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「私たちがいま生きているのは特攻隊のおかげ」とかいう妄想

何をどう間違うとこんな妄想脳が出来上がってしまうのだろうか?

まあ、ウヨさんたちは情念と妄執の世界に生きているのでマトモな理屈など通用しないのだが、それにしてもこの認知の歪みはひどい。

まず、「今私達が生きているのは特攻隊が護ってくれたから」というのは生物学的にあり得ない。特攻隊には航空特攻だけで4千名ほどが投入されたが、彼らが特攻などせず生きていてくれたら、今はもっと多くの「私達」がいたはずである。逆に、日本がポツダム宣言を受け入れず「一億特攻」などという当時のカルトスローガン通りの事態になっていたら、上のツイートをした「桜」さん本人も生まれていなかったかもしれない。

また、これは経済的にもあり得ない。特攻という無駄死にをさせられたのは、みな前途有為な若者たちだった。彼らが生きて戦後の復興に加わっていてくれたら、「私達」の国はより豊かになったはずである。

それとも、死ぬと分かっているのに爆弾を抱えて突っ込んでくる特攻が米軍を畏怖させ、「追い詰めると何をするか分からない」民族だからと、敗戦後の日本に対する扱いが良くなったとかいうポエムを信じているのだろうか。

確かに、フィリピン戦で特攻作戦が始まった当初は、常識では考えられない異常な戦法が米兵たちを恐怖に陥れた。しかし、特攻がそれなりの戦果を上げられたのは始めのうちだけで、米軍側が適切な対策を講じるようになると戦果は急速に減っていった。その上、特攻では出撃した機体も搭乗員も必ず失われるのだから、特攻をやればやるほど生産力でもパイロットの養成力でも劣る日本が不利になっていくのは当然だった。

大戦末期の沖縄戦の段階では、もはや旧式戦闘機や練習機に数ヶ月の速成教育を施しただけの搭乗員を乗せた特攻機は、ただ撃ち落とされるために出撃していくのも同然の状態となっていた。この頃になると米軍側は、畏怖どころか、無意味な自殺攻撃を繰り返すしか能のない日本軍をバカにしていたと言っていい。それは、神風パイロットを米兵が何と呼んでいたか、その呼び名からも分かる[1]。

(略)アメリカ軍の艦艇の乗組員たちの間では、神風パイロットに対してさまざまな言い方をした。前述の「バカ・ボン」などはそういう例であったが、それ以外にもまだ多くの蔑称があったのである。大体は「カミカゼクレイジー」という語で語られることが多かっだが、次のようにいわれた(ウォーナー書からの引用)。

「連合軍の艦艇では、神風パイロットにたいして、それぞれ彼ら自身の呼び名を持っていた。『オーストラリア』で特攻機を『ゾンビ』(間抜け)、『アランタ』では『カッツェンジャマー・キッド』(二日酔い坊や)と呼んでいた。米軍では彼らを、(中略)悪魔の烏や地獄の烏とか、四字綴りの蔑称などで呼んでいた」

当時、特攻隊員となった学徒兵の中には、「アメリカさんはわれわれを見てどう思うだろうか。またバカが飛んできたと思うだろうよ」とつぶやく者もいた。[2] 海外の情報から一切遮断され、翼賛マスコミのプロパガンダと軍隊による洗脳教育の中に置かれていても、まともな判断力のある者にはそれがわかったのだ。

さらに、理解不能の特攻作戦は米兵たちの中に日本人への畏敬どころか憎悪を引き起こしたことも知られている。米兵たちの間では、「(この戦争の)主要目的は日本を降伏させることではなく、できるだけ多くの日本人を殺すことにある」「そんなに死にたきゃ皆殺しにすればいい」といった会話が公然と交わされていたという。[3]

大戦中とは違って知ろうと思えばいくらでも情報が手に入る現代に生きていてこのざまなのだから、ネトウヨの愚かさというのは本当にどうしようもない。

[1] 保阪正康 『「特攻」と日本人』 講談社現代新書 2005年 P.210
[2][3] 同 P.212-213

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「特攻」と日本人 (講談社現代新書)

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  • 作者:保阪 正康
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2005/07/20
  • メディア: 新書
 
特攻隊振武寮 帰還兵は地獄を見た (朝日文庫)

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