プーチンの愚かな決断でロシア軍によるウクライナへの全面侵攻が始まってしまったが、前回のクリミア併合のときとは異なり、ロシア国内では侵略戦争反対の運動が大きな広がりを見せている。
「戦争反対!」。モスクワの中心地では24日夜、ウクライナ侵攻に抗議するシュプレヒコールが断続的に響いた。この抗議活動は、多数の警察官らに封鎖された広場で行われ、参加者は抗議のプラカードを掲げるとすぐに拘束された。
(略)
2014年のウクライナ南部クリミア併合の際、プーチン政権は愛国心に訴え、国民の支持を集めた。
しかし今回は、インターネットで侵攻の中止を求める署名運動が始まり、賛同者はすでに50万人を超えた。SNSでは24日を「暗黒の日」と位置付け、真っ黒な画面を投稿して抗議の意思表示をする動きが広がった。
「ロシアの有名な歌手、ジャーナリスト、コメディアン、サッカー選手などが相次いでオンラインで戦争に反対すると表明しており、同国としては異例の事態となっている」。ロイター:ロシア各地で反戦デモ、警察は1600人余りを拘束 https://t.co/5yYW2PcPjo
— 美浦克教 (@newsworker) February 25, 2022
大祖国戦争で戦った親や祖父を記念する戦勝パレード「不死の連帯」の創設者ラペンコフが今回の戦争を批判。「曽祖父たちは、ふざけるな、戦争が繰り返されるために戦ったんじゃない、しかも誰を相手に戦っているんだ、と言っているだろう」と。https://t.co/3J1z54hMoe
— Yoko Ueda (@yuvmsk) February 24, 2022
様々な形で戦争反対と謝罪の意思表示をする一般のロシア人も多くいる。
The most heartbreaking photo today??
— JustMePam (@PamelaApostolo1) February 25, 2022
"I'm Russian, Sorry For That"...
Photo: Skalah Hawrami pic.twitter.com/T3om1xhBcJ
ロシア国民が戦争支持で固まっていないことは、事態の解決に向けて大きな希望と言えるだろう。
ところで、我が平和ボケ日本国では、この深刻な事態を平和憲法を腐すネタとしかとらえられないバカウヨが続々と湧いている。
他国から侵略されないことを担保する憲法なんかあるわけないだろ。そんなチートがあったら戦争は起こらない。あれは日本が侵略しないための条文なんだよ。ウクライナになる可能性はあるが、決して今のロシアやかつての日本軍のような侵略行為はしない。それが9条を通じた国民のコンセンサスなんだよ。 https://t.co/9PPUHwEGpG
— nagaya (@nagaya2013) February 25, 2022
「ウクライナに行って、憲法九条を唱えてロシアを止めてみろ!」
— 真田 鷹山 (@yo_zansanada) February 25, 2022
とかいう人々は、そ自分が重武装し、ウクライナに行ってロシアを止められるかどうか試してみるべきでは??
ご覧ください。こういう政治家がいるから憲法9条が必要なのです。 https://t.co/gZcrLmXEps
— ????SVX ?? (@88_svx) February 25, 2022
中にはこんなことを言うためにこの戦争を持ち出す愚か者さえいる。
大戦末期にソ連が攻めてきた時に、日本軍が住民を見捨てて逃げて行く中、日本人を助けてくれた中国人は結構いたんだけど、ずいぶん恩知らずな奴だな、百田尚樹ってのは。 https://t.co/tTGEcZKiVr
— uchya_x (@uchya_x) February 25, 2022
百田尚樹はこんな妄想をしている暇があったら、日本軍が中国に攻め込んで虐殺を繰り返しながら首都南京を陥落させたとき国内の日本人が何をしていたかをきっちり認識して、プーチンの戦争に反対するロシア人たちの姿と比べてみるべきだろう。[1]
三七年一二月一四日東京市で四〇万人の提灯行列がおこなわれたのを頂点として、全国が南京陥落祝賀に酔いしれた。デパートや商店街はいっせいに大売出しをはじめ、各劇場では劇の途中や終幕で主役が南京陥落を告げ、観客とともに万歳を三唱したりした。作家角田房子氏はつぎのように書いている。
この十二月十三日夜、私はたまたま歌舞伎座にいたが、芝居が終った後、六代目尾上菊五郎を中心に二人の俳優が加わり、南京陥落を祝して踊った。黒紋付に袴姿の菊五郎が金扇をかざして舞い納めた姿に、観客は狂気のような拍手を送り、上のほうからは「チャンコロ、思い知ったかあ」の声が飛んだ。あの夜の、戦勝に酔い、中国人に対するあなどりを粗暴に発散させた人々の興奮を思い起すと、寛大な和平条件を冷静に支持することがいかに困難であったかを、今にして察することができる。(『いっさい夢にござ候――本間雅晴中将伝』一九七二年)
[1] 江口圭一 『日本の歴史(14) 二つの大戦』 小学館 1993年 P.320-321