、観たのが『この世界の片隅に』だからでもある。
このアニメ(こうの史代の原作漫画もほぼ同じ)では、戦争はまるで天災のように扱われ、戦時下での生活の苦労や日常化する死の悲惨は描かれても、そのような苦しみを強いる者たちの責任には一切関心が向かないように物語が組み立てられている。すずはひたすら戦時体制に順応し、工夫を重ねてけなげに生きていくだけだし、8月15日の敗戦の描写にすら(「重大放送」を聞く場面はあっても)天皇の「て」の字も出てこない。
もちろん、『はだしのゲン』などとは違って、こんなセリフ(完璧な正論である)を突きつけられる心配は一切ない。
天皇は戦争をすることを決定し 日本人をなん百万人も死なせた
戦争の最高責任者じゃお母ちゃんを殺した責任者じゃ
天皇はお母ちゃんに土下座してあやまるんがあたりまえじゃ
わしは天皇から一言でも
すみませんでした許してくださいと言う言葉を聞いたことがないわい
わしゃ日本が 三光作戦という
殺しつくし 奪いつくし 焼きつくすで
ありとあらゆる残酷なことを同じアジア人にやっていた事実を知ったときは
ヘドが出たわいその数千万人の人間の命を平気でとることを許した天皇をわしゃ許さんわい
いまだに戦争責任をとらずにふんぞりかえっとる天皇をわしゃ許さんわいっ
「天皇一家が安心して観られる」という点にこそ、『この世界の片隅に』の本質があると言っていいし、このアニメが右派どころか「リベラル」にまで絶賛されているようでは、この国が自らの戦争責任に真摯に向き合うのは到底無理だろう。
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