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『この世界の片隅に』の敗戦の日描写の嘘っぽさの理由を坂口安吾が教えてくれた。

『この世界の片隅に』では、いわゆる「玉音放送」で天皇から臣民に対して帝国日本の敗北が宣言されたあの日の様子を、次のように描いている。[1]

すず以外の北條家の人々(やラジオを聞きに来た近所の人たち)は、実にあっさりと敗戦を受け入れて、まるで何事もなかったかのように日常へと戻っていく。

一方すずは天皇自身の言葉にも納得せず、憤然と外に出て、あの太極旗と慟哭のシーンへとつながっていく。

はっきり言って、すずの態度も、その他の人々のそれも、どちらも嘘くさい。

画像出典:[2]

実際のところ、職業軍人や特権階級ではない一般日本人のあの日の心理はどのようなものだったのか。映画会社の嘱託という立場であの日を経験した坂口安吾が、『続堕落論』で次のように書いている。[3]

 昨年八月十五日、天皇の名によって終戦となり、天皇によって救われたと人々は言うけれども、日本歴史の証するとこを見れば、常に天皇とはかかる非常の処理に対して日本歴史のあみだした独創的な作品であり方策であり、奥の手であり、軍部はこの奥の手を本能的に知っており、我々国民又この奥の手を本能的に待ちかまえており、かくて軍部日本人合作の大詰の一幕が八月十五日となった。

 たえがたきを忍び、忍びがたきを忍んで、朕の命令に服してくれという。すると国民は泣いて、外ならぬ陛下の命令だから、忍びがたいけれども忍んで負けよう、と言う。嘘をつけ!嘘をつけ!嘘をつけ!

 我等国民は戦争をやめたくて仕方がなかったのではないか。竹槍をしごいて戦車に立ちむかい土人形の如くにバタバタ死ぬのが厭でたまらなかったのではないか。戦争の終ることを最も切に欲していた。そのくせ、それが言えないのだ。そして大義名分と云い、又、天皇の命令という。忍びがたきを忍ぶという。何というカラクリだろう。惨めとも又なさけない歴史的大偽瞞ではないか。しかも我等はその偽瞞を知らぬ。天皇の停戦命令がなければ、実際戦車に体当りをし、厭々ながら勇壮に土人形となってバタバタ死んだのだ。最も天皇を冒涜する軍人が天皇を崇拝するが如くに、我々国民はさのみ天皇を崇拝しないが、天皇を利用することには狎れており、その自らの狡猾さ、大義名分というずるい看板をさとらずに、天皇の尊厳の御利益を謳歌している。何たるカラクリ、又、狡猾さであろうか。我々はこの歴史的カラクリに憑かれ、そして、人間の、人性の、正しい姿を失ったのである。

「忠良ナル臣民」たちは、本土決戦を叫ぶ軍部に言われるがまま、最後には竹槍で機関銃と戦車の列に突っ込んでいくつもりだったのだ。しかし、当然ながら本音のところでは、そんなふうにみじめに死ぬのは嫌で嫌でたまらなかったのだ。そして、嫌で嫌でたまらなかったにもかかわらず、天皇の命令という口実がなければ、死ぬのは嫌だと正直に言うことさえできなかったのだ。

「臣民」とはつまり、自らの意志で生きることを放棄した自発的奴隷だからだ。

だから彼らは、「玉音放送」のその日、宮城前広場に集まって天皇に詫びて号泣したかと思えば、新たな「ご主人様」であるマッカーサーがやって来ると、たちまち「鬼畜米英」の代表格だったはずの彼の足元にひれ伏して、50万通ものファンレターを送ったのだ。

『この世界の片隅に』が戦中戦後の日本人のリアルを描いたというのなら、こういう庶民の狡さをこそ描かなければならなかったはずだ。

それをせずに、ゆるふわファンタジーにすり替えている時点で、実際には何を描きたかったのかはお察しなのである。

[1] こうの史代 『この世界の片隅に(下)』 双葉社 2009年 P.91-92
[2] 藤原彰 『大系日本の歴史(15)世界の中の日本』 小学館 1993年 P.25
[3] 坂口安吾 『堕落論・日本文化私観 他二十二篇』 岩波文庫 2008年 P.236-238

 

堕落論・日本文化私観 他二十二篇 (岩波文庫)

堕落論・日本文化私観 他二十二篇 (岩波文庫)

  • 作者:坂口 安吾
  • 発売日: 2008/09/17
  • メディア: 文庫