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『この世界の片隅に』の太極旗シーンに感じる違和感を整理してみた

『この世界の片隅に』でとりわけ違和感を感じるシーンとして、8.15の玉音放送を聞いたあと、すずが翻る太極旗を見てはっと何かを悟り、泣き崩れる場面がある。

こうの史代の原作マンガでは、すずは「暴力で従えとったいう事か」「じゃけえ暴力に屈するいう事かね」「それがこの国の正体かね」「うちも知らんまま死にたかったなあ……」とつぶやいている。[1]

まず疑問に感じるのは、永添泰子さんがツイートされているように、そもそもすずにはこの太極旗の意味が分かったのか、という点だ。

太極旗はもともと日本によって潰された大韓帝国の国旗であり、「併合」後は3・1運動などで民族の独立を象徴する旗として使われた。(そして日本の敗戦後、大韓民国の建国とともにその国旗となった。)

それだけに、戦前戦中の日本でこの旗を掲げることはタブーであり、すずのような一般人がその図柄と意味を知っていたとは考えにくい。実際、敗戦当時京城帝大医学部助教授だった田中正四でさえ、ソウルの街にあふれる太極旗を見て「日の丸を巴ともえまんじにぬりつぶし、四隅に易者の広告みたいな模様」などと日記で表現しており[2]、見覚えのない旗であったことが伺える。

いや、仮にすずが太極旗の意味を理解していたとしても(あるいは、すずの認識などとは関係なく、太極旗が韓国・朝鮮の象徴だと知っている現代の読者向けにあの旗を出したのだとしても)、そもそも(広島にも呉にもたくさんいたはずの)朝鮮人など影も形も現れないこの作品で、旗ひとつを見ただけで、朝鮮人を暴力で従え痛めつけてきた「この国の正体」を悟るというのが唐突すぎる。作中で在日朝鮮人との交流や彼らの苦しみをきちんと描いている『はだしのゲン』[3]などとは違うのだ。

結局、こういうことではないのだろうか。要するに、作中で在日朝鮮人の存在も日本の加害者性も一切無視してきたことへの取り繕いである。


なお、アニメ版でのこの場面では、遠くに太極旗が翻るのを一瞬だけ映したカットに続けて、すずが次のように独白する。

ああ、海の向こうから来たお米、大豆、そんなもんでできとるんじゃなぁ、うちは。

じゃけえ暴力にも屈せんとならんのかねぇ。

ああ、なんも考えん、ぼーっとしたうちのまま死にたかったなぁ。

原作マンガと比べると、「暴力で従えとったいう事か」「それがこの国の正体かね」という重要なセリフが抜けている。

片渕監督は、直接的な表現は「すずさんらしくない」ので「もっと台所を預かる者としての実感を言わせたい」としてセリフを変更したというのだが[4]、太極旗と「海の向こうから来たお米、大豆」だけで朝鮮植民地支配と日本の加害者性を連想しろというのは無理が過ぎる。だいたい「暴力で従えとった」のが「この国の正体」だという前提抜きで「じゃけえ暴力にも屈せんとならん」では意味不明である。

片渕監督によるこのセリフの変更は、もともと取って付けたようだったこの場面を、さらに意味不明にした改悪だと言わざるを得ない。

[1] こうの史代 『この世界の片隅に(下)』 双葉社 2009年 P.94-95
[2] 『在留邦人の軌跡 8.15の京城』 東京新聞 2014/8/13
[3] 中沢啓治 『はだしのゲン②』 中公文庫 1998年 P.87
[4] 町山智浩 『映画『この世界の片隅に』について ー 1面』 Web版有鄰 2017/5/10

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〔コミック版〕はだしのゲン 全10巻

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  • 作者:中沢 啓治
  • 発売日: 1993/04/01
  • メディア: コミック